2月6日(火)の「おとなりさん」(文化放送)のゲストコーナー、「10時のおとなりさん」に俳優の若村麻由美さんが登場!声帯炎でお休みの高橋優さんのピンチヒッター・箭内道彦さんと坂口愛美アナが、若村さんの原点である無名塾について伺った。

坂口愛美アナ「若村さんがそもそも、この世界に入ろうと思われたきっかけは?」

若村麻由美「高校3年生の時、学校の帰りに、観ちゃいけないんですけど、友達と映画観て帰ろうという話になって。渋谷駅から今の西武のあたりとか映画館が幾つもあって、『今日観たい映画無いねえ』って言いながら歩いて公園通りを曲がって、パルコにさしかかるわけですね。そしたらとっても可愛らしいイラストのポスターがあって、『ハロルドとモード』ってタイトルで、『何だろう?これ』『演劇みたい』って。時間見たら『あれ? ちょうどいいんじゃない?』ってことで、『当日券を買って観てみようか?』ってなって」

箭内道彦「パルコ劇場ですね?」

若村「そうです。たまたま観たい映画が無かったから、無名塾の当日券を買って入ってみた。それが私にとっての衝撃の出会いで。雷に打たれたようとはこのことだなあと。17歳だったんですけど、『17年間こういうものが世の中にあることを知らないで生きてきた』みたいな」

箭内「何が『雷』だったんですか?」

若村「『ハロルドとモード』って、80歳になろうとするお婆ちゃんと、18歳なのに狂言自殺未遂ばっかりしている、希望のない青年の恋のお話なんですよ。私は年が近いから青年のハロルドの方に自分を投影して、モードお婆ちゃんの魅力に、ハロルドと同じように恋をしてしまう、みたいな。『輪廻』の話も出てくるような外国の話なんですけど、とても思春期の私には刺さりまして。『ものづくりをしたい』って思ってたので、『ああ、こういう劇空間を作る仕事をしたいな』って。高校3年生なので進路を決めなければいけなくて、それで一応大学受験コースを希望してたんですけど、無名塾の門を叩くことになり。翌月が年に1回の入塾試験だったんです」

坂口「その試験の時に、主宰の仲代達也さんにも会われたんですか?」

若村「そうですね、毎年仲代さんは年に1本、お芝居を無名塾でされてて、今も全国ツアーをなさるんですけど、その時は黒澤明監督の「乱」の撮影で、お芝居が出来なかったんです。それも、唯一かも知れないんですけど、演出をなさっていて。奥様の宮崎恭子さんは、元々女優さんでいらしたんですけど、結婚されて、仲代さんを支えるために引退されてたんです。

でも仲代さんが舞台に出られないので、復帰して、モードお婆ちゃんを演じられたんですね。私はもうその時から宮崎恭子さんのモードお婆ちゃんに魅了されていたんで、入塾試験で『モードお婆ちゃんに会えた!』みたいな感じで、嬉しくて。で、仲代さんの私を見た第一声が『真っ赤な顔して』。私、赤面症だったんですね。人見知りで、人の前に出ると声が出なくなる。そういう風に言われるほど、真っ赤になってたみたいです」

坂口「無名塾に合格されて、入ってからはどんなことをされるんですか?」

若村「無名塾は3年間養成期間がありまして、その間に普通にしゃべれて、普通に歩けるようになる、みたいな(笑)」

坂口「それはどういうことですか?」

若村「普段普通にしゃべって普通に歩いてるんですけど、これを舞台の上で『じゃあ自然に、いつも通りしゃべりなさい、いつも通り歩きなさい』って言われると、なかなかこれが難しくて(笑)。だから基礎の基礎を学ぶ。あと1年目は役者の修行というよりも人間修行だっていう。挨拶から始まって、朝、始発に乗って行って、夜は終電で帰るという毎日という感じでした」

この後も、石川県七尾市にある無名塾の劇場「能登演劇堂」の、能登半島地震後のお話や、登山家・野口健さんとの交流のお話など、興味深いお話を伺った。