後輪がちょっとだけ、あるいは大胆にボディの内側へ隠れるスタイルは、昔のクルマではよく見かけたデザインですが、これにはどんなメリットがあり、なぜ消えてしまったのでしょうか。

呼び名は「フェンダー・スカート」あるいは「スパッツ」

 昔のクルマを見ていると、後輪の一部がボディに隠れているようなデザインのクルマが多いことに気づきます。しかし2024年現在の乗用車では、めっきり見なくなりました。


後輪にカバーのある初代「インサイト」(画像:ホンダ)。

 あえてリアホイールの上部もしくは大部分を覆い隠すカバーのことを「フェンダー・スカート」、あるいは「スパッツ」とも呼びます。乗用車の場合、主に走行時の空気の流れをスムーズにし、空気抵抗を調整するがあるとされています。

 日本では、1999年に登場したホンダの初代「インサイト」が、後輪を半分ほど隠したスタイルを人々に印象づけましたが、欧米では1930年代から流行したものです。「フェンダー・スカート」という言葉が使われ出したのも、同時期のアメリカでした。その流行は1960年代まで続きます。

 1930年代は、空力デザインを意識した流線形のクルマが作られるようになった時期です。それと同時に、車体上を空気がスムーズに流れるようにと、リアホイールにフェンダー・スカートを付ける車両も現れるようになり、一部では全ホイールに付ける車両も存在しました。

 この流れは前述したように1960年代まで続きますが、1970年代には一気に下火になってしまいます。それでもGM(ゼネラル・モータース)はキャデラックやポンティアック・ボンネビルなどに採用を続けますが、それも1985年を最後に姿を消し、しばらくフェンダー・スカートを使う車両が現れなくなります。

実はメリットがあまりないという意見も…

 しかしGMは、1989年にキャデラック・フリーウッドで再びフェンダー・スカートを採用したほか、1996年から1999年まで販売されたGM最初の量産型EVであるEV1にも採用しました。

 前述したホンダ「インサイト」も、トヨタ「プリウス」に続くハイブリッドカーで未来感にあふれたデザインでしたが、フェンダー・スカートは、いつの時代でも先進的な姿をイメージさせるのか、未来を意識したクルマに採用される傾向があります。フランスのシトロエンも、そうした先進性のアイコンとしての側面もあり、フェンダー・スカートを長く採用し続けたメーカーです。

 ただ、問題がないわけでもないようです。2003年から2016年までGMのグローバルデザインの担当兼副社長だったエド・ウェルバーン氏は、かつて自動車メディアの取材を受け、フェンダー・スカートの欠点について語ったことがあります。

 ウェルバーン氏によると、フェンダー・スカートはクルマをスマートに見せる効果がある反面、タイヤ交換などで取り外しするものであるため適切な位置に固定するのが難しく、コストもかかる、さらに内部へタイヤを収めるためボディが広がったり、あるいは幅の狭いタイヤを採用する必要があったりすることを指摘します。


1950年代に誕生したシトロエン「DS」(画像:シトロエン)。

 空力の面でも効果があると思われていたフェンダー・スカートですが、時代が進むにつれ、実はそこまでメリットがある装備ではないことが明らかとなっていったようです。ウェルバーン氏は「市販車のスカートは役に立たない」と断言していました。