坪田智夫監督がこう語る出来事。この夏、高橋彰太選手(2年)が突然この世を去った。
「8月上旬、松永とワールドユニバーシティゲームズに行っているときに、急遽入院するという連絡を受けて、本人とも中国から電話をして話したんですけれども、おそらく2、3週間で戻れるだろうと。私もその時点では、夏合宿をどうしていこうかなと、箱根に向けて彼をどう作っていこうかというのを考えいた段階でした。その後夏合宿中に、親御さんから電話があって、急変したと……」

当時のチームの様子を、稲毛崇斗選手(4年)が話してくれた。
「同期の2年生は葬儀にも参列しました。僕は副キャプテンなので合宿を抜けることはしませんでした。最初はチームも暗い感じだったんですが、1週間くらい経って『彰太のために頑張ろう』という雰囲気になりました」
東北高校、法政大学と同じ進路をたどった後輩の急逝が与えたショックは計り知れない。

出雲駅伝でつけて走った喪章は坪田監督と奥様が縫ったそうだ。
「今年は彰太が離れてしまいましたが、1月3日まで、チームは彰太も含めたチームだと彼らにも伝えたし、彼らもその気持ちは1人ひとり持っていて、この100回大会を走りきってくれるのではないかなと思ってます」
箱根では喪章をつけ、運営管理車にシューズやユニフォームを乗せるという。

稲毛選手は後輩への想いをこう続けた。
「彼はもう絶対に走ることはできないんですけど、その想いを誰かが代わりに受け取って走ることはできるので、僕が彰太の想いを継いで走りたいと思います。箱根が終わったらお墓に行って、ちゃんと箱根走れたよと伝えたいです」
亡きチームメイトへの想いを胸に、彼の分まで走る――オレンジの襷がつなぐ想いは天まで届くだろう。

*写真はチーム提供(先頭の白いシューズが稲毛崇斗選手、4年)