赤井沙希、引退試合で爆切れ大号泣 初めて見た両国国技館の天井、仲間からの思わぬ言葉
赤井沙希 引退インタビュー 後編
(前編:「引退ロード」の裏側 試練の連続でパンクし、10年間で初の欠場も考えた>>)
今年5月に引退を発表し、数々の試練を乗り越え、引退ロードを駆け抜けた赤井沙希。11月12日、ついに引退試合当日を迎えるが、波乱の一日の幕開けだった――。
プロレス人生を振り返った赤井沙希 photo by 林ユバ
引退試合の前日、品川プリンスホテルで前夜祭があり、帰宅したのは23時。入念にスキンケアをしたかったが、「5分でも長く寝なきゃ」と思い、パックをせずに寝た。
当日、入り時間の8時に両国国技館に到着すると、密着のカメラが待っていた。「今のお気持ちは?」――。そこから怒涛の一日が始まった。セレモニーのリハーサルがあり、その後、20万円の「ドラマチック・ドリーム・シート」購入者に向けて、入場体験、特別サイン会、チェキ会が行なわれ、コメント撮りや関係者への挨拶があった。それが終わると、休む間もなく、走って開場時サイン会へ向かう。すでに長蛇の列ができていた。
ひとりひとり丁寧に対応していたが、いつまで経っても列が途切れない。「200人で打ち切る」と言われ、赤井は「打ち切るんだったら、大会終了後もやります」と言った。楽しみにしてくれているファンの期待に応えたかったからだ。しかし手違いで200人では打ち切られず、サイン会は延々と続いた。係の対応に腹が立った。
「たぶんアルバイトさんだと思うんですけど、とぐろの列を経てやっと辿り着いたファンの方に『あー、すいませーん、時間あるんでー』みたいな態度だったんです。貧乏ゆすりしだしたから、『どうしたん、それ。具合悪いん? 大丈夫?』とか言って、内心ブチ切れてました」
大会が始まっても、サイン会は終わらなかった。ようやく終了したのは、第三試合が終わる頃。その間、ずっと密着のカメラがついていた。カメラの前ではスイッチが入り、口角を上げていたが、控室の大部屋に入った瞬間にそれが切れた。
「200人で締め切るって言ったから大会終了後もやるって言ったのに、全然終わらへんかった。全然試合と向き合えなくて、『なにが美しく送り出すだ! 全部ウソやん!』って爆切れして、大号泣でした」
温厚な赤井しか知らない若手選手たちは驚いて、ジャングルの蟻のように控室を走り回った。タッグパートナーの坂口征夫に謝られたが、「坂口さんは悪くないっしょ! 会社が悪いんでしょ!」と、また怒りが爆発した。試合にも向き合えていないし、こんな状態ではセレモニーで伝えたいことも伝えられない。「もういい、手紙書く!」と、段ボールの上で手紙を書き始めるも、怒りで手が震えて字が書けない。もう何もかもダメだと思った。
そんな時、声を掛けてきたのはクリス・ブルックスだった。「落ち着け。深呼吸して。今起きたことはしょうがないし、赤井は8試合目でしょ。今は3試合目だ。まだ時間はたっぷりある。とりあえず深呼吸して。化粧がぐちゃぐちゃだから直して、手紙を書くんだったら落ち着いて書く。やれることをやろう。赤井は今日引退するんでしょ。見せたいものをちゃんと見せられるように、お客さんのために頑張ろう」――。
「涙の種類がそこで変わって、またボロボロ泣きました。クリスがいなかったら、ずっとブチ切れたままでパニックでしたね。ひとりでも多くのファンの方に会いたかったから、サイン会はいいんですけど、会社のいろんな人がいろんなことを私ひとりに言ってきて、密着の人が私目線で見ていて、びっくりしてました」
【10年間で見たことがなかった景色】試合前、バックステージで控えていると、高梨将弘とKUDOがやって来た。かつて高梨、KUDO、坂口は「酒吞童子」というユニットを組んでおり、赤井は酒吞童子の妹分として彼らに可愛がってもらっていた。ユニットの絆を知ったのは、酒吞童子がきっかけだったという。
ふたりが来た意味はわかる。しかし、深く考えると泣き崩れてしまうと思い、「頑張ります」とだけ言った。「普通の試合だと思おう」と考え、煽りVTRが流れている間はずっと耳をふさいだ。
「いつもより笑顔でいようと決めていました。みんなが私の言葉を受け止めて見送ろうとしてくれているのに、私がメソメソしていたら見送れるものも見送れなくなると思ったから。いろんな思いがあるけど、嘘でも笑おうと思いました」
引退試合はシングルマッチではなく、6人タッグマッチを選んだ。最後は赤井が所属するユニット「イラプション」(赤井、坂口、岡谷英樹)と一緒に闘いたかったからだ。対戦相手は、丸藤正道&山下実優&樋口和貞。丸藤とはプロレスラーになる前から親交があり、山下とは団体は違えど同期。樋口はかつてイラプションに所属していた戦友だ。
試合が始まり、山下に「泣くな」と言われた。そこでいつものスイッチが入った。
「いやいや、泣いてないし! 『なにこいつ、勝手なフィルターで見とんねん』と思いました。そう思うくらい余裕はありましたね。試合が始まったら、『これが最後』という思いではやっていなかったです。最後という想いも乗っけると、普通じゃいられなくなっちゃうから」
丸藤の強烈なチョップを食らって、リングに倒れ込んだ。丸藤は試合前、「恐怖を植えつける」と言っていたが、赤井は「恐怖心はなかった」という。凄まじいチョップだったが、彼女はこれまで男子レスラーのチョップを嫌というほど受けてきた。だてに10年間、男子プロレス団体で生きてきたわけではない。
「いつも相手の技を受けきろうと思っていますが、いつも以上にそう思いました。最後だからという意識は、どこかにあったのかもしれません」
最後は山下との一騎打ち。山下のスピンキックが後頭部に入り、そこから記憶がないという。気づいたら山下が自分の上で号泣していた。そうか、試合か。ああ、私は負けたんだなと思った。
引退試合に向けて、いろいろな人の引退試合を観た。もちろん引退する人も頑張らないといけないが、引退試合の相手もいろいろなものを背負わなければいけない。号泣する山下に「重荷を背負わせちゃってごめんね」と謝った。
赤井が倒れ込んでいると、坂口と岡谷が手を差し伸べてきた。見上げると、ふたりは泣いている。泣かないで。ふたりは立派に送り出してくれたから。そんなふたりに悲しい思いをさせたくないから。だから泣かないでと、繰り返し伝えた。
「ふと天井が見えて、『両国国技館の天井ってこんな形なんだ』と思いました。この10年間で見たことがない景色でした。ずっと走り回っていたけど、『ここって、こうなってるんだ』って。それはすごく鮮明に覚えています」
坂口に「どんなに体がしんどくても、負けたとしても、自分の足でリングを降りなさい」と言われ続けてきた。坂口と岡谷に体を起こしてもらい、どうにかお辞儀をして、自分の足でリングを降りた。
試合後の引退セレモニーで、坂口と岡谷に花束をもらった。岡谷は泣きながら握手をしてきたが、坂口は握手をせず一礼だけした。
「坂口さんには、今もちゃんと挨拶できていないんです。私がサイン会をやって帰ってきた時も、もういなくなっていた。『なんとか自分の足でリングから降ろしてあげなければいけない』って、すごい責任を感じてくれていて。私なんて手が掛かるし、変な出来事も多いし、一番神経を使った後輩だと思います」
【365個の紙テープに込められた思い】試合が終わり、急いでサイン会に向かわなければいけなかった。マスコミもコメントを欲しがっている。慌てていた時、坂口に「今、時間ある?」と呼び止められた。「どう見てもないやん」と思ったが、「どうしました?」と聞くと、「岡谷から話がある」と言われた。告白されるのかと思い、ドキドキしながら岡谷の話を聞いた。
赤井さんには今まで本当にお世話になりました。今の自分があるのは赤井さんのお陰です――。
「私は道に乗せてあげただけで、そこを開拓していったのは自分なんだから、自信を持って。あと、私が聞きたいのは『俺がいるから大丈夫。任せてください』っていう言葉だなって言ったんです。そうしたら『俺に任せてください』と言われて、『すぐ言うやん!』って(笑)。そういうところが本当に可愛い」
そして、岡谷の口から思わぬ言葉が飛び出した。「赤井さんがどう思われるかわからないんですけど、すごく大事にするので、ケツァル・コアトルを使わせていただいてもよろしいでしょうか?」――。
「えー! いいに決まってるやん! 『行きまーす!』って言うの? そこは全然任せるから、という感じでした。岡ちゃんは私の性格とか闘う魂とか、価値観を理解してくれているので、『どうぞどうぞ』と」
最後に紙テープを浴びた時、「なんて私のプロレス人生は愛に溢れていたんだろう」と思ったという。DDTもファンも赤井自身も、時間が経てば変わっていく。しかし、この10年間を見届けてくれたファンの思い、彼らからもらった感情は、一生忘れることはない。この思いがあれば、これからの人生でなにがあってもやっていける、と赤井は思った。
ファンが用意した紙テープの数は、365個。365本の薔薇の花言葉は、「あなたが毎日恋しい」「決して忘れることのない愛」――。赤井はこれからDDTの裏方に回る。私たちは赤井沙希というプロレスラーがいたことを決して忘れることなく、これからも彼女を愛し続けるだろう。
【プロフィール】
赤井沙希(あかい・さき)
1987年1月24日生まれ。京都府出身。父はプロボクサーで俳優の赤井英和。2013年8月13日、DDTプロレスリング両国国技館大会でプロレスデビュー。2014年、東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」新人賞を女子プロレスラーとして初めて受賞。2023年11月12日、DDT両国国技館大会で引退。獲得タイトルはKO-D6人タッグ、全日本プロレスTV認定6人タッグ、TOKYOプリンセスタッグ、アイアンマンヘビーメタル級など。
X:@SakiAkai