松尾汐恩が明かすプロ1年目の苦悩 「正直、どうしたらいいかわからなくなったことも......」
松尾汐恩〜Catch The New Era 最終回
顔つきが変わった。まだ19歳ゆえのあどけなさは残しているが、プロとして1シーズン過ごしてきた経験と年輪は、精悍なものとして確実に表情に刻みついていた。
「今年1年、いい経験をさせてもらいましたし、自分自身の成長を感じているところもあります。本当に実りの大きいルーキーイヤーだったと思います」
横浜DeNAベイスターズの松尾汐恩は、小さく頷きながらそう語った。
今季はファームで104試合に出場し、打率.277、7本塁打を成績をあげた松尾汐恩 photo by Sportiva
DeNAが誇るプロスペクトは、今シーズンのほとんどをファームで過ごした。104試合に出場し、343打数、打率.277、7本塁打は、いずれも若手ではトップクラスの数字である。高卒からプロになって1年目、何が一番きつかったか尋ねると、松尾は「ふたつの疲労」だと語った。
「まずひとつ目は肉体的に疲れを感じることが多く、そのなかで継続的にプレーをしていく大変さを知ったことです。この状況に慣れなければ、上(一軍)で戦うことはできませんし、肉体的な部分はさらに高めなければいけないと感じています」
とはいえ非凡だと思えるのは、打撃に関して春先は打率3割超えをするなど好調な様子を見せていたが、シーズンが進むにつれ、多くの若手選手が軒並み数字を落としていくなか、松尾は打てない試合がありながらもプロのボールにアジャストし、打率2割7分台に踏み止まったことだ。
「高校の時は大会に合わせてピークをつくる作業をしていましたが、プロは1年間試合なので、そんな準備をしている暇はありません。だから調子がいい時はいいかもしれないけど、調子が悪くなるとグッと数字が下がることもありました。最初は無安打の試合が続くと落ち込むこともあったのですが、次の試合でやり返せるのがプロの世界ですし、どう修正すればいいのか、どうすれば一番いいパフォーマンスが出せるのか、予習復習の部分で、とくに後半は深く考えを持てたような気がします」
切り替えと準備。プロを目指すきっかけをくれた藤田一也選手(現・ファーム野手育成コーチ)の存在も大きかったですかと尋ねると、「はい、もちろんです!」と松尾は溌剌とした笑顔を見せた。
前半戦はプロの速く強いストレートに手を焼いていた印象だったが、シーズンが深まるにつれ、足の上げ方やトップの位置など細かな修正をし、しっかりボールに入っていけるようになった。そう尋ねると、松尾は頷きながら答えた。
「そうですね。やっぱりボールの強さは学生時代と比べて、まったく違うものでした。キャッチングの時でさえ、差し込まれていましたから。最初の頃は、なかなか前に飛ばなくて、甘いボールでもファウルにしてしまう感じで......自分は変化球のほうが合うなという感覚があったんですけど、やっぱり真っすぐを打てなければ勝負になりません。だから後半になるにつれ、速いボールに入っていく工夫だとか、どうすれば振り遅れず打てるのか試行錯誤の日々でしたし、おかげでボールの見え方はずいぶん変わりましたね。速いピッチャーの時はこうしようっていうのが明確になりました」
松尾は6月後半、一軍昇格して出番こそなかったが、2試合ベンチから先輩たちの戦う姿を見た。そこでも多くの気づきがあった。
「宮粼(敏郎)さんなど、一軍でやっている選手は、やっぱり甘いボールを一発で仕留める力がすごいなって。自分もそうならなければいけないと、いろいろ考えながらファームでプレーしていました」
【ドラフト1位のプレッシャー】そして松尾があげた2つ目の疲労は「心」である。
「キャッチャーとして考えることが多かった1年でした。まず、いろいろなピッチャーをリードしていくうえで、どうやったらベストなパフォーマンスを出させることができるのか。そういう部分で、やっぱり心の疲れというのはあったと思います」
学生時代とは比べものにならない人数の投手がおり、その特性や持ち球はもちろん、個性豊かな選手たちに寄り添うことは、並大抵のことではなかったはずだ。
そんなこともあってか、前半戦は捕手として苦労が絶えなかったという。リード以外の部分でも、4〜6月の盗塁阻止率は2割そこそこであり、パスボールも7個と精彩さを欠いた。
「あの時は、ちゃんとしなければいけないという意識が強く、自分自身にプレッシャーを与えていたような気がします。ミスをしてはいけない、エラーはダメだって深く考えすぎてしまったんです。正直、どうしたらいいかわからなくなったこともありました......。また今永(昇太)さんとかのボールを受けさせてもらっても、一線級の投手は構えたところに確実に投げてきますし、ミスが少ない。つまり打たれたら自分のせいですし、責任の重さというのを感じることができました」
ドラフト1位ルーキーとして期待に応えなければいけないプレッシャーに押しつぶされそうになったが、松尾はあきらめることなく立ち上がる。7月以降はシーズン終了まで、盗塁阻止率は4割を超え、パスボールもゼロ。はたして、このタイミングでなにが起こっていたのだろうか。
「気負い過ぎなくなったんです。自分はできないんだって受け入れることで、ようやく向き合えたというか」
松尾のそばにはいつもファームの鶴岡一成バッテリーコーチがおり、捕手として徹底的な指導を受けた。
「どうすればよくなるのか、鶴岡コーチと毎日のように探りながら過ごしました。まだまだ自分は発展途上ですし、とにかく学ぶことが大切。そう割りきることで、スローイングにしてもブロッキングにしても自分が思っていた以上に、前に進めたというか、成長することができたんです。とくにキャッチングは、一番手応えを実感した部分ですね。配球にしてもアナリストの方といろいろと話をして、そういった積み重ねがシーズン後半につながっていったと思っています。ピッチャーとのイニング間の会話もそうですけど、本当にいい経験をさせてもらったし、学ぶことが多かった1年だったと思います」
そう言うと松尾は、やり切ったような表情を見せた。
【来シーズンの目標は?】プロとなり野球漬けの1年間、なにか野球観に変化はあっただろうか。
「心身ともにきつくて、考え込んでしまうこともありましたが、そのなかで、毎日ファンの方々には応援してもらって、声援がこんなに力になるんだって感じたんですよ。応援してもらうことで、疲れが吹き飛ぶっていうんですかね」
そういえばシーズン前、松尾は「自分は注目されればされるほど力を発揮できるタイプ」と語っていたが、まさにファンの熱視線と応援が、悩める若き捕手の背中を押してくれたのだろう。
今季、個人的に一番うれしかったことはと尋ねると「(9月6日の)ヤクルト戦でのサイクル安打ですね」と笑顔を見せ、逆に悔しかったことは「打てなかったり、うまくリードできなかったり、常日頃から悔しいことばっかりですよ」と苦笑した。
青年から大人への階段を上がっているこの時期、表情ばかりか身体つきにも変化が見られる。聞けば、入団時より体脂肪は落ち、体重が3キロ増量したという。身体はがっしりと分厚くなり、確実に筋量は増え、プロの身体に近づいているようだ。
「だから打球が飛ぶようになりました。だけど、まだまだ体力をつけないと。秋季トレーニングは身体づくりがメインでしたし、しっかりとこのオフもトレーニングしていきたいと思います。えっ、自主トレですか? 先輩の戸柱(恭孝)さんと一緒にやらせてもらいます」
明るい声で松尾はそう言った。
さて2年目の来シーズン、目標は何になるだろう。
「やっぱり一軍にずっといることですね。さらに言えば、試合に出て、活躍することを来年は目指したいと思います。そのためにもオフからしっかり準備して、いい状態でキャンプを迎えられるよう頑張っていきたいと思います」
理想に掲げる"走攻守揃った新しいタイプの捕手"になるため、松尾汐恩の戦いと歩みは、これからも続く──。
松尾汐恩(まつお・しおん)/2004年7月6日、京都府生まれ。小学1年から野球を始め、中学では京田辺ボーイズに所属し、3年夏はボーイズ日本代表メンバーとして世界大会に出場して優勝。大阪桐蔭高では1年秋からベンチ入りを果たし、2年春のセンバツ大会から4季連続して甲子園に出場。3年春に全国制覇を達成した。高校通算38本塁打を放ち、22年のドラフトでDeNAから1位指名を受け入団。23年9月6日のイースタンリーグのヤクルト戦でサイクル安打を達成し、リーグ特別表彰を受けた