韓国人Jリーガーインタビュー 
チョン・ソンリョン(川崎フロンターレ) 後編

川崎フロンターレのGKチョン・ソンリョンをインタビュー。在籍8年。クラブの多くのタイトル獲得に貢献してきた彼が、近くで見てきた現在の日本代表選手たちや、日本サッカーの進化について語った。

前編「チョン・ソンリョンが日本の生活で驚いたこと」>>

【側で見てきた日本代表選手たち】

 2016年シーズンから川崎フロンターレに加入後、「シルバーコレクター」とも言われたチームは翌2017年にJ1リーグで初優勝を果たした。翌2018年はリーグ、2019年はリーグカップ、2020年はリーグと天皇杯、2021年はリーグを制した。チョン・ソンリョンはいずれのタイトルにもGKとして貢献している。


川崎フロンターレの多くのタイトル獲得に貢献してきたGKチョン・ソンリョンが日本サッカーについて語った photo by Kishiku Torao

 この間「自分がJリーグに来る前後から世界のトレンドになり始めた」という、高い守備ラインに合わせ、時にGKがビルドアップにも加わるプレースタイルにもチャレンジしている。鬼木達監督が望むものだからだ。

 その鬼木監督をして、わずかシーズン3敗で優勝を果たした2020年シーズン当時、「(チョン・ソンリョンについては)来日してから、僕のなかでは今年が一番いいと思います」と言わしめた。

 高い貢献度も、本人は「日々、練習を繰り返し、選んでくれた監督やスタッフ、ほかの選手やサポーターに『プレーで示す』ことを考えてきた結果」と謙遜する。

 とはいえ、クラブの歴史が大きく変わった時期の当事者であることは確かだ。その間、多くの日本人チームメイトが代表に、そして欧州に旅立つのを目にしてきた。

 特に共に過ごした時間が長かったのは、チョン・ソンリョンの入団翌年から2021シーズン途中まで在籍した田中碧(現デュッセルドルフ)だった。

「全体練習後、僕の横でずっと筋トレをやっていたんですよ。最初にチームに来た時はU−18から昇格したばかりということもあり、まだパワーで負けていて試合に出られなかったですね。

 でもある時点で変化が現れた(田中の在籍3年目、2019年にリーグ戦24試合に出場)。筋力強化を継続的にやったからです。コツコツとやっていましたよ。その姿を見ていました。技術的な点だけではなく、押されても倒れない体や、シーズンの後半でもケガをしない体ができていったんですよ」

 2020年には旗手怜央(現セルティック)、三笘薫(現ブライトン)の2人が入団してきた。

「旗手怜央は、体は大きくないけど、ボール扱いがうまくシュート力もありました。川崎では攻撃もやり守備もやった。双方を経験したことは、彼の今後のキャリアに必ずプラスになると思いますよ」

「三笘は...練習中もなかなかボールを奪われないんですよね。入団したあとも技術的にぐっと成長していった印象です。チームメイトとしても、彼にボールが渡るとアシストであれ、ゴールであれ、何かをしてくれる感じはありました」

【パスサッカーの浸透に驚き】

 そしてチョン・ソンリョンの川崎での8年間を感じさせるのは、若き日の板倉滉(現ボルシアMG)の姿も目にしていることだ。2016〜17年と共に在籍している。この2年間わずか7試合出場の若手だった。

「まだ若かった頃、2年だけ一緒にプレーしました。まだ"子ども"でしたよ。パワーはあまりなかったけど、身体的能力やスピードはありましたね。川崎ではセンターバックとして攻撃的なパスの展開や、組み立て。つまりはパスサッカーを基本的に学んだことがのちのヨーロッパのキャリアでも大いにプラスになったと思います」

 さらにチョン・ソンリョンは、この8年間のJリーグ全体の変化についても感じるところがある。驚きの感情とともにだ。

「J1ではリーグ戦の上位下位に関係なく、チームでもしっかりとパスを繋ぐサッカーをやるでしょう? 世界的に見てもこれは本当に驚くべきことです。変化はここ2〜3年で起きていると思うんですよね。湘南ベルマーレは今季、最終節を前に残留を決めましたが、しっかりと繋ぐスタイルを実践してきた。私が川崎に入団した頃は、確か堅守から長いボールを多用するサッカーをしていたように思います。

 育成世代の強化の成果が出ている影響もあると思います。川崎でも時々U−18の選手が入ってきて、トップの選手に混じって練習試合をやります。パワーは弱いけど、ちゃんと川崎のサッカーをやろうという意志は感じられる。状況の把握能力が高いんですよ。これはここ数年で出てきている傾向ですね」

 もちろんこの8年間のすべてが良い時間だったわけではない。2019年には正GKの座を新井章太(現ジェフユナイテッド千葉)に奪われた。今季も4月23日の第9節の浦和レッズ戦から7月1日の第19節名古屋グランパス戦まで上福元直人にポジションを譲った。

「どんな状況でもつねに競争だと思っています。チームがうまくいっていない時、チームがうまく機能していない時に、選手を替えるのは監督の判断ですし。自分自身の力が足りなかったから、交代になった。

 過去にもこういった時期はありましたが、同じことですよね。不足している部分を補うために練習して、試合に出ている選手をサポートする。まずはチームが優先ですね」

【周囲への配慮へ感謝】

 日本でのキャリアがここまで長くなることは本人も想像してこなかった。だからこそ、本人は長く在籍するクラブに強い愛情と感謝を口にする。それは「ピッチ外」のコンビニやエスカレーターで感じた「配慮」への感謝にも通じるものがある。

「フロンターレの雰囲気にも救われてきました。ここの雰囲気は良いですね。自分は外国人選手で、プレーで示さなくてはならないという自覚は常にありますが、それでも入団した時から周囲が日本への適応のために助けてくれた点は忘れてはなりません。

 チームは穏やかな雰囲気のなかに、登里享平のような面白い選手もいる。喧嘩や対立も少ない、本当にすばらしい場所だと思っています」

 ここまでフロンターレで刻んだ出場試合数は240(第33節終了時)。「300試合は出たいな」と思っている。何よりもまず、1年1年をしっかり過ごしていきたい。

 来年の1月4日には39歳になる。プレー年齢のロールモデルは、幼き日に見た2002年W杯世代の自国GKだ。金秉址(キム・ビョンジ)は46歳までプレーした。
(おわり)

チョン・ソンリョン 
鄭成龍/1985年1月4日生まれ。韓国京畿道城南市出身。済州島の西帰浦高校から2003年にKリーグ浦項スティーラースに入団。2008年から城南一和、2011年から水原三星でプレー。2016年に川崎フロンターレに移籍し、クラブの数々のタイトル獲得に貢献。Jリーグベストイレブンにも2度選ばれている(2018、2020年)。韓国代表では2008年北京五輪、2012年ロンドン五輪に出場。ワールドカップは2010年南アフリカW杯、2014年ブラジルW杯に出場している。