斎藤佑樹が日本シリーズでプロ入り後最速の147キロをマークするも「右腕がまったく上がらない。これはヤバい...」
連載「斎藤佑樹、野球の旅〜ハンカチ王子の告白」第43回
プロ2年目の2012年、後半戦最初の先発でノックアウトされた斎藤佑樹は酷暑の8月、ファームのデーゲームで4試合を投げた。しかし思うような結果を出せず、ローテーションへ戻れないまま、ファイターズは栗山英樹監督のもとでリーグ優勝を果たす。クライマックスシリーズも勝ち上がったファイターズは、日本シリーズでジャイアンツと相見えることになった。
巨人との日本シリーズ第5戦で登板した斎藤佑樹 photo by Sankei Visual
あのシーズンは栗山監督に開幕投手を任せてもらいながら、後半はまったくチームの力になれませんでした。それでも日本シリーズではメンバーに入れてもらっていたので、チャンスがあったら頑張ろうと思っていました。
ただ、シリーズ前もボールが指にかからない感じがあって、なかなか思うような球が投げられません。当時、「投げていて筋肉がなくなって、どこかにいっちゃう感じがある」とコメントしていたと聞きましたが、それは、たとえばバッティングの時、真っ芯で捉えるとスコーンとバットが抜けて手にボールを打った重さが残らない時の感覚に似ていました。ボールが抜けて指にピシッとかからないと、使うべき筋肉が作動しない、という感じです。指にかからないからボールが抜けて、筋肉をうまく使えていない......そんな状態でした。
チャンスが巡ってきたのは、札幌ドームで行なわれた第5戦の8回表です。その時点で2−8とファイターズは大量リードを許していて、このまま負けたらファイターズが2勝3敗となって王手をかけられる、そんな場面でした。
僕は5番手としてマウンドへ上がりましたが、じつはブルペンで投げている時にはもう右肩に痛みを感じていました。休んでいると痛みが強くなったので、何度もキャッチボールを繰り返さなければなりません。
最初の回は3者凡退(松本哲也、坂本勇人をセカンドゴロ、村田修一をファーストライナー)に抑えましたが、イニングの合間にも肩を冷やさないよう、キャッチボールを続けていました。
9回表は鈴木尚広さんと松本さんに打たれて2点をとられましたが、じつはあの試合の真っすぐ、147キロ(プロで自己最速タイ)が出ていたんです。なぜか突然、ボールが指にかかって、「うわっ、この感覚、いいな」と思って投げられました。久しぶりにこの感じがきたな、うれしい、でも肩が痛い、でもうれしい、いい感覚だからこのまま投げ続けたい......そんな気持ちだったことを覚えています。
その日、投げ終えてアイシングした時はいい感覚で投げられたこともあって、これはいいハリが出ているんだろうなと思っていました。だから、あの時に痛めたという1球があったわけではありません。右肩はずっと、ちょっと痛かった。でも投げ続けて肩が暖まってくると麻痺してくる感じもあって、投げられたんです。
投げた日の夜は筋肉痛がくるもので、あの日は2イニングしか投げていないのにまるで完投したあとみたいな感じでした。気持ちいい、というところまではいきませんが、スピードも出たし、投げ終わったらこんな感じのハリだよね、と思っていました。
ところが次の日の朝、起きたら気持ちのいいハリなんてものじゃなくて、もう、激痛が襲ってきました。右腕がまったく上がらないんです。歯を磨く時も痛くて、コップを持ち上げようとしたらズキンと痛む、シャンプーもできない......これはヤバいと思いました。
シャドーピッチングしようとしたら腕を振るどころじゃない。やっちゃったかもしれないとドキドキしながら、でも自分のなかでは147キロを投げられたのは久しぶりだったから仕方ない、指にいい感じでかかった時は肩にも負担がかかるよな、そのうち回復するよ、と思いたい気持ちもありました。すぐにトレーナーに報告して、まずは様子を見ようということになりました。
【診断結果は右肩の関節唇損傷】それでも右肩の痛みはなかなか回復しません。沖縄での秋季キャンプが行なわれた11月になっても痛みは回復せず、これはいくらなんでも回復が遅すぎると思い始めました。11月半ばには翌春にWBCを控えていた日本代表とキューバとの試合が組まれ、僕もメンバーに入っていました。それも辞退せざるを得ません。
そして11月の終わり、医者から『右肩の関節唇損傷』と診断されてしまいました。同時に「関節唇を傷めた野球選手は多い、とくにピッチャーは7割くらい痛めている」「手術しないと剥がれている軟骨はくっつかないけど、それが剥がれていても痛みが出なければ投げられる」「ちゃんとしたポジションに関節が収まっていれば痛みは出ないはず」「そうなったら手術しなくても大丈夫」と、丁寧に説明していただきました。
それ以外にも、棘上筋のささくれとか腱板の損傷とかが複合的に合わさった痛みではあったのですが、まずはすべての炎症が収まって、ポジションを元に戻すことができれば年明けから投げられる......そんなふうに理解して、これは大丈夫なんだ、まずは肩を2カ月休ませてしっかりケアをしようと考えました。
炎症が治まるのを待つだけの2カ月、僕はジッとしていられなくて、ひたすら走ったり、下半身のトレーニングをしていました。キャンプが始まる2月1日には炎症が治まっている、痛みは消えているはずだと信じて、肩は休める、ほかは鍛える毎日です。
いま思えばそれだけで我慢すべきだったと思うんですが、僕もパニックに陥っていたんでしょうね。医学的にはこれは7割はやっている症状だからそんなに深刻じゃないと聞かされたはずなのに、「キャンプまで時間がないから早く治さないと」と焦って、治してくれると言ってくれたいろんな人のところへ足を運びました。
みなさん、治してくれようという気持ちはすごく強かったんですが、そのなかには「3日で治す」と言ってくれた人がいて、じゃあ、と思って通ったら3日で治らず、「1週間は必要だった」と言うからさらに4日通ったのにそれでも治らず......そんな経験もしました。
時間がかかるからじっくり地道に治そうと言ってくれた人もいましたが、僕のほうが焦っていたので、それでは意味がないと思ってしまったり、そんなところでも勉強になった2カ月だったと思います。
【名トレーナーとの再会】いよいよプロ3年目のキャンプが始まるという(2013年)1月末、これはしばらく投げられそうもないな、と覚悟しました。マネージャーから連絡があって「一軍スタートできそうか」と聞かれたので「難しそうです」と答えて、二軍スタートが決まりました。
キャンプ前日の1月31日、(沖縄県)国頭のホテルへ着いたら、そこで「斎藤、久しぶり」と声をかけられます。それが中垣征一郎さん(現在はオリックス・バファローズの巡回ヘッドコーチ)でした。
中垣さんは僕が入団する前の2010年までファイターズのチーフトレーナーをしていたんですが、僕と入れ違いでチームを離れ、その後はダルビッシュ(有)さんの専属トレーナーとしてアメリカへ行っていました。ただ、僕は中垣さんとは面識があって、この年、ファイターズにトレーニングコーチとして復帰した中垣さんと久しぶりの再会を果たしたというわけです。
中垣さんは会ってすぐ「斎藤、明日はどうする?」と訊いてくれました。だからこれまでの流れについて説明したら、いきなり「うつぶせになって」と言うんです。すぐにうつぶせになったら、今度は「そのままバンザイして、左腕を上げてみて」と......左腕はスッと上がりました。「じゃあ、右腕を」と言われて上げようとしたら、まったく上がらない。それどころか、どこに力を入れたらいいのかさっぱりわからなかったんです。僕、もうビックリして「あの〜、動かし方がわからないんですけど」と言ったら、中垣さんは「ああ、大丈夫、大丈夫、だいたいこんなもんだから」と、すべてわかりきっていた、という顔をしたんです。
で、背中を触って、腕を触って、あれは神経を刺激したんですかね。そうしたら、右腕がちょっと動くようになって......あれは衝撃でした。それまでの2カ月、いろんな人に診てもらって、起こっている身体のエラーを自分なりに把握していたつもりでしたが、ちっともわかっていなかったんです。
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右肩を痛めた斎藤は、中垣とともに時間をかけて復帰を目指そうと腹を括った。その年の国頭の二軍キャンプには、ドラフト1位でファイターズへ入団した大谷翔平がいた。大谷が動くたび、たくさんの報道陣がゾロゾロと大移動を繰り返す。2年前、そんな人だかりの真ん中にいた斎藤の周りは一気に静かになっていた。
(次回へ続く)