名の売れた芸人でも、M-1の予選を勝ち進むのは難しい(写真はイメージ。写真:ペイレスイメージズ1(モデル)/PIXTA)

年末恒例の漫才コンテスト、「M-1グランプリ」。このコンテストをゼロから立ち上げた元吉本興業の谷良一氏が舞台裏を書き下ろした著書『M-1はじめました。』が刊行された。

放送作家の山田美保子氏は、M-1決勝戦を会場で4回見たことがある”ギョーカイ人”だが、山田氏にとっても新しいM-1の見方を本書は教えてくれるという。

何しててもM-1が頭の片隅にある

11月26日、「ワイドナショー」(フジテレビ系)がトップで扱ったのは「M-1グランプリ2023」(テレビ朝日系)の話題だった。


「局は違うんですけど、オズワルドがいるからやっぱりね」と始めたのはMCの東野幸治。

ゲストとして、今年のM-1で準決勝を突破したばかりのオズワルド・伊藤俊介が来ていたからだ。

「この時期はM-1のことがつねに頭のどっかにあるってカンジですか?」との東野の問いに「何してても頭の片隅にありますよね」と伊藤。

「名前のある人が、けっこう(準決勝で)落ちてる……」と同番組で指摘したのは、M-1決勝戦のMCでもある今田耕司だ。

「若い人が出てきたと感じられる。僕らはもちろん知ってますけど、皆さんご存じない芸人さんがどんどん出てきてるカンジがする」と伊藤は説明し、今田は「(彼らは)M-1対策してるもんね」と。

近年、バラエティ番組で見ない日がないようなコンビが予選で勝ち進めないのがM-1。この大会のために仕事をセーブしたり、手弁当で全国を回り、ライブをしたりして力をつけ、臨んでいるコンビもいる。

ライブと路上で力をつけたNON STYLE

それで思い出されるのは2008年に優勝したNON STYLEだ。

まだ本格的に東京進出を果たせていなかった頃のこと。筆者は大阪の読売テレビの深夜の番宣番組で彼らと数年間、共演していた。同年の夏、「M-1グランプリで優勝したいんですツアー」と銘打ち、NON STYLEは全国6都市でライブを行っていた。

NON STYLEの石田明曰く「まったく話題にならなかった」「誰も取り上げてくれなかった」。

そんなたくさんの悔しい想いを胸に臨んだM-1グランプリ。私はNON STYLEのネタのときにしか笑わないと心に決め、決勝戦の客席に座っていた。

だが、そんな無理をしなくてもいいほど、彼らの1回戦のネタの出来はすこぶる良かった。終わった瞬間、思わず、「よし!」と声を上げたところ、MCの上戸彩が「いま、ファンの方からも『よし!』という声が上がりましたね」と拾ってくれたのは最高の想い出だ。その年のM-1で、彼らは優勝した。

同年を含め、計4回、決勝戦を会場で見させてもらっている。審査結果に関しては、出場者やファン、観客、そして審査員それぞれに“想い”があるのは皆さんご存じのとおりだ。テレビで見ている人たちと、会場で見ている人たち、そして客席の熱量や笑いの大きさを目の当たりにしている審査員たちとでジャッジが微妙に異なるのは当たり前のこと。

さらに、島田紳助氏の想いを受け継いだダウンタウンの松本人志が何点をつけるのか、どんなコメントを残すのかは、出場者の胸にもっとも刺さる点だと思う。

吉本の劇場に貼られる優勝芸人の写真

11月26日の「ワイドナショー」で今田耕司は「今、吉本(興業の所属タレント)が優勝してないんですよ、何年か。だから生放送、終わって、裏で(吉本の)社員がものすごい空気になってんねん」と言っていた。

受けて、吉本興業所属のオズワルド・伊藤は「僕らが準優勝だったときも(SMA所属の)錦鯉が優勝して、次の日からルミネ(theよしもと)に写真が貼られるんですよ。『目に焼き付けろ』みたいになってる」と。昨年の覇者は爆笑問題が所属するタイタンのウエストランドだった。果たして今年は吉本の巻き返しとなるだろうか。

今年の決勝は12月24日。午後3時から午後6時30分までが「敗者復活戦」で、そのまま決勝に入り、午後10時10分まで、約7時間ぶっ通しでテレビ朝日系にて放送されることとなった。

お笑いファンのみならず、年末の風物詩として多くの人が話題にし、優勝者には毎年“M-1ドリーム”と呼ばれるくらい多くの仕事が舞い込むほどの影響力を持つ「M-1グランプリ」。

そのルーツを記した『M-1はじめました。』(谷良一著)が売れている。帯に一文を寄せたのは島田紳助氏。「M-1は、私と谷と2人で作った宝物です」とある。片側には「崖っぷちから始まった起死回生の漫才復興プロジェクト」と記されている。

放送作家も知らなかった「漫才・冬の時代」

1980年代の漫才ブームから近年まで、ずっと“お笑い番組”があり、多くの漫才師が売れっ子になっていった印象を、バラエティ専門放送作家である私でさえ持っていたのだが、実はM-1がスタートする前は、吉本の各劇場でさえ漫才を行うことが禁じられるほどの「漫才・冬の時代」があったという。

1981年に吉本興業に入社し、横山やすし・西川きよし、笑福亭仁鶴、間寛平ら同社のトップスターを担当するマネージャーを経て、「なんばグランド花月」などの劇場プロデューサーや支配人、テレビ番組プロデューサーを務めるなど、花形社員だった谷良一氏。

そんな谷氏と私は『恋のから騒ぎ』(日本テレビ系)で初めて一緒に仕事をした。私は放送作家の一人で、氏は吉本側のプロデューサーだった。

その後、谷氏が大阪に戻り、本人曰く“窓際”だった頃、上司から言い渡されたのが「人気低迷中の漫才を立て直せ! 谷には漫才プロジェクトのリーダーをしてもらう」ということだった。リーダーというからにはチームがあって、何人かの部下が充てられると思いきや、「他に誰がいるんですか?」と上司に問うたところ、答えは「お前ひとりや」……。

困り果てた谷氏が「なんか知恵を貸してください」と訪ねたのが島田紳助氏だった。

帯に一文を寄せただけでなく、「あとがき」の前に「谷と作ったM-1」という5ページにもわたる文章をつづった紳助氏。「私ひとりが手柄を取ってるような後ろめたい気持ちがあり……」と氏が記すように、“表”の紳助氏の提案を一人で動き、一人で作り上げた“裏”の谷氏のことを紳助氏はずっと忘れていなかった、というより、心に引っかかっていたという。

2001年にM-1が創設されてから10年間、プロデューサーも務めていた谷氏が裏方として見てきた大会。紳助氏の数々の言動はもちろん、他の芸人やテレビ局のカリスマプロデューサーらの名前などを読んですべて理解できる私のような年代と立場の者はもちろん、すべてのお笑いファン、そして芸人に読んでもらいたい一冊が『M-1はじめました。』である。

“窓際”を自覚したビジネスマンの挑戦

いわゆる“ギョーカイ本”だと思うなかれ。一度は“窓際”を自覚したビジネスマンが、しゃべくりや、人と人とのぶつかり合いから生じる漫才のパワーを信じ、パッションを忘れず、いまや“文化”として定着した「M-1グランプリ」創設にチャレンジしたビジネス・ノンフィクション大作であり、すべてのビジネスパーソン必読の書でもある。

「プロジェクト・マネジメント教書」「マーケティングの実例の本」と専門家も推薦文を寄せている。

「M-1グランプリ2023」開催前にぜひ、手に取っていただきたい一冊。大会を2倍、3倍、面白く観られることは間違いない。

(山田 美保子 : 放送作家、コラムニスト)