『新しい市場のつくりかた』の著者は『M-1はじめました。』には「組織で仕事をする知恵」が満載だと語る(Digitalian/PIXTA)

年末恒例の漫才コンテスト「M-1グランプリ」の決勝戦に向けて世間の期待と漫才熱が高まる中、2001年にM-1を立ち上げた元吉本興業の谷良一氏がM-1誕生の裏側を初めて書き下ろした著書『M-1はじめました。』が刊行された。

谷氏がつくったM-1という新しい「文化」は、漫才ブームという新たな市場の創造につながった。この過程をロングセラー『新しい市場のつくりかた』の著者で専修大学の三宅秀道准教授はどう読み解くのか。

今回は前編をお届けする。

日常語になった、話の「つかみ」と「枕」

経営者の方に、商品開発の裏側とか組織運営の苦労など、立ち入った話を聞くことが多い。


少しでも話が弾むように、こちらも「御社の商品をむかしは誤解して間違った使い方していました」なんて、自分の失敗談から切り出したりする。すると「あー、ときどきそういうユーザーの声を聞くんで、うちもパッケージをわかりやすくしたんですよ」とか、和やかかつ速やかに本題に入ることができる。

大学の授業ももちろん出だしから工夫する。

4月の第1週の本当の初っぱなに、「とうとう春休み終わっちゃったなあ……。早く夏休み来ないかね。温泉行きたい。近頃はインバウンドが戻ってきたから、箱根にも新しいタイプの土産物屋さんが出てきた。行ったことある?」なんて近況ネタをつかみにして、ひとしきり旅行の思い出を枕にする。

そこから「ポストコロナ時代の新しいライフスタイルとサービス商品開発」の話につなぐわけだが、間違っても「今日のテーマはポストコロナの……」なんて硬い始め方はしません。

いま何気なく「つかみ」とか「枕」という言葉を使ったが、これらはかつては噺家たちの使う符丁だった。

それを関西出身のお笑い芸人たちが、自分たちのテクニック自体もネタにしたことで世の中に広めた。例えば「なんでここでツッコマヘんのや」とボケがぼやくことで、観客は笑いどころを意識しやすくなるわけである。

そうやってお笑いリテラシーが社会的に向上したことで、ますます精緻なネタが理解されやすくなり、芸人たちが競って技を磨いていった。その原動力のひとつが、本書でその立ち上げのプロセスが紹介される一大興業イベント、「M-1グランプリ」である。

ショービジネスの商品開発の好事例

著者は吉本興業社員としてM-1を立ち上げた人で、本書はその困難と達成を克明かつ詳細に記述している。ショービジネスにおける商品開発のケーススタディでもあり、若手芸人たちの生態を描いたドキュメンタリーでもあり、裏方から見たお笑い論、とも言える。

いまとなっては往事夢の如しだが、確かに2000年頃の漫才は停滞期にあった。本書によると、ダウンタウンのフリートークに憧れた大阪の若手漫才師がみんなダラダラしたおしゃべりをしてしまい、劇場で漫才禁止令が出ていたという。いわばある天才が起こしたイノベーションのインパクトで、業界が混乱に陥っていた。

その状況で、著者には改めて漫才を盛り上げようというプロジェクトが任された。

さまざまなアクシデントを乗り越え、M-1の第1回開催に漕ぎ着けるまで、読んでいて息苦しくなるような手探りの模索が続く。

驚くことにこのイベント、2001年の春頃の島田紳助氏のひとことで着想されて、その年の暮れにはもう第1回の決勝戦である。そんな短期間でも、関係者の意図が交錯し、利害が衝突し、感情もぶつかる。

手蔓を辿って協力者を探し、時に怪しい業界人も絡み、思惑がすれ違ってはまたまとめ直し、説得に説得を重ね、だんだんと構想がかたちになっていく。

吉本社内でも、マネージャーとして芸人の奮闘を間近で見ていない人材は当初あまり協力的でなかったとか、ああそういうことはあるだろうなと身につまされる。

それでもなんとか前に進んでいくのは、なんだかんだいって関係者の多くが、漫才自体の面白さ、可能性そのものは確信しており、この漫才という文化を好きなんですね。だから一度は下火になった、この文化を盛り上げようとする熱意が挫けなかった。

大成功したM-1でさえも手探りだった

もちろん、情熱だけではない。


画期的な新商品、サービスは、その革新性ゆえに可能性を言葉で説明しにくい。従って組織内で必要な支援も得られにくい。そんなときに必要な人材、予算などの経営資源は、いろいろとアクロバティックでイレギュラーな調達方法を採用することにもなる。

このとき、管理者があまり杓子定規でなく、時には柔軟な対処をしてくれればよいが、そのためにはまめに進捗を報告して感触をよくしておくとか、やっぱり大事なんだよなあ、というような「組織で仕事をする知恵」がそこここに記録されている。

新事業を立ち上げようとするビジネスマンにとって、「ああ、あの大成功したM-1でさえも最初はこんな手探りだったんだから、未知に取り組むっていうのはこういうもんだな」と励まされるケースとして、実に読み応えがある。

(後編は11月20日に公開予定です)

(三宅 秀道 : 経営学者、専修大学経営学部准教授)