くり返しつくりたくなる常備菜のアイデアで、幅広い層から支持されている料理研究家の飛田和緒さんが、これまで暮らしてきた家について語ります。現在の住まいは、三浦半島の海辺の町。実家は東京・大田区の元旅館だった建物でした。その後、さまざまな住まいを経験。料理研究家となって、自然豊かな環境で暮らしたいと、神奈川県の海沿いの町での家探しがスタートした話や、その後の自宅購入の経緯も。

実家〜学生時代:おもに東京の実家&その近所で生活

東京生まれ、東京育ちの飛田和緒さん。生まれてから中学校を卒業するまでの15年間、東京・大田区で祖父母と両親の二世帯暮らしでした。

実家は祖父母の代に購入した、元旅館だった建物。外壁にはツタが絡んでいて、室内の壁は濃い色の板張りで、全体的に暗い印象。そのうえ、昔の照明だったため、余計に暗さを感じていたそうです。

「子どもの頃は家がとても怖かったんですよ。古くて暗いし、お化け屋敷みたいで。災害が起きたらすぐに壊れてしまうんじゃないか、というくらい。よくいえば趣があるともいえるんですが…」

半地下があり、そこには当時絵を描いていた祖父の作品や、絵のモデルとなる像などが置いてあったため、なるべくなら立ち入りたくないスペースだったそう。しかし、その半地下にお風呂があったため、「幼い頃はあまりに怖くて、ひとりでお風呂に入れませんでした」。

 

その後、父親の仕事の都合で、高校の3年間だけ長野に移り住むことに。両親はもともと、自然豊かで静かな場所で暮らしたいと思っていたそう。

長野では、山のふもとの交通が不便な場所に土地を購入しましたが、通学する飛田さんのことを考えて、3年間は市内の便利な場所で賃貸暮らしをすることに。「システムキッチンといった設備が新しくて新鮮でしたね」。両親はその後、長野に購入した土地に家を建てて、今でもそこで暮らしているそうです。

高校を卒業して、ひとりで東京に戻ってきた飛田さん。祖父母の家に戻ることもできましたが、ひとり暮らしがしたい、とアパートを借りることに。条件は、学校に通いやすい、実家に近い、最寄り駅に近い、家賃が予算内、だったそう。

「最初は1DKのアパート。そこまで経済的にゆとりもなかったし、家自体にこだわりを持って探してはいなかったですね。たまに、おばあちゃんからおこづかいをもらえるのはありがたかったかな(笑)」

社会人〜結婚後:東京を離れ、神奈川の海沿いの町に

その後、社会人になり何回か引っ越しを経験するも、実家の近くに暮らし続けた飛田さん。生活するのに精いっぱいで、家を快適にしたいという気持ちを、持つ余裕はなかったと言います。

「当時はバブルで、遊んでばかり。家にはほとんどいなかったし、帰ってきて寝るだけの場所。全然窓もあけていなかったし。今思うとひどい環境でしたね(笑)」

 

そもそも、家にこだわりがなかったと話す飛田さん。しかし、料理家として忙しくなり始めてから、「撮影でカメラマンや編集の方が自宅にいらっしゃるから、もう少しリビングダイニングが広い方がいいな」と思い始めたそうです。

結婚後に引っ越した2軒目の家は、キッチンに窓があり開放感があったことが、借りる決め手に。

 

その後、東京を離れて自然豊かな環境で暮らしたいと、神奈川県の海沿いの町での家探しがスタートします。「海の近くというのは私の希望です。長野の両親の家に行けば山はあるから、私は海がいいと思って」。

都内から神奈川へ何度も通ううちに、現在住んでいるエリアが夫婦にとってベストな場所だとわかり、地元の不動産会社に探してもらうことに。

 

結果、2年かけて見つけた物件は、キッチンに窓がある賃貸の一戸建て。「キッチンは個室になっていましたが、大きな窓があって。料理をしながら、外の緑が見えるのが気持ちよかったですね」。

 

リビングダイニングも広い間取り。家全体が明るく、富士山が正面に見えて、見晴らしも最高でした。その家に満足していたので引っ越す気はまったくなかったという飛田さん。地元の人々と交流するうちに、とある家族と知り合い、家を行き来する仲に。

「そのご家族から『引っ越したいから、この家を買わない?』って」。外観や室内の装飾はもちろん、正面には大島、右手に伊豆半島、左手に三浦半島を望めて、電線などの視界をさえぎるものが一切なく、海が眺められるその家が気に入り、「タイミングかなって思って、じゃ、買いますって話になったんですよね」。

購入後〜現在:家のメンテはお金がかかる!

それまでずっと賃貸暮らしだったので、「あまり知識もないままに、買うことを決めました。でも、家を買うって大きなお金が動くから、じっくり考えると心配事が増えちゃって買えなかったかもしれないって、今は思います」。

 

購入した家には前のオーナーの持ち物がいろいろと残されていたそうですが、そのまま飛田さんが使用したり、ほかに欲しい人がいたら譲ったり。大規模なリノベーションは行いませんでしたが、キッチンとリビングの一部、2階の一部、それから地下のガレージに通じる階段を新調しました。

「本当に最低限のリノベでした。私たちにとっては高い買い物だったので、そこまで手が回らなかったんですよね」

 

住み始めて分かったのは、外回りのメンテナンスが大変なこと。木製のウッドデッキは雨風で腐敗してしまい、今までに3回ほど修繕しているそうです。

また、台風で屋根瓦が飛んでしまったので、屋根を全部張り替えたり、水回り設備の不備でキッチンのタイルが水浸しになって貼り替えたり。

「本当は壁を塗り替えたいんですけど、外の工事で手いっぱいだから、あと回しになっています。今の家に住むまではずっと賃貸だったから、こんなにメンテナンスにお金がかかるなんて…。そのために頑張って働いているようなものですよ(笑)」

 

この春、長女が大学進学を機に家を出て、関西でひとり暮らしをすることに。「これから、少しずつ変わっていくのかな」と飛田さん。今はクルマを使う生活ができているけれど、いつかは免許を返納しないといけないときが来る、とも。

「この家が気に入っているので、しばらくの間は新たな物件を探す気はないけれど、かといってここを終の住処にするつもりもありません。この先、娘といっしょに暮らすこともないかな、とも思います。よっぽどお金に困っていたらわからないけどね(笑)」

●飛田和緒さん
料理家、東京都出身。59歳。現在は、神奈川県の三浦半島にある海辺の町に暮らす。バレエ鑑賞が趣味で、東京文化会館の建物や音楽資料室がお気に入りスポット。くり返しつくりたくなる常備菜は、幅広い層から支持されている。近著におべんとうや朝ごはんの記録をつづった『おいしい朝の記憶』(扶桑社)など著書多数