日下アナ(左)と田丸昇九段

 将棋の藤井聡太竜王が、手に汗握る接戦の末、前人未踏の8冠制覇を果たしました。藤井さんのアイドル的な人気から、将棋のファン層が若い女性たちへも急激に広がっていきました。全国の将棋スクールには女性の入門者が増えているそうです。

 冷静に頭脳を使って勝負する将棋には、人生を強く生きるためのヒントがあるように思えます。今回は「ライオン丸」というニックネームで知られる将棋棋士・九段の田丸昇さんにお話を伺いました。

――藤井聡太竜王の8冠達成の対局をどのようにご覧になりましたか?

「2020年の初タイトル獲得以来、19期連続でタイトル戦で勝ち続け、ついに八冠達成とは前人未到の大偉業です。でも、藤井さんはそれで満足していません。強くならないと見えない景色があると、かつて言っていました。現在はそれがまだ見えていないと思います」

 田丸さんは、長野県出身。将棋を始めたのは小学校6年生の夏休みでした。当時、100万枚を超える大ヒットとなった村田英雄さんの歌『王将』に出てくる「吹けば飛ぶような将棋の駒に賭けた命を笑うなら笑え」といった歌詞に感動したことがきっかけだそうです。

 子供の頃の趣味はプラモデルと時刻表づくりで、一人で黙々と作業することが好きでした。将棋を始めて1年半ほどでプロを夢見るようになり、奨励会(棋士養成機関)で7年の修行を経て、1972年、四段に昇進してプロ棋士になる夢が叶いました。

――田丸さんは以前、『伝説の序章―天才棋士 藤井聡太』(清流出版)という本を書かれていますが、藤井竜王にはどのような印象をお持ちですか?

「将棋界の大谷翔平と言ったところでしょう。スケールが違います。彼はこれまでのさまざまな記録をどんどん塗り替えてしまいました。

 ただ、ここまでまったく挫折がないところが心配です。趣味は鉄道のほかに、チェスの問題を解くことだそうですが、将棋で頭を使い、さらに趣味でもチェスの問題を解いて頭を使うとは、やはり凡人とは違うのでしょうね」

――田丸さんは、プロ棋士と将棋雑誌の編集長という二足の草鞋だったそうですが、長い将棋人生は、おおむね順風だったのでしょうか?

「そんなことはないですよ。奨励会で低迷した20歳前後の3年ほどが、いちばんつらかった時期です。壁を感じてふてくされていました。当時は、ナンパしたりカメラに凝ったりと、遊んでばかりでした。クラシック音楽にもはまりました。自我が目覚め、よく書物を読んで、社会に対していろいろ考えるようになりました。

 でも、この苦しかった経験が後の人生に活きています。いろいろなものにアンテナを張るようになり、バランスを取りながら生きていけるようになりました。

 また、出版にも興味があったので、その頃から編集やライターのアルバイトを始め、将棋好きな芸能人やスポーツ選手、文化人らを100人以上、取材しました。

 井上陽水さんや吉田拓郎さん、吉永小百合さん、長嶋茂雄さんら、当時の写真がたくさん残っています。2001年から2003年は『将棋世界』という雑誌の編集長も任されるようになりました。出版の仕事は共同作業が楽しいですね。将棋に関する著書は、これまで30冊以上、出しています」

――スランプを抜けたのはいつ頃ですか?

「20代の後半からは上昇気流に変わりました。なんでこんなに軽いのかと思ったくらいです(笑)」

――何かきっかけはありましたか?

「20代後半からテニスを始めました。友人と一緒にクラブに入ったのですが、外に出て運動することにより、発散できるようになって上昇気流に乗れました」

――最も印象に残っている対局は?

「特に印象に残っているのは、1992年の島朗七段との対局です。お互いにAランクへの昇格がかかっていました。1人6時間という持ち時間があるのですが、午前10時から夜中の1時までのガチンコ勝負です。

 最後は、体力と運でしたね。最後の最後で私が逆転勝ちできたのですが、勝負運というものは一生懸命やっていても、来るときと来ないときがあると感じました。藤井竜王を見ていても、才能もあり、努力もしていますが、やはり勝負運に恵まれていると思います」

――長時間の対局で食事はどうされているのですか?

「約1時間の休憩が2回あります。でも、緊張であまり食欲がなく、カレーやうどんなど、流動的に食べられるものが多かったですね。
今みたいに、おやつは食べなかったです」

――トイレは自由に行けるのですか?

「自由に行けますが、残り時間が少なくなってくると、トイレに行く暇もありません。だから、どのタイミングでトイレに行くかも勝負のひとつになってくるのです。1人で冷静さを保てる場所なので、トイレのなかで決断することもあります」

――休憩時間に人と会話することはありますか?

「雑談程度はしますが、対局中に話す人はいませんね。そういえば、昔は休憩時間に外出できたので、加藤一二三・九段は千駄ヶ谷の将棋会館を抜け出して、四谷にある上智大学のイグナチオ教会にお祈りにいったそうです」

――対局前はどのように調整されているのですか?

「1週間前からコンディションを整えるようにしていました。前日は、お酒も飲んでリラックスするようにしていました」

――2013年、九段に昇段された後、2016年に66歳で現役棋士を引退されましたが、引退を決めたきっかけは?

「棋士の引退は、年齢とランクで決まります。引退があるから新旧の入れ替わりがあり、新しい人が活躍できる新陳代謝が起きています」

――現在はどのような活動をされていますか?

「今年8月には『観る将のための200問 将棋文化大百科』(メイツ出版)を刊行しました。将棋に関するクイズ本で、楽しみながら将棋の知識を身につけることができます。あとは、『Number Web将棋』 で記事を書いています。最近は、藤井竜王の活躍でPVも好調ですよ(笑)」

■九段棋士が教える勝負で勝つための3カ条

(1)根詰め過ぎない
 常に力むのではなく、ここぞというポイントで力を出せるように調整しておく
(2)気分転換する
 発散することで、よい流れに変えられる可能性がある
(3)構えすぎない
 勝負にこだわりすぎると、逆効果になることも

日下千帆
1968年、東京都生まれ。1991年、テレビ朝日に入社。アナウンサーとして『ANNニュース』『OH!エルくらぶ』『邦子がタッチ』など報道からバラエティまで全ジャンルの番組を担当。1997年退社し、フリーアナウンサーのほか、企業・大学の研修講師として活躍。東京タクシーセンターで外国人旅客英語接遇研修を担当するほか、supercareer.jpで個人向け講座も