「強い義務感」と「情緒的消耗感」が徐々に体を蝕み…“虐待サバイバー”が燃え尽き症候群を発症しやすい理由
伊藤正樹さん(48歳・仮名)は28歳のときにうつ病と診断されて長く苦しんでいるが、その根っこには、幼少期に受けた虐待による深い心の傷があった。親に頼れなかった経験は、大人になって強い義務感として現れ、さらに彼を苦しめることに…。植原亮太氏の『ルポ 虐待サバイバー』より一部を抜粋、再構成してお届けする。
いつまでも得られない達成感と、終わらない義務感
父親の知りあいの工場経営者が、「うちで働きなさい」と声をかけてくれた。寮に住まわせてくれるという。自分がいないほうが継母と弟にとっていいのではないかと思った彼は、高校を卒業すると同時に家を出た。それから30年、継母と弟には会っていない。
工場では一生懸命に働いた。「こんな自分のため」に寮まで用意してくれて、雇うと申し出てくれたことに、申し訳なさがあったからだ。
働きぶりが認められて、工場のなかでも取引先との営業を担当する部署に配属が変わった。そこでは、任された仕事をこなすのではなく、自分から能動的に取引先に出向いて行かなければならなかった。それが彼には緊張を強いた。
ずっと、「あんたは頭が悪い」と継母から言われて育った。だから彼は、いつも自己否定していた。自分がちゃんとできているのか不安だった。
営業先に行くことが怖かった。契約してもらえるだろうか、何回も訪問してきてしつこいと思われるのではないか、契約をとらずに帰ったら「ダメなやつ」と思われるのではないか……。
ゆえに彼は努力した。おかげで、だんだんと契約もとれるようになった。すると、また異なる役割を与えられた。部署を統括する立場である。出世もした。給料もあがった。だが、彼には満足感や達成感が一切なかった。
その代わりに募るのは、「こんな自分に任せてもらっているのだから、結果をださなきゃ申し訳ない」という焦りだった。一層、仕事にのめり込んだ。
同僚が、「やり過ぎじゃないの?」と声をかけてきたこともあったが、「平気、平気。これくらいなんのその」と言って笑ったという。残業代を申請せずに働く彼を、同僚は「ばかだ」と言った。
ある日突然、布団から出られなくなる
それからしばらくして、彼はうつ病で倒れた。朝になっても体に力が入らず、起きられなかった。無断欠勤だった。しばらく、なにもできず布団のなかにいた。何度も携帯電話が遠くで鳴っているのが聞こえた。昼ごろになってようやっと布団から出られた。身も心も重たかったが、会社に電話をかけなければならなかった。
「すみません、寝坊しちゃって。ちょっと休めば大丈夫なので、明日は出勤します」
働きはじめてから10年が経ったが、仕事に遅刻したことも早退したことも、休みさえとったことのなかった彼だった。
翌日も、やはり体が動かなかった。職場に事情を説明すると病院に行くように言われた。
体が動かないという問題から、彼は内科を受診した。しかし、診察の結果は「異常なし」。彼の話を親切に聞いてくれた医師は、精神科に行って相談するように助言してくれた。
精神科では「うつ病」と診断された。抗うつ薬を処方されて、しばらく経過観察していくことになった。医師も会社も休職を勧めた。彼はこれに従った。
私は、彼の話を聞きながら考えていた。強い義務感、緊張感、焦燥感、そして消耗感。さらに、自己肯定感がない、もしくは極端に低い。また、抗うつ薬があまり効かず、治りにくい……。
緊張の糸が、ぷつりと切れてしまったきりで動かなくなってしまったかのような彼の容態は、「燃え尽き症候群(Burnout Syndrome)」に違いなかった。
抗うつ薬では生き方は変わらない
人生の初期、彼ら“虐待サバイバー”は守ってくれるはずの親から守られず、むしろ積極的に虐げられてきた。ゆえに、親に頼る、助けてもらうということを経験してこなかった。だから、目の前のことは自分でこなすしか選択肢を知らず、人に助けを求めたり、頼ったりすることを極端に避けてしまう。これは、“虐待サバイバー”に共通の心理でもある。
親に頼れなかった経験は、大人になって強い義務感として現れ、緊張感を強いる。褒められた体験もないか乏しいから、自分を認めて甘やかすことも知らない(自分に報酬を与えられない)。こうして彼らは絶えず緊張していて、気持ちが緩むこともない。ゆえに、「情緒的消耗感」が彼らは普通の何倍も激しいのだろうと思う。
以上の理由から、“虐待サバイバー”は燃え尽き症候群を発症しやすいのではないかと私は感じている。
伊藤さんは、28歳のときに最初のうつ病を発症した。厳密に言うと、それは燃え尽き症候群だっただろう。しかし、主治医の制止を振りきって職場に復帰した。休んでいるほうが落ち着かなかった。休職したのは、1ヵ月ほどだった。
仕事を休んでしまったという後ろめたさがあった。それで、彼は勤めていた工場を辞めて、別の会社に就職した。
それから十数年が経ち、40歳のときに再び倒れてしまった。うつ病が完治したと思っていた彼は、精神科への通院はやめていた。そこで、また別の精神科にかかり、再び抗うつ薬を処方された。傷病手当をもらいながら治療に専念することになった。
今度は心理療法も追加された。だが、それもあまり効かなかった。
傷病手当を受けとれる期間が終わりそうになり、彼は職場に復帰した。
それから5年後の45歳のとき、三度、彼は倒れてしまった。今度は、まったく体に力が入らなかった。
そのころには疲れていても眠れず、睡眠薬を処方されても効かなかった。ただ、体が重くなるだけだった。40歳で倒れたときから彼を診ている主治医は、入院を勧めた。それで彼は、しばらく入院することになった。
そのあいだに仕事は辞めた。
退院後、就職活動をしたが、休職が多いことを指摘されて採用にいたることはなかった。そして、預貯金が尽き、生活保護の申請に赴いた。
生活保護になったという負い目から、彼は就職活動に必死だった。しかし、うまくいかなかった。せっかく仕事に就いても、疲れきっていて体が思うように動かなかった。仕事の覚えも悪く、迷惑がかかると思った彼は、職を辞しては、また新たな職場に勤めるということを繰り返していた。なかなか自立には向かわなかった。
自立しようとがんばるが余計に疲弊していく。そんな悪循環があった。
文/植原亮太 写真/shutterstock
『ルポ虐待サバイバー』
植原 亮太
2022年11月17日発売
1,045円(税込)
新書判/256ページ
ISBN:978-4-08-721240-2
田中優子氏・茂木健一郎氏推薦!
第18回開高健ノンフィクション賞で議論を呼んだ、最終候補作
生活保護支援の現場で働いていた著者は、なぜか従来の福祉支援や治療が効果を発揮しにくい人たちが存在することに気づく。
重い精神疾患、社会的孤立、治らないうつ病…。
彼ら・彼女らに接し続けた結果、明らかになったのは根底にある幼児期の虐待経験だった。
虐待によって受けた”心の傷”が、その後も被害者たちの人生を呪い続けていたのだ。
「虐待サバイバー」たちの生きづらさの背景には何があるのか。
彼ら・彼女らにとって、真の回復とは何か。
そして、我々の社会が見落としているものの正体とは?
第18回開高健ノンフィクション賞の最終選考会で議論を呼んだ衝撃のルポルタージュ、待望の新書化!