なぜギリシャ彫刻の男性像はペニスの大きさが「控えめ」なのか…その理由を英国の歴史学者が解説する
■巨大なペニスを持つ豊穣の神「プリアポス」
僕はツイッターにハマっていて、毎日何時間もこれに費やしている。言い訳をさせてもらえば、ツイッターは歴史学者にとってすばらしい集会所の役割を果たしていると思う。何千人もの博識な専門家が参加する#Twitterstoriansというコミュニティがあり、ここではほかのどこからも得られない愉快で刺激的な会話が毎日交わされているのだ。
特に気に入ったものの1つが、2013年にあった、古代ローマのペニスに関する討論だった。きっかけが何だったのか、詳しく覚えていないが、気の利いた笑いとして始まった会話は、4人の優秀な古典学者がその博識を分かち合ってくれた結果、本当に興味深いものとなった。
その日僕が学んだなかで一番気に入ったのは、オックスフォード大学の古代詩の専門家、ルウェリン・モーガン教授から学んだことだ。彼が何気なく教えてくれたところによると、古代の詩はさまざまな韻律(メートル)を使用しており、その1つであるプリアペイアは、ローマの豊穣(ほうじょう)の神プリアポス――まるで3本目の脚に見えるほど巨大な勃起したペニスを持つ――に関する卑猥な詩に特化していた。
また別の韻律はithyphallicと呼ばれているが、これはギリシア語で文字どおり「勃起した男根」を意味する。なんとあからさまな!
1700年代になるとこの言葉は、母親には絶対見られたくないようなあらゆる下品な詩を指す万能語となった。そして現代の医者にとって「ithyphallic(持続勃起症)」患者とはつまり、バイアグラを飲みすぎて常に勃起している人のことだ。
■考古学者もローマ人もする「男根ジョーク」
詩に関する高尚な会話の最中に、メートルの「長さ」についての男根ジョークを飛ばしたのが自分でないことには驚かされ、うれしくなった。自分の一物(いちもつ)がメートル単位だなんて厚かましくも言えるのは男だけだと皮肉っぽく発言したのは、考古学者のソフィー・ヘイ博士だったのだ!
そう、学者も生徒たちのように悪ふざけすることはある。そして同じことがローマ人についても言える。彼らも同じようなジョークを持っており、もし当時、セックスのことばかり考えている登場人物が活躍する『平民(プレブス)』などというシットコムが存在したら、大いに受けたに違いない。
■衣服を貫通するプリアポスの男根
プリアポスは愛の女神ヴィーナス/アフロディテの息子だった。ということは、美しい外見を持つロマンティックな青年だったと思うかもしれない。しかし古典時代の神話によると、彼は呪いのせいで醜く好色で、まるでギャグ漫画のように巨大なその一物は、ローマ美術では床に引きずらないように両手で抱えた姿で表現されることもある。
豊穣と富の象徴であると同時に、プリアポスは庭園の守護神でもあり、裏口から忍び込んできた侵入者や泥棒は誰でも彼に貫かれた。ローマ人が、番犬であると同時に強姦(ごうかん)魔でもある神を崇拝していたというのはずいぶん奇妙な話だ。文学や芸術作品ではしばしばコミカルな存在として描かれていることを知ると、なおさらだ。
ポンペイの有名なフレスコ画でプリアポスが身につけている服は、左下に真っ直ぐ伸びる巨大な男根を隠すことにまったく成功していない。これはまじまじと見つめずにいられない代物だ。プリアポスの男根は、さらに目立つようにしばしば赤く彩色された――つまり彼は真っ赤なお鼻のトナカイのペニス版だったわけだ。
プリアポスの彫像や画像はローマ世界ではごくありふれたものだったが、現在では、多くの小学生が見学に訪れるような地元の美術館にはめったに展示されていない。理由は言うまでもないだろう。
その代わりに、美術館に行くと、あるいは幸運にも地中海でバカンスを楽しめる場合、まったく違う種類の古代彫刻にしばしば遭遇する。英雄に捧げられた美しい大理石の男性像で、波打つシックスパック、力強い太もも、太い腕、筋肉質の尻、たくましい胸、丸みを帯びた肩、そして……ええと……質問者の言葉のとおり、驚くほどつつましい男性の象徴を持つ。
■古代ギリシャ・ローマの「美的感覚」
最も単純な説明は、古代の美的感覚によれば、小さいペニスのほうが美しいと考えられていた――プリアポスの巨根は彫像の優雅な均衡を崩してしまう――というものだ。小さな一物はまた、優れた知性の象徴でもあった。動物や野蛮人や愚か者は、馬鹿げた情熱や劣情に支配されているため、巨根を持つと考えられていた。しかし文明化されたギリシア・ローマ人は、理性的で洗練された文化人ではないか。その偉大さの源は頭脳にあるのであって、下着のなかではない。
実際ギリシア人の考えによれば、美しい外見は神々からの贈り物で、その美は魂にも反映されていた。美しい青年は同様に優れた心ばえを持つとされ、この思想は、美と善良さの調和を意味するkaloskagathosという言葉に象徴される。
現在、そう考える者はいない。なによりテレビのリアリティ番組で、一見ゴージャスな人が実はひどい人間だったり、愚かだったりするのをしばしば目のあたりにしているからだ。しかしその正反対の概念はシェイクスピア劇や現代映画でもしばしば認められ、悪の巨魁は多くの場合、まるで内面の堕落が表面に浮かび上がってきたかのように、醜かったり大きな傷跡を持っていたりする。
■権力者たちの趣味が反映されていた
そんなわけで古代芸術では、小さな一物を持つ英雄は文化的スノッブ性を体現する存在だった。古代ギリシアの思想では、セックスとはすなわち生殖行為であり、サイズは僕たちが考えるのとは逆の意味で重視された。小さいペニスのほうが、卵子に達するまでに精子が冷えすぎないため受胎に適している、とアリストテレスは主張した。
高名な古典学者ケネス・ドーヴァー卿は大きな反響があった1978年の著書で、生殖行為は人口維持のためにこそ重要だったものの、古代ギリシア人にとっての理想の性愛は、夫婦間ではなく、成熟した強い男と受け身の十代の少年の間に存在したと強く主張している(『古代ギリシアの同性愛』青土社、2007年)。
僕たちにはショッキングなことだが、これはつまり、古代ギリシアの公共の場に飾られた彫刻作品は、しばしば芸術のパトロンとなった年長の権力者たちの趣味を反映していたということだ。そして彼らが好んだのは、まるで腰回りに巨大なヘビを抱えているかのようなプリアポスではなく、ほっそりしてしなやかな、体毛がなくペニスの小さな少年たちだった。
■古代ローマにもあった「下品な落書き」
ここまで書いたところで古代ローマに戻ると、当時の壁には男根の絵の落書きが数多く見られた。現代の少年たちによるトイレの壁の落書きと同じようなものだ。そして、非常に下品な言葉に対する心の準備をしていただきたいが、ポンペイで発見された落書きのなかには次のようなものがあった。
「フォルトゥナトゥスは君をとても深く貫く。アントゥサよ、来て見てごらん」。これはある女が女友達にあてた推薦文かもしれないし、フォルトゥナトゥス本人が書いた、古代版の深夜の卑猥メッセージかもしれない。ほかにも「愛しいフォルトゥナトゥス、性交の達人、経験者が書いた」というのもある。
これまた推薦文みたいだが、もしかしたらフォルトゥナトゥス本人が書いたのかもしれないと思うと、笑わずにはいられない。おもしろいか否かはともかくとして、こんな下品な自慢は、ペニスが単なる美的要素というだけではなかったことを示している。
ここではローマ人は男根を、女に快楽を与える生殖器官としてとらえている。理想化された彫像について先に述べたことは別として、この点をもう少し深く追う必要がありそうだ。なぜならときにはサイズは重要であり、それも僕たちがおもしろがるような、通常の意味でそうだったからだ。
■全員が「小さなサイズ」を求めていたわけではない
古代ギリシア・ローマ時代に生きていた無数の人々は1人ひとりが異なる関心や性的嗜好(しこう)を持っていた。全員がこぢんまりしたサイズを求めていたわけではない。2013年のツイッターでは、歴史学者のトム・ホランドがローマ時代の詩人マルティアリスの詩を引用したが、これは次のように訳すことができる。「フラックス、公衆浴場で拍手が聞こえたら、それはマロと奴の男根がいるからだ」。
ルウェリン・モーガン教授が補足したように、フラックスとはおもしろがってつけられたあだ名で、「垂れ下がった」という意味だ。つまりマルティアリスは、ある人間の立派なペニスを称えることを通じて、同時に別の人間のものを馬鹿にしているというわけだ。
ペトロニウスの好色小説『サテュリコン』(岩波文庫、1991年)にも似たようなジョークが登場する。この小説に登場するのは、勃起不全に悩む元剣闘士のエンコルピウス、巨根の仲間アスキュルトス、そして2人が取り合いをしている美少年ギトンだ。
ある場面で老教師がエンコルピウスに、公衆浴場で目撃したことを語っているが、それは落胆したアスキュルトスが裸で嘆いていたのだった。……まわりに大勢集まった者たちは、拍手し、感嘆して仰ぎ見た。なぜなら彼の生殖器官はとてつもなく大きく、まるで体のほうがペニスの付属物のように見えるほどだったからだ。……救いの手はすぐに現れた。ローマの騎士階級に属する評判の悪い1人の男が、彼を外套で包んで家に連れ帰ったのだ。おそらくこの幸運を自分で味わうためだろう……。
■人間の好みは千差万別
この明らかに同性愛的なフィクションのほかにも、実在のトランスジェンダーのティーンエイジャー、ヘリオガバルスに関する報告がある。このローマ皇帝は5人の女と結婚したものの、男とのセックスを好み、女装し、性転換手術を行える外科医に莫大(ばくだい)な報酬を約束したという。伝説によると、彼は政治的任命を行う際、公衆浴場で全裸の姿を観察して、一番大きな男性器を持つ者を選んだ。
巨根の人間が公衆浴場から「持ち帰り」されたとするペトロニウスの作品が事実を反映しているなら、このことは、巨根が一部の男を性的に興奮させたこと、つまり誰もが若い少年を好んだわけではないことを示している。実際、(残念ながら、かかとを除けば)ほぼ不死身の半神だった伝説の勇者アキレウスは、神々にふさわしい立派な男根を持っていたとされる。
もちろん、言うまでもないことだがギリシア・ローマ時代の大人の半数は女性で、アキレウスの評判には彼女たちも関与していたかもしれない。古代の女性のセクシュアリティについては残念ながら男性ほどよく知られていない――皇妃メッサリナのスキャンダルと24時間続いた乱交(自分で調べてくれ!)を別にすれば――が、多くの女性が、巨根の男とのセックスを楽しんだと思われる。結局人間の体は千差万別で、好みも同様なのだ。
そうだとすれば、美術館で僕たちが目にするような古代の彫像から伝わってくるお上品な思想は、多くの一般人の持つ好色な考えを代表するものではなかったのかもしれない。古代のペニスの理想のサイズは、寝室、あるいは大理石の台座の上のどちらで愛でたいかによって異なったのだろう。
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グレッグ・ジェンナー歴史学者、キャスター、作家
ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校の名誉研究員。BBCの子ども向け歴史番組「Horrible Histories」のコンサルタントを務める。軽妙な語り口から、イギリスでは歴史の面白さに目覚める子どもや大人が続出している。著書に『A Million Years in a Day: A Curious History of Daily Life』『Dead Famous: An Unexpected History of Celebrity from Bronze Age to Silver Screen』がある(いずれも未邦訳)。
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(歴史学者、キャスター、作家 グレッグ・ジェンナー)