2002年、旧東芝ケミカルを合併し訪れたその日に、駐車場でさっそくコンパをする稲盛氏(写真:京セラ)

「企業を買収するときに一番大事なのは、結局はトップが従業員を魅了するというか、惚れさせること」。これは、数々の企業を買収・合併してきた京セラの稲盛和夫氏の言葉である。京セラが最初にM&Aをしたサイバネット工業の元役員で、後に京セラミタの初代社長を務めた関浩二氏は、稲盛氏にどのように“惚れさせられた”のか。

稲盛氏の情熱の思想を、未発表の文献と関係者13人ヘのインタビューで綴った書籍『熱くなれ 稲盛和夫 魂の瞬間』から、当時のエピソードを一部抜粋して紹介する。

工場見学で感じた「この人は違う」

サイバネット工業は、私を含めた4人で立ち上げた会社でした。もともと富士通で展開していたビジネスでしたが、半導体に力を入れるために小さなビジネスをやめることになった。所属していた音響機器部門がなくなることになったんです。

ただ、アメリカにはその部門でつくっていたトランシーバー製品を販売している会社があって、事業がなくなると困ってしまう。この会社を救わないといけない、ということで独立して製品を供給しよう、となりました。

私はもともと先に退職するつもりでいたんですが、一緒にやらないかと誘われて、加わることにしました。ビジネスのベースはすでにありましたから、それはもうものすごい勢いで成長しました。

それこそ、ボーナス袋が横向きに立つ、なんて時代もあったんです。私は役員でしたので、関係ありませんでしたけど。

ところが、アメリカのチャンネル変更や輸入規制など、いろんな問題があって一気に売り上げが落ちて、まさに倒産寸前まで行きました。会社をスタートさせて10年目。私は41歳になっていました。

当時は福島工場の工場長でしたが、賞与もない、昇給もない中、とにかくあちこちから仕事をもらってきて、なんとしてでも社員を食わせたい、という思いでいました。

実は福島工場には、いろんな会社が見学に来ていました。社長が引き取ってもらえる会社を探していたんでしょう。このとき、稲盛さんも来たことがあったんです。それで、私の工場を見てもらった。

何社か工場案内していますから、私はもう慣れていて、それなりにコースをつくって説明していたんですが、稲盛さんは最初から他の会社の人とは違いました。この人は違う、と思いました。


2022年8月、90歳で逝去した稲盛和夫氏。写真は2008年当時(撮影:神崎順一)

他の会社の人は、私の誘導についてこられて、「関さん、これはすごいね」とか「よくあんなのできるね」とか、そんな評価をもらって、「ありがとうございます」と終わることがほとんどでした。

ところが稲盛さんは、見方が違う。一通り行ったあとに、また戻ったりする。「関さん、あそこをもう一度見せてほしい」。あるいは「どうしてこれはこうなるのか」と質問したり。ああ、この人は現場をやってきた人だな、とすぐにわかりました。

とにかく微に入り細を穿ち、知ろうとする。大会社の社長でこんな人がいるんだ、と初めて知って驚きました。

「これはね、決めた。頑張りましょう。結婚です」

その後、サイバネットの幹部は京都に集められて、京セラを訪問することになりました。何をするのか、私たちは聞かされていない。先に社長が稲盛さんと話をしている間、会議室のようなところで待っていました。ずいぶん長い時間に感じられました。

それで夕方になって、どうぞ、と案内されたのが、だだっ広い和室なんですよ。これはなんだと思ったら、お酒がテーブルの上にずらりと並べられている。何が始まるのかと、びっくりしました。

テーブルは4つに分けられていて、それぞれ京セラの幹部が入ってきました。いわゆるコンパですね。そして、人がどんどん入れ替わって、稲盛さんからもいろいろ質問を受けて。

工場のこと、部品のこと、社員のこと、いろいろ聞かれて一生懸命、私からも訴えました。社員を安心させてやりたくて、なんとか京セラに加わりたかったですから。

時間が経過して、稲盛さんが「よーし」と立ち上がって、こう言いました。

「よし。サイバネットの人たちはみんないい人だ。これはね、決めた。やろう。頑張りましょう。結婚です」

結婚は、お互いに知らない人同士が一緒になっていくわけだから、お互い努力しないといけない。これを強調されました。私は、これで社員がみんな喜んでくれる、とうれしかった。

さらに稲盛さんは、「よし、じゃあ飲みに行こう」と言いましてね。先斗町のスナックにみんなで行ったんです。「乾杯!」とやったあとは、「みんな頑張ろうな。よし、おれが歌おう」とカラオケに向かって。

最初の曲が「みちづれ」だったんですよ。いやぁ、これを聞いたとき、この人はニクいと思いました(笑)。なんという人だと。このときのコンパと歌で、私はすっかり心を持っていかれてしまったんです。

私は30歳で富士通を辞めたんですが、大きい会社では出世できないと思ったからでした。京セラに入ったからには、何でもチャレンジしようと思いました。そして稲盛さんに、なんとしてでも恩返ししたい、という気持ちが強かった。

京セラは当時、伊勢工場で複写機の開発に取り組んでいました。これが、そろそろ量産化できるか、できないか、という状況にあった。京セラが(部品ではなく)完成品を開発していたのは、意外なことでした。

私がなるほど、と思ったのは、完成品を量産できる会社を探していたのか、ということでした。そんなとき、サイバネットがまさに出てきた。タイミングがよかったんだと思います。もちろん結果的に、無線技術は第二電電(後のKDDI)でも活かされていくことになるわけですが。

「信用」が「尊敬」まで行くと、ステージが変わる

稲盛さんの話で私が最も好きなのは、「自利利他」なんです。「利他」が強調されることが多いんですが、私は「自利」も大事だと思っています。


自分が損して利他だけ、つまり他者にいいことばかりしていたら、これでは商売になりません。相手に利を与えて、結果それが自分に返ってくるのが「自利利他」の本質です。

ただ、ものを安く売ったとか、まけて何かしたからって、利が返ってくるとは限りません。ものやお金ではないんです。相手が喜ぶ、感動する、素晴らしいと感じる。「いやぁ、この人のためなら」と思う。これこそが、大事だと思うんです。

商売というのは信用が大事です。信用第一。ですが、信用が信頼になったら、もっと商売は楽になります。これが尊敬というところまで行けば、またステージは変わる。これを持っているのが、まさに稲盛さんですよね。

稲盛さんは、全社員から好かれ、尊敬されている。サイバネットから来た社員も、みんな心酔していました。これこそが、経営者でなければいけない。そしてこれこそが、事業の立て直しの本質だと私は思っていました。

(上阪 徹 : ブックライター)