渋谷や横浜、厚木などを通り、東京都心〜沼津間を結ぶ国道246号は、終日を通して交通量が多く、ほとんどの区間で鉄道や高速道路も並行しているなど大幹線です。しかし番号は3桁。国道の"序列”を考えると、そこまで高くない位置づけなのはなぜでしょうか。

ルーツは大山街道

 国会議事堂の北側、千代田区三宅坂交差点を起点に静岡県沼津市までを結ぶ国道246号。沿線住民やドライバーからは「ニーヨンロク」と呼ばれ、また2020年にはアイドルソングの表題にもなるなど知名度は高いといえます。

 渋谷や二子玉川、神奈川県内では川崎市や横浜市のベッドタウンを通り、続いて厚木市、秦野市、静岡県内では御殿場市や裾野市など主要都市を経由します。鉄道路線や高速道路もほぼ全線にわたって並行しているほか、県境区間など一部を除いて4車線以上あり、交通量も終日多く堂々たる大幹線です。しかし国道番号を見れば3桁。せめて2桁の風格はありそうなのに、なぜでしょうか。


国道246号(2023年4月、大藤碩哉撮影)。

 それは国道に指定された当時、現在ほどの規模ではなかったからです。そもそも国道246号のルーツは、江戸時代に東海道の脇往還として整備された道路です。生糸や茶などを駿河国や相模国から江戸へ運ぶために活用されたほか、特に江戸中期以降は、山岳信仰の対象であった大山(神奈川県厚木市・秦野市・伊勢原市)への大山詣が盛んに行われ、その街道として発達していきました。ゆえに別名を大山街道といいます。

 ただ時代が下れども大山街道は、大部分が農村地帯を行く狭隘路でした。戦後、新たな道路法によって国道が定義された際も大山街道は対象から外れ、初めて国道に指定されたのは1956(昭和31)年のことでした。

ライバルは東海道と第一京浜?

 当時、国道は一級と二級に区分されていました。かんたんにいえば一級の方が格上で、全国的な幹線道路網を構成する道路などが対象。一方の二級は人口10万人以上の都市間道路などでした。そして付番について、一級は1桁か2桁、二級は3桁とされました。

 大山街道は二級国道に指定されました。原則、指定された時点で北に位置するものから順に付番されていった中、246号となったわけです。なお指定から9年後の1965(昭和40)年、道路法改正に伴い一級・二級の区分が無くなり、一般国道246号として現在に至ります。


川崎市高津区溝の口にある「大山街道踏切」。JR南武線を渡る。国道246号の旧道である大山街道は、交通量に対して道幅が狭い(2023年4月、大藤碩哉撮影)。

 ではもっと早くに一級国道に指定されていれば、今ごろ2桁や1桁だったかもしれません。ただそれを阻んだのは、国道246号の南側で並行する国道1号(東海道)や国道15号(第一京浜)の存在でしょう。先述の通り、ルーツの大山街道は東海道の脇往還という位置づけであり、大名や武士らが往来した東海道とは性格が異なります。

 また、同じく日本橋を起点に横浜駅至近までを結ぶ国道15号も、大正時代には交通量が増大し、道路拡幅や橋の改築を行っていたほどです。これらの国道と比較すると、国道246号は最近まで、重要度はそれほど高くなかったのです。

【ストリートビュー】江戸時代ままの風景!? 旧246(大山街道)の区間とは