●「ここまで納得した演技は初めて」

 3月25日、さいたまスーパーアリーナ。フィギュアスケートの世界選手権、メインリンクは熱気に包まれていた。アイスダンス・フリーダンスの演技直後、"永遠の一瞬"がそこにあった。

 最後のポーズを決めた高橋大輔(37歳)は、『オペラ座の怪人』の世界観から素に戻って、表情をくしゃくしゃに崩した。歓喜、達成感、安堵、無念、感謝、あらゆる感情がいっぺんに顔に出たようだった。

 全身を電流が走り抜け、細胞の一つひとつが騒ぎ出し、込み上げるものをコントロールできず、子どものように涙を流していた。


世界フィギュアで総合11位に入った村元哉中・高橋大輔カップル

「3シーズンやってきて、ここまで納得した演技は初めてでした」(高橋)

 一方、村元哉中(30歳)はひざまずく高橋に近づき、抱き上げるようにして手で肩をたたいた。とてもおおらかで、ポンポンッとパートナーを称えるリズムだった。抱擁を交わしたことが触媒になったのか、彼女もせきを切ったように泣いていた。

「ファイナリー、やっとできた!って。いろいろありましたけど、すべてに意味があるんだな、とつながりました」(村元)

 スタンドではピンクのバナーと日の丸が振られ、満開の桜が咲いたような光景になった。その一体感は、ふたりがつくり上げたものだろう。奇跡的な瞬間だった。

 ふたりがリンクで抱き合う光景は、歴史に刻まれるだろう。

●前例を覆した「超進化」

"かなだい"という呼び名で親しまれるふたりは、カップル結成3年目になる。3年で2度目の世界選手権出場が、まず異例。演技の完成までに時間がかかると言われる競技で、前例を覆した。

 今シーズンの世界選手権では、リズムダンス、フリーダンスと観衆を虜にし、総合11位に入った。特にフリーでは作品の世界観も世界中から評価され、レベル4を連発。アイスダンスの日本勢史上最高位に並んだ。

「超進化」

 前向きな姿勢で突き進んできたふたりの、ひとつのフィナーレと言えるだろう。

 言うまでもないが、順風満帆だったわけではない。

 村元はアイスダンス界の第一人者だったが、自身、3年ぶりのアイスダンサー復活だった。高橋にいたってはシングル時代に燦然(さんぜん)とした記録を残しているが、現役復帰からの引退後、30代での別種目の挑戦で、まずは肉体改造が急務となっていた。

 一方、世界は突然のコロナ禍に巻き込まれ、試合どころか、練習も思いどおりにできない状況だった。

「この3年、培ったものがあったからこそ、今回の世界選手権の演技になったと思います」

 万感のフリー後、高橋はその心情を語った。

「コロナ禍で試合経験を積むことができないこともありましたけど、一つひとつ少しずつ収穫することで、この結果になったと思います。

 もし昨シーズン、日本開催の世界選手権だったら、ド緊張してすごく悪い演技をしたかもしれない(笑)。今日の演技で、1年長く続けた意味を見せられたと思います。昨シーズン限りでやめていたら、悔いが残っていたかなと」

●「行けるぞ」氷上のふたりだけの高揚

 5分間練習、ふたりは想像以上に緊張していたという。意外にも、足が震えるほどだった。しかし、向き合ってきた練習を信じることができた。

 そして観客席から「頑張れ」という熱い声援を受けるたび、「頑張らなきゃ」とふたりは奮い立った。

「大ちゃん(高橋)と一緒にスケートを滑れる幸せをかみしめながら、一つひとつ息の合った演技ができました」

 村元は明るい笑顔でそう言って、ようやく手にした完成形のプログラムを心から喜んだ。

「滑る前は、お互い緊張があったと思います。でも曲が鳴った瞬間、世界に入り込むことができました。そこからはふたりの世界で、お客さんに温かく見守られているというか。

 エレメンツを丁寧にクリアしていって、最後のダイアゴナルステップのあたりで、お互いが顔を見て。大ちゃんは笑っているみたいで『行けるぞ』って」

 その高揚感は、ふたりだけのものだろう。

「後半、ダンススピンが終わったあと、バテずにパワーが残っていて。むしろ最後に向け、どんどん行ける感じでした」

 高橋は言う。技量が熟達したことで、使うエネルギーをセーブするようになった。

「四大陸選手権が終わってから、いい練習を重ねてきた成果だと思います。それが自信になって、緊張度が高いなかでも、自身のメンタルコントロールができたかなって。

 お互いの息が合っていたからこそ、体力を削ることなく、よかったのかなと思います」

 最後は修正を重ねてきたコレオリフトを成功させ、アイスダンサーとして一つの境地に達した。

 ふたりは成績を収めるだけでなく、多くのファンを引き入れている。選手のなかでも、アイスダンスに挑戦するケースが増えた。今回の世界選手権で、その魅力はさらに多くの人に伝わっただろう。

●「余韻に浸ります」来季については明言せず

ーー来季は?

 演技後、進退についての質問も飛んだが、ふたりは明言していない。

「今日は余韻に浸ります!」

 カップル結成3年間を凝縮したプログラムは、それだけの価値がある。フィギュアスケート界のひとつの歴史だ。もし、ふたりがこの先も物語を紡ぐとするなら......。

「誰かと合わせるって大変なことで。でもふたりだからこそ、終わったあとの喜びが倍になるんです。最高の瞬間を分かち合えるのは、すごいことなんです!」

 村元の言葉が、行く先を照らす灯火になる。