発達障害の人にはどんな共通点があるのか。認知神経科学者の井手正和さんは、脳の働きの違いから、感覚過敏や感覚鈍磨といった感覚の問題を抱えやすいと指摘する。たとえば『爪を噛む』といった行動は、発達障害が原因のおそれがあるという。井手さんの著書『発達障害の人には世界がどう見えているのか』(SB新書)からお届けする――。

※本稿は、井手正和『発達障害の人には世界がどう見えるのか』(SB新書)の一部を再編集したものです。

■発達障害の人が抱える「感覚」の苦しみ

感覚過敏、感覚鈍麻といった感覚の問題を抱えるASD者(自閉スペクトラム症)は、日常生活においてさまざまな苦しみ・悩みを抱えています。

その苦しみの多くは、定型発達者からすれば理解するのが難しいものです。

例えば、「いつもと違った道を通るのが怖い」という感覚は、本人の自覚を伴う苦しみですが、「気になることがあると、そちらへの関心が強くなってしまう」という感覚は本人に自覚がないままに、結果として人間関係の悪化を招き、苦しみにつながってしまいます。

ここでは、感覚の問題から生じるASD者の苦しみについて解説します。

写真=iStock.com/monzenmachi
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/monzenmachi

感覚の問題とは、

・感覚過敏……周囲の音や匂い、味覚、触覚など外部からの刺激が過剰に感じられ、激しい苦痛を伴って不快に感じられる状態
・感覚鈍麻……痛み、気温、体調不良などに関して鈍感である状態

の2つがあり、感覚過敏か感覚鈍麻かのどちらか一方ではなく、感覚過敏と感覚鈍麻が同居するASD者もいることをお伝えしてきました。

また、定型発達者がある程度の“リミッター”をかけて情報処理を行っているのに対し、ASD者が“リミッター”をかけずに情報処理を行っている可能性があり、その要因は「脳の特性」によると考えられる――そのために取り込む刺激が過剰になる――ことも述べました。

では、この「感覚の問題」によって、日常生活などでどのような苦しみを感じているのでしょうか?

これまで研究に協力してくれたASD者の生の声を通して、ASD者への理解をより深めたいと思います。

■いつも同じ道を通らないと不安になる

――幼稚園からの帰り道。工事中のため、いつもの通園路は通れない。母親に「いつもの道は通れないんだって。回り道して帰ろう」と促されたF君だが……。

F君:「いやだよ! いつもの道で帰りたい」
母親:「だから言ってるでしょ! あの先は工事をしているから通れないの!」
F君:「でも、いやなんだよ……」
母親:「そんなこと言ったって、通れないものは通れないの!」
F君:「怖いんだよ!」
母親:「何が怖いのよ? 脇道を少しだけ歩いて、その後またいつもの道に戻るだけじゃない?」
F君:「違う道を歩くなんて……」
母親:「ほんの少しだけでしょ? ほとんど違わないわよ」
F君:「それが全然違うんだよ……」
母親:「さあ、行くわよ(手を引っ張る)」(なにが違うっていうのよ? 言ってることの意味がわからないわ)
F君:「……」(いつもの世界と全然違う世界に行くなんて……怖くて、怖くてたまらないよ……)

写真=iStock.com/monzenmachi
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/monzenmachi

「いつも同じ道を通りたい」の裏にある、不安と恐怖を想像するASDのお子さんなどによく見られる1つの傾向として、変化や変更を嫌うといったことが挙げられます。

その一例として「いつも同じ道を通りたがる。違う道を通るのを嫌がる」があります。

なぜそこまで嫌がるのか、その理由まではわからない定型発達者は多いかもしれません。定型発達者であれば、「単に道が違うだけで問題なく目的地に到着することができる」と特に不安を感じることもないでしょう。

なぜ、「いつもと違う道」に不安を感じないのか?

敢えてわかりやすい言葉を使うならば、定型発達者は「ぼんやりと情報収集をしているから」です。ここには脳にかかる負荷を減らそうとする“リミッター”の役割が関係しているかもしれません。

■五感で得られる刺激のなにもかもが違う

では、“リミッター”をかけずに情報処理を行うASD者にとってはどうでしょうか?

「いつもと同じ道」と「いつもとは違う道」では、道幅も違う、標識も違う、建物も違う。お店から漂ってくる匂いも違うし、耳にする音もまったく違う。皮膚で感じる細かな振動なども当然変わってくる……五感で得られる刺激のなにもかもが違います。

つまり、「いつもと同じ道」と「いつもとは違う道」を、まったくの別世界のように感じている可能性があるのです。

定型発達者も、今まで自分が体験したことのない環境に足を踏み入れるときには不安や恐怖を感じますし、できることなら避けたいという気持ちも芽生えますよね。

周囲の人たちにできることの1つは、ASD者の行動を観察しながら、「もしかしたら自分の『単に違う道を歩くだけ』という感覚とは違って、『いつもとは違う別世界に足を踏み入れる』という感覚なのかもしれない」と、当事者の「感覚」に寄り添ってみることだと私は思います。

■「爪を噛む」行動は感覚鈍麻が関係している

「爪を噛む」という行動をとるASD者もいます。この行動には、自己調整の生理的メカニズムや感覚鈍麻が関係している可能性があります。ここでは、感覚鈍麻という観点からこの行動を考えてみたいと思います。

感覚鈍麻の状態を定型発達者の方に理解していただくのに、「虫歯治療で歯茎に局部麻酔を打った」「長い時間正座していたら足が痺れた」というケースを想定してもらうとわかりやすいかもしれません。

こういったとき、自分の身体でありながら、輪郭がぼんやりとしてわかりにくいといった違和感が生じませんか? そして、鈍感になっている部位(麻酔の効いている頬や痺れている足)を、自分の身体として確認するためにさすってみたくなりませんか?

ASD者の「爪を噛む」という行動は、感覚が鈍い指先に大きな刺激を与えて、身体の感覚を確認する行動だと推測できます。

写真=iStock.com/mapo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mapo

感覚鈍麻に悩むASD者の場合、定型発達者であれば「痛くて仕方ない」というケガを負っていても気づけないことがあります。

感覚過敏と感覚鈍麻が同居しているASD者の場合、感覚過敏に比べて、感覚鈍麻に基づく行動に周囲がなかなか気づけない面があります。「もしかしたら感覚過敏と感覚鈍麻が同居しているのかもしれない」という前提を持つことも重要です。

なお、感覚鈍麻ですが、「外部からの刺激を受け取りにくい脳の特性がある。だから情報感度が鈍い」という理由だけでは、必ずしも説明できないかもしれません。

「外部からの刺激を過剰に受け取ってしまう脳の特性がある。過剰な刺激に圧倒され、処理しきれない状況から無意識に自身を守る手段として、敢えて環境にある刺激を極端にシャットアウトしている(一見、刺激に反応していないので鈍麻に見える)」と考える見方もあり得ます。

このあたりの感覚については、子どもの頃にASDと診断されたコロラド州立大学の動物学教授テンプル・グランディンさんが、著書などを通じて、当事者としての感覚を具体的に語ってくれています。

■物や障害物によくぶつかってしまう

「物理的距離が近くなりやすい」というのも、ASD者に見られる傾向の1つです。ASD者は、自分の身体の境界に関する感覚が不明瞭であるため、普段の生活の中で、物体に接触してしまう頻度が高い傾向にあります。

例えば、障害物競走のような課題に取り組んでもらう実験では、ASD者は、定型発達者に比べてより高い頻度で障害物に接触したというデータがあります。

ではここで、距離に関する感覚についてより詳しく解説します。

「身体近傍空間(Peripersonal space;PPS)」という言葉があります。「自分の手が届く範囲」あるいは「他者から容易に接触される範囲」と定義されていますが、「自分の身体と脳がイメージしている空間」といった表現の方が適切ですし、「身体近傍空間は拡張する」といえます。

どういうことか?

例えば、普段から杖を使い慣れた人は、歩いているときに杖の先に障害物があたれば「危ない」と感じられるようになります。杖の先までを“自分の身体の一部”と見なしている――そんな感覚です。

この感覚は、拡張性があります。自動車を車庫に入れるときのことを思い浮かべてください。車庫入れの上手・下手はありますが、自動車が壁にぶつからないように車を動かしていきますよね。このとき、自動車のボディ全体を、あたかも“自分の身体”のように捉えている――そんな感覚になっているわけです。

定型発達者は、その場に応じて、身体近傍空間をときには拡張するなどして適度に調節しています。なぜそんなことが可能なのかといえば、「自分」と「外界」との境界線の感覚がぼんやりしているからです。

■相手との自然な距離がわからない

ところが、感覚過敏など感覚の問題に悩むASD者の場合、身体近傍空間の調節に手間どることが多いようです。感覚に敏感なため、「自分の身体はここまで」という境界線が、きわめてハッキリしているからなのだと思います。自分と外界との境界線は、まさに自分のボディラインそのもの。たとえ杖を持っていても“杖は自分の身体の一部”という感覚にはなりにくいわけです。

「自分の身体近傍空間はときとして拡張する」という感覚を持つ定型発達者であれば、「他人の身体近傍空間もときとして拡張する」という想像がしやすくなります。つまり、「これくらいまでは近づいてもOK」という距離はお互いの関係性で変わるということがわかります。

■ASDの人には独特の距離感がある

自分と外界との境界線が拡張せず、まさに自分のボディラインそのものであると考えるASD者の場合、「相手との『間』」を意識せず、その結果として物理的距離も近くなってしまう傾向があるようです。

このような特徴が周囲から問題視されるようになるのは、異性に対して興味を持ち始める思春期が多いようです。

井手正和『発達障害の人には世界がどう見えるのか』(SB新書)

ASD児が異性に対して好意のコミュニケーションをとろうとする。その際、自分としては決して近づきすぎという感覚ではなかったのに、相手は「近すぎない? なんでそんなに近づくの?」という意識のギャップが生まれてしまう――といったケースです。

このとき、相手の表情やしぐさといった非言語(ノン・バーバル)の情報から「相手はちょっと嫌がっているんだな」と気づければいいのですが、非言語的サインが読み取り難い傾向があるASD者の場合、なかなかそれらのサインに気づけないこともあります。

ご家族などASD者の周囲の方々は、ASDの方の「身体感覚の特徴に由来する独特の距離の感覚」を知ることで、「見ている世界」の理解・共有が進みます。

----------
井手 正和(いで・まさかず)
認知神経科学者
立教大学大学院現代心理学研究科博士課程後期課程修了。博士(心理学)。専門は実験心理学、認知神経科学。学位取得後からASD者の知覚の研究を開始し、MRIによる非侵襲脳機能計測手法を取り入れることで、感覚過敏や感覚鈍麻が生起するメカニズムの解明を目指す。アウトリーチや執筆を通してASD者の感覚の問題についての科学的な理解促進に取り組む。著書に『発達障害の人には世界がどう見えるのか』(SB新書)がある。
----------

(認知神経科学者 井手 正和)