伊藤忠商事の「らしさ」に迫ります(撮影:今井康一)

企業を取り巻く環境が激変する中、経営の大きなよりどころとなるのが、その企業の個性や独自性といった、いわゆる「らしさ」です。ただ、その企業の「らしさ」は感覚的に養われていることが多く、実は社員でも言葉にして説明するのが難しいケースがあります。

いったい「らしさ」とは何なのか、それをどうやって担保しているのか。ブランドビジネスに精通するジャーナリストの川島蓉子さんが迫る連載の第8回は「伊藤忠商事」に迫ります。

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2022年3月期は過去最高の当期純利益

伊藤忠商事のルーツは、初代伊藤忠兵衛が近江の地で事業を起こした1858年にさかのぼる。忠兵衛の家は繊維製品を扱う小売業を営んでおり、次男だった忠兵衛は卸売りを起業した。それから約160年。忠兵衛が起こした伊藤忠は、総合商社として確固たる地位を築くに至り、世界を股にかけたビジネスを展開している。

5大商社(三菱商事、三井物産、伊藤忠、住友商事、丸紅)の中にあって、伊藤忠は繊維や食品といった非資源部門で強みを持ち、「ジョルジオ・アルマーニ」「ランバン」「コンバース」「ポール・スミス」などのファッションブランドビジネスを手がけるほか、「ファミリーマート」や「ドール」を傘下に置き、「非資源ナンバーワン商社」を標榜している。

業績も好調だ。2021年3月期の当期純利益は4014億円と5大商社でトップに浮上。2022年3月期は資源価格の上昇があり、資源権益が少ない伊藤忠は三菱商事、三井物産に次ぐ3番手となったが、8202億円は過去最高だ。

筆者も2021年まで伊藤忠グループの企業に在籍していた。その後、この連載を始めてから、伊藤忠の“らしさ”とは何なのか、外部からの目線であらためて分析してみたいと思い、取材を申し込んだ。

「きわめて現場主義であるところは、総合商社の中でも抜きん出ていると言っていいのではないでしょうか」

副社長CAO(Chief Administrative Officer)の小林文彦さんは、伊藤忠の“らしさ”についてそう話す。現場主義はもともと社風として存在していたものの、現在、会長を務める岡藤正広氏が社長になってから、強みとして磨かれてきたという。


小林文彦(こばやし・ふみひこ)/1980年伊藤忠商事入社。2010年執行役員総務部長、2011年執行役員人事・総務部長、2013年常務執行役員、2015年CAO、取締役常務執行役員、2017年代表取締役専務執行役員、2018年CAO・CIOを経て、2021年より現職(撮影:今井康一)

組織の規模が大きくなると、ピラミッド構造ができてしまい、マネジメントと現場の距離は遠くなってしまう。それが結果的に、ビジネスチャンスを逃したり、課題解決を遅らせてしまったりすることもある。が、伊藤忠は現場を最優先にすることで、その陥穽に陥らない道を選んできた。

「伊藤忠グループの行動指針である『ひとりの商人、無数の使命』は、商人として現場に足を運び、商人目線でお客様のニーズを読み、それを自分の使命ととらえて商いを営んでいく。現場で自分の使命を果たすことを指しているのです」(小林さん)

伊藤忠が掲げている商いの三原則に「か・け・ふ」という言葉がある。これは「稼ぐ・削る・防ぐ」の頭文字をとったもので、一見すると当たり前のように映るがそうではない。商いとして“稼ぎ”を上げながら、極力無駄を“削り”、予測されるリスクを“防ぐ”。そこに目配りすることを基本としているのだ。

自ら動いて成果を出す厳しさも求められる

現場主義はコロナ禍でも変わらない。

「行動制限を強いられる中でも、ファミリーマートはずっと開いていたし、スーパーへ行っても何でも売っていました。こうした現場を支えるのが伊藤忠なんです。現場が大事だ、現場で働くんだと言っている以上、会社もそれを徹底的にサポートします。

社員の安全が何よりも大切だということで、伊藤忠は日本企業の中でいちばん早く職域接種を始めました。出勤率についてもこれまでに24回変更しています。緊急時には出勤率を引き下げ、感染拡大の収束の見通しが経ってきたら引き上げる、いわば匍匐前進を続けてきました。それだけのスピード感を持って社員の安全を確保しているから、社員も納得するんです」(小林さん)

また現場主義だけでなく、伊藤忠の独自性として「自由な発想、自由な発言、自由な行動をよしとする風土が昔からあるのです」と小林さんは言う。よりよい成果を出すために率直な意見が求められるし、多少突飛な発想であっても未来への可能性があれば「やってみて」となる。ただし、それは「野武士集団」と言われることが象徴しているように、自ら動いて成果を出す厳しさも求められる。

伊藤忠の“らしさ”を言葉で表現しているのが、企業理念だ。実は、伊藤忠は2020年に企業理念を「三方よし」に改訂している。「三方よし」とは、「売り手よし、買い手よし、世間よし」を指す言葉であり、伊藤忠兵衛が「商売は菩薩の業、商売道の尊さは売り買い何れをも益し、世の不足をうずめ、御仏の心にかなうもの」と表現したことに由来する。

その思想を1988年、滋賀大学の名誉教授である小倉榮一郎氏が「三方よし」と著書に記した。伊藤忠の中では、近江商人の志を語るにあたり、「三方よし」が日常的に使われてきた。

「『三方よし』はSDGs(Sustainable Development Goals=持続可能な開発目標)で謳っている17の開発目標と重なるところが多いのです。その意味で『三方よし』は、日本版SDGsと言ってもいいのかもしれません」(小林さん)

世の中の流れは、株主利益を追求することからステークホルダー全体の利益を生み出すこと、それによって社会全体の好循環を生み出すことへシフトしている。「三方よし」が語る思想は、まさに時代観と呼応している。

「時代が大きな転換期を迎える中、企業の根幹を支える理念の重要性が増しています。そういう時期になって、弊社の創業の精神である『三方よし』は貴重な財産と言え、未来に向けても十分に通用するという確信を抱き、改訂することにしたのです」(小林さん)

「らしさ」を際立たせるために創設されたCBI

その改訂に向けて、伊藤忠内で中心となって動いたのが小林さんだった。小林さんはCAOという全社の人事、総務、法務部門を統括する役割に加え、サステナビリティ推進部、CBI(Corporate Brand Initiative)という組織も統括している。

CBIとは耳慣れない言葉だが、「伊藤忠商事という企業の、イメージの構築と発信、いわば弊社のブランドマネジメントを行っている部署です」(小林さん)。

大半の企業において、イメージの構築や発信は広報部や宣伝部が担っている。総合商社はBtoBビジネスが主体ということもあり、さほど大きな力を入れてこなかった分野でもある。

だが、時代が企業に求める役割が、利益獲得による成長だけでなく、SDGsに象徴されるように、地球や社会とかかわりながら、確かな役割を果たしていく方向へとシフトしている。一方で、総合商社の役割は幅も奥行きもあるだけに、外部から見ていてわかりづらい。

そういう時代の風を受け、伊藤忠の“らしさ”を際立たせ、広く社会に知らしめていこうという意図のもと、組成された組織がCBIだという。

企業理念を変えるとなると、通常はプロジェクトチームを組み、議論と検証を重ねながら文言を吟味する。社内外に浸透させるためにブランドブックを作る、説明用の動画を制作する、メディアで広告を打つなどの手順を踏むものだ。ところが「三方よし」については、伊藤忠の中で普段から使われてきた言葉であり、「特別なことをやらずとも、社員の中に浸透していった感があります」と小林さんは言う。

グローバルな企業だけに「三方よし」を海外の従業員にどう伝えるかの議論もあった。通常であれば英訳するところだが、あえて「SANPOYOSHI」と表記することにしたという。「かつてトヨタの“改善”が“KAIZEN”として広まっていったように、”SANPOYOSHI”という思想も、企業の枠組みを超えて広がっていったらありがたいととらえているのです」(小林さん)。

社外の人が読んでも面白い社内報にリニューアル

社内報のリニューアルもCBIが行った仕事の1つだ。

それまで『ITOCHU MONTHLY(イトウチュウマンスリー)』という70年に及ぶ歴史を持つ社内報があり、グループ会社も含めた社員をはじめ、OB、OGなどに配布されていた。

ただ、『ITOCHU MONTHLY』は全社の活動報告やトピックスなど「どちらかというと壁新聞的な要素が強かったので、社外の方が見ても面白く読め、取っておきたくなるものを作ろうと考えました」(小林さん)。

社内報とは名のとおり、内部に向けた情報に特化するのが常道であり、それが偏ってくると、「情報が限られていて面白くない」「いつも似たような話題が載っている」に陥ってしまう。

だが、小林さんが意図したのは、広報誌として社外に発信することで、企業の姿を知らしめ、イメージを醸成するのに役立つ情報誌だ。社外の人が面白がる情報は、社内にとっても有用な情報になる――そこを目指した抜本的なリニューアルを行った。

刷新された広報誌の名前は『星の商人』。このネーミングは、2014年にコーポレートメッセージ(現在は企業行動指針)として発表した「ひとりの商人、無数の使命」を新聞で告知した際、岡藤会長の少年時代のイラストとともに、「少年よ、この星の商人となれ」というキャッチコピーを付したことに拠る。世界津々浦々で商いを営んでいる伊藤忠の役割と、未来に向けての指針を象徴する言葉としてタイトルに掲げた。


伊藤忠の広報誌『星の商人』と、その中の連載である「駐在員の旅案内」を1冊にまとめた『旅する星の商人』(撮影:今井康一)

『星の商人』のページを繰っていくと、サステナブルな繊維の話、スプレッドやオイルの話、プラスチックにまつわるスタディなど、暮らしに身近で“知ってみたくなる”情報が並んでいる。「駐在員の旅案内」という連載では、その地で暮らし、働いている人のリアルな情報が豊富な写真ととともにつづられている。巻頭では、ファーストリテイリングの柳井正社長と岡藤会長の対談や、ファッションデザイナーであるポール・スミスのインタビューなど、ユニークな記事が載っている。

創刊から2年を経て、毎号3万5000部ほど作成され、社内外の関係者に送付している。蔦屋書店などにもフリーペーパーとして置かれており、持ち帰る人が多いという。社外に発信して評価されることで、結果的に社内にも伝わり広まっていく。いい意味での情報の循環が起きていると感じた。

内容については「伊藤忠の基本的なスタンスを理解していただきたいという意図を込めています」と小林さん。具体的には「普通の方々の日常生活に寄り添い、さまざまな側面からサポートしているのが伊藤忠の独自性であり、果たすべき役割の1つ。そこを訴求していこうと考えたのです」。

日々の暮らしに近い商いを手がける伊藤忠

総合商社の仕事というと、大きな資本を動かす壮大な事業ととらえられがちだが、それだけではない。伊藤忠は日々の暮らしに近い商いを数多く手がけている。そういう姿勢を『星の商人』を通して伝えていこうということ。だから、人の暮らしを取り巻くさまざまな事象を、楽しくわかりやすく伝えている。ページの随所にQRコードが付されていて、そこからも深く広い情報を得ることができる仕組みだ。

創刊10号を記念して、連載である「駐在員の旅案内」を『旅する星の商人』として1冊の書にまとめた。QRコードをなぞると、その地にまつわる音楽を聴くことができる隠れた仕掛けもある。『星の商人』を起点として、情報発信のさまざまな広がりも見える。

また、伊藤忠の本社の隣には「ITOCHU SDGs STUDIO」という施設スペースがある。かつては飲食店や床屋などが入っていた複合商業施設だったものを、CBIが手をかけ、さまざまな企業発信を行う場に変えたのだ。


本社隣にある「ITOCHU SDGs STUDIO」(撮影:今井康一)

例えば「ITOCHU SDGs STUDIO GALLERY」は、SDGsのさまざまな取り組みを発信していく拠点であり、社内に限らず外部の企画展示も行っているし、その隣には「ITOCHU SDGs STUDIO Radio Station」というラジブースも設けられていて、J-WAVEで放送されている冠番組の収録を行っている。


「ITOCHU SDGs STUDIO Radio Station」ではラジオ番組を収録(撮影:今井康一)

昨年7月には「ITOCHU SDGs STUDIO KIDS PARK」というスペースを設けた。ここは、子どもたちが「遊び」を通じでSDGsと出会える場。遊びながらSDGs の考えを理解し、体感できる施設になっている。ギャラリーもキッズパークも無料で一般に公開していて、多くの人で賑わっている。それも、外部に委託するのではなく、CBIという組織が自ら動き、周囲を巻き込んで社外に発信している。

課題はグループ経営の強化

さまざまな取り組みを進める伊藤忠だが、一方で課題も認識している。

「伊藤忠は大きなコングロマリットで、グループ企業は300社程度、従業員は連結で12万人います。グループ企業が伊藤忠全体の収益の90%を稼ぎ出していますから、グループ企業の人たちがもっと一丸となって頑張れる施策を打っていく必要がある。グループ経営を強くするために、CBIとしてもグループ会社のすばらしさを伸ばしていける方法を考えています」(小林さん)

グループ企業それぞれの独自性を尊重し、活かしながら、大きな船団としてひとつ方向に向かっていくのは容易ではない。その際、企業のイメージ構築と発信を行っていくCBIの役割こそが問われてくる。あくまで現場主義を貫き、事実=ファクトを積み上げていく先に道を拓く――伊藤忠“らしさ”がグループとして束になっていく未来が期待される。


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(川島 蓉子 : ジャーナリスト)