エアバス社の双発旅客機「A330」は、当初は低調な売れ行きだったものの、同社の歴史のなかでも2番目に売れた旅客機にまで成長しました。逆転のきっかけは何だったのでしょうか。

A320シリーズに次ぐ売れ行き

 エアバス社の旅客機A330は、1992年11月2日にフランス・トゥールーズ空港で初飛行しました。このA330シリーズはこれまで約1500機が製造され、世界中の航空会社で使用されています。現在も製造が続けられており、同社では、世界で最も売れた旅客機であるA320シリーズに次ぐヒット作となっています。なぜここまで好調な売れ行きを記録しているのでしょうか。


エアバスA330-300(画像:エアバス)。

 A330のルックスは、主翼の下に2基のエンジンを搭載する、オーソドックスな双発機でで、標準型のA330-300の場合、機体の長さが約65m、幅が60mです(胴体長などが異なる派生型もあり)。A330-300は約1万2000kmを飛ぶことができ 、スペック的には、大西洋・大平洋を横断する長距離航路にも使える性能です。

 胴体は、エアバス社初の旅客機「A300」とほぼ同じ形態のもので、幅は約5m。客室は通路2本でエコノミークラスの座席が8席並ぶレイアウトが一般的です。席数は300席から350席が標準的といえるでしょう。

 ただ、いまでこそエアバスの主力商品であるA330ですが、実は最初から順調な売れ行きを記録していたわけではありませんでした。

 エアバス社では1980年代、マクドネル・ダグラスMD-11を始めとするアメリカ製旅客機に対抗すべく、さまざまな革新的技術を導入した小型旅客機「A320」のシステムなどを活用し、それをA300の設計にフィード・バックする形で、新型旅客機の開発に着手しました。

 そして、のちのA330と、この4発エンジンを搭載するタイプとなる姉妹機A340を、ほぼ同時に開発することになります。これは、当時としては革新的な取り組みのひとつでした。

最初はイマイチもその後逆転…A330はなぜ売れた?

 これらの2機種でエンジン数を選べるようにしたのは、当時の旅客機の長距離の洋上飛行におけるルールが背景にあります。

 当時の双発機は、まだエンジンの信頼性が低いとみなされており、洋上での飛行ルートに制限がありました。エンジンを3発以上積んでいれば、その規制を受けずにすみ、太平洋・大西洋路線にも問題なく投入できます。

 このようななか、1985年にボーイング767は、双発機で初めてこの制限を超える能力を持つと認められる認定「ETOPS」を取得しましたが、まだこの認定がスタンダードなものとはいえず、実現までに多くの時間を要しました。そのためパイロットも同じ免許で運航でき、設計的にも大きく共通性をもたせた仕様とし、長距離路線ではA340を、中・短距離路線ではA330を用意することで、航空会社のニーズに応えたのです。


ルフトハンザ航空のA340-300(乗りものニュース編集部撮影)。

 ただ、最初はA340のほうが顧客からの反応も堅調で、エアバスもそれをうけ、A340を先行して開発することになりました。ところが、1990年代に入ると、ボーイングの777をはじめ、双発機が「ETOPS」を取得して長距離洋上飛行をすることが一般的になりました。

 そうなるとエンジン数が少ない分、燃料消費量が低く抑えられる双発機を長距離便に利用することも増えます。A330は運航実績を積み重ね「ETOPS」も取得。航続距離的にも長距離に対応できつつ(より長く飛べる派生型もあり)、客席数もボーイング777(400席級)ほど大きすぎず、使い勝手が良い――つまり航空会社が路線ネットワークを張るうえで、“痒いところに手がとどく旅客機”として年を追うごとに売れる旅客機になったのです。

 A330シリーズの製造はまだ続いています。現在エアバス社では、新エンジンの搭載や主翼の設計変更などで低燃費を実現した新世代機「A330 neo(New Engine Option)」を主力商品のひとつとしており、これからも引き続き製造されることとなります。