10月18日は、2004年「全英オープン」チャンピオン、トッド・ハミルトンの誕生日。1965年生まれで、きょうで57歳。92年から日本ツアーに参戦し、12年間で11勝。その後、米ツアーの予選会を突破しメジャーを制した“日本ツアー育ちのメジャーチャンピオン”だ。
米国イリノイ州西部にあるオクアウカ出身。高校時代に州のジュニア選手権で2回優勝し、オクラホマ大に進んだあとも輝かしい成績を残してきたが、目標としていたPGAツアー参戦はすぐには叶わなかった。
87年にプロ転向し、PGAツアーのクオリファイング(QT)に挑戦したが失敗。88年からは戦いの場を求めてアジアンツアーへ。92年に賞金王になると、その権利で同年から日本ツアーに参戦。6試合目の「マルマンオープン」では、ジャンボ尾崎を振りきりツアー初優勝を飾った。
これを機にハミルトンの才能が開花。プレー中、顔を真っ赤にして怒ることから「赤オニ」と呼ばれ、一時はシード権を落としたこともあったが、日本男子ツアーの12年間で通算11勝を挙げている。
03年に8度目の挑戦となった米ツアーのQTを突破すると、翌年3月の「ホンダクラシック」で米ツアー初優勝。さらに7月には「全英オープン」でメジャー制覇。プレーオフでアーニー・エルスを破った試合展開は見る者を釘付けにした。
3日目を終わって単独トップに立ったものの、1打差にはエルス、2打差の3位にはフィル・ミケルソンと、実績では格上のふたりが追ってくる展開。誰もが「ハミルトンはすんなりとは勝てないだろう」と予想していた。中盤で優勝争いからミケルソンが脱落、最終ホールのティに立ったときには、ハミルトンがエルスに1打リードだった。だが、ハミルトンはボギーを叩きエルスに並ばれて勝負は4ホールのプレーオフへ。
3ホール目をエルスがボギーとし、またも最終ホールを1打リードで迎えたハミルトン。72ホール目同様バーディチャンスにつけたエルスに対し、ハミルトンはグリーンを大きくショートしてしまった。逆転もある状況の中で、アプローチに選んだクラブはユーティリティ。見事に寄せると、エルスがまたもバーディパットを外し、熱戦に終止符が打たれた。
優勝インタビューで喜びを語ったあとには「僕がここにいられるのは、日本ツアーでの12年間があったからです」と付け加えた。その後は12年までPGAツアー、13年から15年は下部ツアー、16年からはチャンピオンズツアーでプレーした。

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