「結婚なんて興味はない」と豪語する34歳女医が直面した現実とは
女医の世界には「3分の1の法則」というものが存在する。
「生涯未婚」「結婚した後、離婚」「結婚生活を全うする」それぞれの割合が、ほぼ3分の1ずつとなるというものだ。
彼女たちを取り巻く一種異様な環境は、独特の生活スタイルを生み出し、オリジナリティーに富んだ生き方を肯定する。
それぞれの女医は、どんな1／3の結末をむかえるのか…。
▶前回：結婚3年で離婚を決意した34歳妻。女がどうしても許せなかったコトとは
Vol.7 美容外科医・茉莉（34歳）の場合【前編】
「それで、あのジョージ・クルーニー似の院長とはどうなったの？」
「そうだ！私もそれ聞きたかったんだ！」
奈央も身を乗り出して、耳を傾けた。
2人とも、茉莉の高校時代からの友人であり、こうして定期的にランチをして近況を報告し合っていた。
「院長じゃなくて、副院長ね。もうとっくに別れてるよ」
茉莉のあっけらかんとした発言に、2人が目を丸くする。
「もう別れちゃったんだぁ。相変わらずサイクル早いね…と言っても、相手は既婚者だったし。仕方ないか」
3ヶ月ほど前、形成外科医の集まるセミナーに参加した際、丸の内にある美容クリニックの副院長と知り合った。
メディアでもたびたび見かける50代の医師であり、気さくな発言をすることで人気もあったことから茉莉も興味を持ち、食事に誘われたタイミングで関係を持った。
「あの人、プライベートでの会話が全然面白くないの。どんな有名人に会ったとか、そんなのばっかで。頭悪いよね」
「きびしいっ…！さすがは茉莉」
「まあ、実際茉莉は有名人とも付き合ってたし。今さらそんな話されてもね…」
2人が言うように、茉莉の恋愛遍歴はバラエティに富み、医師以外にも一流と呼ばれる男たちを手玉に取ってきた。
白い肌にロングの黒髪が映え、一見すると清楚にも感じるが、大きな瞳はどこか虚ろで怪しい光を帯び、ミステリアスにも映る。
男たちは、茉莉のこのギャップに落ちていく。
「茉莉、高校のときからモテたもんねぇ」
「そうそう、めっちゃ告白されてた。サッカー部のキャプテンでしょ。隣の男子校の読モでしょう。あと、教育実習で来たイケメンの先生も！」
「もう、昔の話はいいよ…」
茉莉はそう言いつつも、内心満更でもない。
「キレイだし頭はいいし、そこに女医なんていうブランドが加わったら、もう無敵だわ！」
「そりゃ、男も放っておかないわ…」
もうお手上げ…といった友人たちの称賛の声に、茉莉は「ふふ」と微笑んで見せる。
こうしてランチタイムは、茉莉の提供する恋愛話に美佳と奈央が刺激を受け、茉莉自身も讃嘆されることで優越感に浸り、3人にとっての有意義なひとときとなる。
だが、最近はその事情が少し変わりつつある。
「あ、もうこんな時間。そろそろ子どもを迎えに行かないと…」
「じゃあ、私もそろそろ…」
既婚者である友人たちが、帰り支度を始める。
かつては時間を忘れて話し込んでいたが、最近は第三者の存在によって遮られてしまう。
「そっか。2人とも、もう子どもが幼稚園だもんね。大変だ」
「自分の時間が少なくなっちゃうのはね…。でも、可愛いよ。茉莉は結婚とかは考えてないの？」
「そうそう。周りの独身の医師とかいい人いそうじゃない？」
確かに同僚の女医たちは、研修が終わったタイミングなど、早い時期に医師同士で結婚する者もいた。
茉莉にも研修医時代に医師の恋人がいたが、その時の交際が最も退屈だったと記憶している。会話の内容、デートのコース、将来設計、すべてが想像できる上に、周りの女医と同じような人生になることにも面白みを感じない。
今の茉莉にとって、恋愛はゲームのようなものであり、ゴールに結婚があるとは到底思えないのだった。
「家族で支え合うっていうのもいいもんだよ」
「う〜ん、私はまだ…」
― 誰かを支えたいなんて思わないし。私はひとりで生きていけるから…。
茉莉は、心の中でそう呟くが、どうもどこか虚勢を張っているような、それが自分の本心でないかのような、むず痒さをおぼえる。
◆
『ティスカリ』でのランチを終えて外に出ると、初秋の日射しがまだ強く照りつけ、蒸し暑さを感じる。
茉莉は2人に別れを告げ、自宅のある青山方面に向かうタクシーを拾うため、大通りのほうに歩く。
すると、向かい側からスポーツウェアを着込んだ男性が走ってくる。
― この時間にランニングか。暑そう…。
気の毒にすら思っていると、すれ違いざまに男性の足もとがふらつき、上体が傾いた。そのまま地面に膝をついて屈み込んでしまう。
「だ、大丈夫ですか!?」
茉莉が慌てて駆け寄ると、男性は肩で息をしながらうなずいた。
顔は無精ヒゲで覆われているものの、年齢はかなり若く見える。
脈をとると、少し弱く感じられた。
― 熱中症かしら…。脱水の症状も見られるわね。
茉莉は相手の体を支え、建物の影に移した。上着を脱がせ、近くにある自動販売機でスポーツドリンクを購入し、キャップを開けて手渡そうとする。
しかし、男性は首を振る。
「いやいや、飲まないと。私、医者だから。安心して」
そこでようやく男性は水分を口に含んだ。
「一応、救急車呼んだほうがいいかもね…」
茉莉がスマートフォンを取り出すと、男性が拒むように手を振り、「それは、やめてください…」と、か細い声で言う。
「明日、試合なんです。これから計量があって…」
男はプロボクサーで、計量の前に最後に汗を出して体重を落としていたのだと言った。
そしてゆっくりと立ち上がり、頭を下げる。
「大丈夫なの？そんな状態で明日試合なんて…」
「いつものことなんで…」
頬のこけたやつれた顔で力なく笑う。
― 骸骨みたいじゃないの。試合なんて絶対負けるでしょう…。
「じゃあ、心配だから。もし急に体調が悪くなったりしたら連絡して」
男の名は、修也というそうだ。
連絡先を交換すると、修也はジムのあるという学芸大学駅のほうに向かって歩き出す。
― あ〜あ、大丈夫かな…。
茉莉は、よろめきながら歩くその頼りない背中をしばらく見守った。
翌日、茉莉は“格闘技の聖地”とも言われる後楽園ホールに初めて訪れた。
茉莉の耳に、ガサツで品のないヤジが飛び込んでくる。
― ちょっと、なにここ。めちゃくちゃガラ悪いじゃない…！
普段関わらない荒っぽいタイプの人の群れと、そこに溢れる熱気に狼狽えた。
昨夜、修也から電話がかかってきて、「無事、計量をパスできました」と報告を受けた。
そして感謝の言葉とともに、試合への招待を受けたのだ。
「自分の試合は19時半くらいからだと思います」
修也の言っていた時間に合わせて、仕事帰りに会場に寄ってみると、ちょうど入場が始まり中央のリングに上がるところだった。
リング上の修也は、ヒゲを剃り、血色の良いシャープな顔立ちをしていた。
― 良かった。ちゃんと回復したんだね。
その肉体は、無駄なものがすべて削ぎ落とされ、敏捷性や瞬発力といった能力に特化したような頑強さを感じさせる。
まるで研ぎ澄まされたナイフのような、怪しい輝きを放っていた。
― ああ、なんかドキドキしてきた…。
相手選手と対峙する修也を見て、これまで感じたことのない独特の緊張感をおぼえる。
ゴングが鳴り、試合が始まった。
相手選手とともに、お互いにけん制しながらリング内をサークリングする。時折パンチが交錯し、パンッという鋭い打撃音が響く。
― ええ…こんなすごい音するの…。当たったら死んじゃうって…。
互いに軽快なステップでパンチを交わし、有効打をもらわない。
そこで、修也が半歩下がり、相手との間合いを取る。右の腕を振るったとろで、相手選手の膝がガクッと揺れた。さらに修也が距離を詰めて懐に入ると、相手選手がマットに倒れた。
会場内に、地鳴りのような大歓声が沸きおこる。
― え…？何が起きたの。なんで相手選手は倒れたの？
リング上ではレフェリーが選手のあいだに割って入り、両腕を大きく振る。試合終了が告げられた。
あっという間の出来事に、茉莉は事態を把握することができない。
「最後のはアッパーだな。キレイに顎に決まったなぁ」
隣の席に座るボクシング通と思しき白髪の男性が呟いた。
鳴りやまない歓声。場内に修也の勝利を告げるアナウンスが入る。
気づけば、茉莉の掌はビッショリと汗に濡れ、小刻みに震えている。心臓が大きく、速く打ち、高揚がおさまらない。
いつの間にか、茉莉はリング上の修也に引き込まれていた。
すると、茉莉の胸にある感情が湧きあがる。
― この人が欲しい！
まるで細胞レベルで求めているかのように、茉莉はそう強く思うのだった。
これまでも茉莉は、みんなが憧れるものを手に入れて独占しては、羨望や嫉妬の眼差しを受け、優越感に浸っていた。
だが、今抱いている感情は、これまでのゲームのような恋とは違い、もっと純粋で真っすぐなものだ。
― この人なら、私が支えてあげてもいい！
茉莉には、この気持ちが永遠に続いていくような気さえした。
自分の恋愛ゲームが、最終ステージに突入したように、茉莉は感じた。
▶前回：結婚3年で離婚を決意した34歳妻。女がどうしても許せなかったコトとは
▶1話目はこちら：親が勧める相手と結婚したものの…。女は満たされず、つい元彼に連絡してしまい…
▶NEXT：10月16日 日曜更新予定
初めて男を献身的に支える34歳女医。試合会場で受けた屈辱とは…
