看板猫がお出迎え!純喫茶「カフェ アルル」は猫たちの“わが家”
「犬」と家族の日々をつづる「inubot回覧板」を連載中の写真家・北田瑞絵さん。北田さんにとってinubotで紹介している犬は、暮らしの中に光を灯してくれるような存在で日々たくさんの歓びを与えてくれますが、同時に犬にまつわる悩みや心配事も生じます。この「まほろば写真館」では、動物とともに生きている方からお話を聞いて、動物との日常の中で大切にしている想いを教えていただきます。
看板猫と過ごす。『カフェ アルル』のマスター根本さんの日常
第3回目は、新宿三丁目の喫茶店「カフェ アルル」のマスター・根本治さんにお話を伺いました。
●お店に入る前からかわいい猫が出迎えてくれる
和歌山から新宿に飛んできました、猫に会うために。そして辿り着いたのは新宿三丁目にあるカフェアルル。遠目でも分かるすてきな門構えに引き寄せられるように店前に来たら、なんとベンチにもういらっしゃるではないですか。
この子の名前は“次郎長”。「初めまして、こんにちは」と次郎長と目が合うようにしゃがみ「失礼してよろしいですか?」と腕を伸ばした。
日頃あまり猫と触れ合う機会がなく、うちでは柴犬の成犬と暮らしているので、「…猫ってこんな…こんな華奢なんか」とまず驚愕。そして即やみつき。
そして店内に入ると、「いらっしゃいませ」と穏やかに迎えてくれた根本さん。
アルルは1978年創業の老舗純喫茶。そして現在アルルを住処にしている猫が次郎長と石松。
●お客さんがつないでくれた出会い
次郎長と石松がやってくる前に、五右衛門という先代猫がいた。根本さんは「五右衛門を看取ってから猫と暮らすのはもう終わりかなぁ」と思ったそうだ。
だけどお客さんに保護猫ボランティアの活動をされている方がいて、「五右衛門にそっくりな子がいるから引き取ってもらえないか」とお願いされたのが次郎長だった。
そのときに次郎長が石松をかわいがっているから片割れだけではなく一緒に…という話で根本さんがふたりの里親になったのだ。離れ離れにならなくてよかった。
次郎長は石松よりも4歳年上で、換毛期なんかは石松の毛繕いを次郎長が行うらしい。
落ち着いた暖色の照明の店内は根本さんが収集したたくさんの骨董品や美術品が飾られている。「よく猫に悪戯されないなって思います」と根本さんは笑っていたが、たしかに猫がいる家庭は猫の手が届く場所には物を置かないイメージがある。
「来た当初から悪戯しないですね。それでいうと五右衛門がトイレをしていたところを指して“君たちのトイレはここだよ”と言うとその場で覚えたんですよね。僕はそれがいちばん驚きましたね」と、振り返る。
不思議な出来事だけど、次郎長と石松はどこかで根本さんの言葉を察したのだろう。動物と生きていたら、おとぎ話のような不思議な出来事がときに現実として起こるのだ。
●猫の“わが家”だからこそ見れる光景
アルルでは色んな層のお客さんが思い思いに過ごし、その中で次郎長と石松も気ままにとてもリラックスしている。ふたりからしたらわが家でくつろいでいるだけなんかな、そこに人が行ったり来たりしてる感じだ。
たまにふたりがお客さんと相席することもあって、この日もお客さんがいるテーブルの空いた席に着くと、ごろ〜んと横になってぐるりと身体を巻いた。
猫が身体を丸めて眠る姿はアンモナイトとかけて“ニャンモナイト”と呼ばれている。初めて目にしたニャンモナイトは思った以上に丸まっていて、ずっとずっと愛らしい。
そんな次郎長と石松の姿に心を癒されるお客さんも多いのだとか。「そういうつもりはなくても、次郎長と石松は役割を果たしているんですよね、きっとね」
「あぁでも唯一石松がソファをガリガリやって、穴開けちゃうんですよ」と根本さんの視線にならうと石松がソファの背に登って、ちょうど爪を立てるところだった。
私の見解だが、愛猫家も愛犬家も自宅が動物によってボロボロになってしまうと話しているとき、困った口調でも表情はどこかうれしそうなのだ。根本さんが石松を見守っている眼差しもとても優しい。
働いている従業員の方もみんな猫好きだそう。隣のテーブルでは仕事を終えたアルルの従業員の方が次郎長をマッサージしていた。
次郎長はとろけたように全身を委ねていた。
また、ほかの従業員の方が石松を抱っこしながら手慣れた様子でレジを打っていたり…猫とともに過ごす、これがアルルの日常茶飯事なのだ。
●天才を発見…!
そういえばと私は鞄から次郎長と石松に用意したお土産のおやつを取り出した。根本さんに了解をいただいて、ちゅーるをあげさせてもらう。
従業員の方が右手にちゅーるを持って「次郎長」と呼ぶと、目を爛々と輝かせながらもお利口に座る。
なにをするのかなと見ていたら、空いている左手を次郎長に差し出すと、次郎長は白い手をぽむっと乗せた! おおおおお手、お手をした!!! 天才がいますみなさーん!!!
そして次郎長がちゅーるをなめ始めたら、私にちゅーるを代わってくれた。根本さんもだが、従業員のみなさんも優しい方ばかりだ。
小さな舌で少しずつ少しずつちゅーるをなめる次郎長を眺めながら、しみじみとこの子たちがここで生きていてくれてよかかったなぁと心底思った。
●猫のためにも末永く続けていきたい
骨董品のほかに店内に飾られているのは根本さんが撮った膨大な写真の数々。そこには五右衛門の姿もある。
「猫にはね、絶えず話しかけるじゃないですか。五右衛門がいなくなってからも、癖が抜けなくて話しかけていたんですよね。掃除をしながら“五右衛門よ〜、”なんてついつい口にして、“あぁ独り言を言っちゃったな”っていう瞬間に侘しく感じるんですよ」
それまで五右衛門にかけられていた根本さんの話し言葉が、あるときを境に独り言になってしまう、そのことについて考えると私はただただ打ちひしがれるばかりだ。
「ふと夢にも出てきてね、眠っていると布団の上にサァッサァ…って歩いてくるような感触があってね、いるわけないのに手を伸ばすんだよね。亡くなったって実感するのには何か月かかかるんですよね」
根本さんにとって、五右衛門も次郎長も石松も代わりのいない存在。自然と生活の中心には猫がいて、カフェ アルルの将来について考えるときも次郎長と石松の生涯を第一にしている。
「自分の身体だけを考えたら営業できるのもあと4〜5年かと思う。でも5年後の次郎長は16歳、石松が11歳って考えると、“いやあと10年はがんばらなきゃ”という気持ちが湧いてくる。この子たちの家はここだから、ここで天寿をまっとうさせてあげたいんです。移動しながらとか転々と誰かが飼ったとかじゃなく。そのために自分が健康でないといけないんです、なんとかね」
そう語る根本さんからとても切実な想いを感じた。どうか、根本さんと次郎長と石松がいつまでもお元気でいてくれますように祈らずにはいられなかった。
カフェ アルルの急かされない空間は本当に居心地がよくて、気づけばどっぷり日が沈んでいた。店前まで根本さんと次郎長と石松が見送ってくれた。その光景があまりに優しく暖かく…夜闇に沈みゆく新宿で、あたたかな光が灯る一等星のような場所なのだ。
東京に来ても、帰ってくるような場所ができた。次回はナポリタンを食べようと心の中で誓いながら、「また来ます」と大きく手を振った。