「外国人は奴隷じゃない」 震災後の気仙沼市でインドネシア人労働者と生きる日本企業 - BLOGOS編集部

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※この記事は2019年06月07日にBLOGOSで公開されたものです

4月に改正入管法が施行され、外国人労働者の受け入れが拡大された。新たな在留資格「特定技能」が創設され、5年間で最大34万5千人の外国人が新たに日本で働く見込みだ。

受け入れが広がる日本で外国人労働者とともに生きる上で大切なことはなにか。同法施行前から外国人材を受け入れてきた企業に話を聞くため、宮城県気仙沼市を訪れた。

2011年の東日本大震災後、人手不足を補うためにインドネシア人労働者の雇用を続けてきた水産加工会社・阿部長商店と土木工事業・菅原工業。2企業に「外国人とともに働くヒント」を聞いた。【取材:清水駿貴】

震災後にインドネシア人実習生を受け入れ 「外国人は奴隷じゃない」

気仙沼市では震災以前から遠洋漁業の乗組員として外国人労働者を受け入れるなど、インドネシアとの交流が深かったという。震災の3ヶ月後にはインドネシアのユドヨノ大統領(当時)が気仙沼市を訪れ、200万ドル(約2億2000万円)を寄付した。そういったつながりがあったことから、震災後、復興を目指す地元企業がインドネシア人を技能実習生として受け入れることが増えたという。

阿部長商店もそんな企業の1つだ。代表取締役の阿部泰浩さんは「日本人は住む場所も働く場所も失い、当時雇っていた中国人の技能実習生はみんな国に帰ってしまった」と震災当時を振り返る。

津波の被害を受け休止していた水産加工工場などを徐々に復旧させ、6年前から、インドネシア人を主とした技能実習生の受け入れを再開した。阿部さんは「イスラム教徒という異文化の人たちを受け入れるということで最初は身構えていた」と話す。しかし、実際に一緒に働いてみると「とても親日的で付き合いやすい。真面目に働く実習生の存在は、人手不足に喘ぐ気仙沼市にとって大きな助けになっています」。

ともに働いているからこそ阿部さんは、4月に施行された改正入管法を巡る国会の議論と、それに関する報道のあり方に憤りを感じているという。「『日本の企業が外国人を労働力としか見ていない』という報道がたびたびあるが、とんでもない。外国人は奴隷じゃない。お互いの文化を融合させて助け合いながら働いている企業もあることを知ってほしい」と訴える。

さらに阿部さんは新在留資格「特定技能」で同業種内での転職が認められたことに懸念を示す。「日本人の若者と同じく、外国人材も賃金がいい都会にこれから流れていくのではないか。地方には地方の良さがあるが、来てくれないとそれが伝わらない」と肩を落とす。

実習生「安心で安全。日本で働くのは楽しい」

現在、阿部長商店では全体で157人(インドネシア人135人・中国人22人)、そのうち気仙沼工場(気仙沼食品)で81人(インドネシア人59人、中国人22人)の外国人労働者が働いている。工場を訪れるとベルトコンベアで運ばれるサバや秋刀魚などの地元で獲れた魚をインドネシア人実習生たちが丁寧にパック詰めしていた。

リサ・メイ・セラタマさん(26)は「日本でお金を貯めて、将来はインドネシアで子ども向けの玩具のお店を出したい」と来日した。日本での就労を認める外国人技能実習制度では、1~3号の3段階で在留が可能となる。リサさんは技能習得を目的とした在留資格「技能実習1号」で1年間働いた後、試験に合格し2年の在留延長が認められる「技能実習2号」に移行。計3年の実習経験を経た昨年5月、さらに2年延長できる「技能実習3号」を取得し、現在は後輩たちを指導しながら働いている。

同じく技能実習3号のリリス・ウランダリ・セプティアニンガさん(25)は、実習生として働いた経験を持つ高校時代の恩師から日本の話を聞き、憧れを持ったという。昨年5月から気仙沼市で働くトリ・スシロさん(22)は「日本の技術や知識を学びたい」と働くことを決めた。スシロさんの村では、大半の若者が国外で働き口を見つけるという。

「日本は東京のような大都会が広がっていると思っていたので、初めて気仙沼に来た時は何もなくて驚きました」と話すリリスさん。「でも、1ヶ月ほどで慣れました」と笑顔を浮かべる。3人は「安心で安全な日本で働くのは楽しい」と口を揃える。阿部さんは「勉強熱心で、日本の文化に触れたいと意欲的な人が多く、一緒に働きやすい」とインドネシア人実習生たちの働きぶりを評価する。

「方言が聞き取れない」「モスクやハラルフードがない」一緒に働く上での課題も

日本で働く上での課題もある。

例えば言語。3人は来日前、インドネシアの学校で日本語を学び、来日後も日本人社員に日本語をチェックしてもらうなど勉強を続けている。リリスさんは「ゆっくりであれば日本語での会話は問題ありません」と話す。

しかし、3人の頭を悩ませるのが「方言」だ。工場内で一緒に作業するのは60~70代を中心とした日本人女性。標準語を勉強してきたインドネシア人実習生たちは東北地方の方言やイントネーションを聞き取ることができない。「3年以上経ちますが、方言はまだわかりません」とリサさんは話す。

また、宗教的な課題もある。インドネシア国民の約9割を占めるムスリム(イスラム教徒)には、ラマダン(断食月)や1日5回の礼拝、豚肉やアルコールの禁止など宗教的な規則が存在する。阿部長商店で働く実習生たちの多くもこのルールを守りながら働いている。

しかし、気仙沼市内には礼拝を行うための「モスク(礼拝所)」はない。最も近いのは仙台市にある「仙台モスク」だが、気仙沼市からは車で片道2時間以上かかる。現在、実習生たちは工場での仕事の休憩時間に、会社が用意した部屋で礼拝を行なっている。

豚肉などイスラム教で禁止された食品を使わない「ハラルフード」を販売する店も宮城県内では少なく、リサさんらは「調味料や食品はオンラインで購入している。コンビニに売っているお菓子は気軽に食べられない」と話す。

仙台モスクを運営する仙台イスラム文化センター代表の佐藤登さんは「関東地方に比べて東北地方はモスクなどが少なく、イスラム教への理解が遅れている」と指摘する。「ムスリムが日本の働き方を理解し、柔軟に対応することは大切です。しかし、雇用側もイスラム教やムスリムへの理解を示さず、なにも対応しないままだと、職場として日本を選ぶムスリムはいなくなってしまいます」

「例えばオーストラリアでは、ムスリムが金曜礼拝に参加する場合に職場を一時離れることが保証されているなど、ムスリムを受け入れる場合の法整備がしっかりしています。ムスリムを単なる人手不足対策の穴埋めとしてだけでなく、我々日本人と同じ1人の人間として受け入れる準備が日本でもっと整うといいですね」

気仙沼にモスクを 地元企業の挑戦

気仙沼市にイスラム関連の施設が少ない現状を打開しようと、現在、モスクの建設を進める地元の民間企業がある。土木工事を手がける株式会社菅原工業だ。

同社も震災後、人手不足解消のため、インドネシア人技能実習生の受け入れを決めた。今では常時6~9人の技能実習生が日本人社員の指導のもと道路や側溝の建設に従事している。代表取締役専務の菅原渉さんは「若い人が少ない気仙沼で20代の男性が10人近く入ってくれるというのは本当にすごいこと」と力を込める。

「実習生と過ごすなかで気仙沼市内にモスクがないことを気にかけていた」という菅原さんは、飲食店や銭湯などの商業施設を集めた区画「みしおね横丁」の建設企画が地元から起きたことをきっかけに、実習生のためのモスクとインドネシア料理店を建てることを決めた。21平米のトレーラーハウスを礼拝の場所とする予定だ。

実習生たちの礼拝が可能になるだけではなく、「モスクやインドネシア料理店が近くにあることで、地元の人たちと実習生たちが触れ合う機会が増えるはず」。現在、実習生たちは夏祭りやインドネシアパレードなどの地元の行事に参加し、地元民と交流を図っているが、機会が多いとは言えない。菅原さんは今年の夏に完成予定のモスクが気仙沼の新たな文化的交流地点になることを願っている。

経営者は実習生の母国に足を運ぶべき

そんな菅原さんも受け入れ前は、イスラム教徒に対して「テロや過激派のイメージが少なくはなかった」と話す。実際に仕事をともにするなかで、インドネシア実習生たちの勤勉さや親しみやすさに触れ、印象が変わっていったという。

当初は「異文化」を意識するあまり、日本人社員のほうが実習生たちに気を使いすぎてうまくコミュニケーションが取れなかったという。今は一社員としてインドネシア人実習生に間違った部分があれば先輩社員が厳しく指導する。菅原さんは「叱るべきときはしっかりと叱り、笑う時は一緒に笑うことが一番大事」と話す。

さらに、インドネシアで事業を展開するために、現地に足を運んだ経験が菅原さんを大きく変えた。「現地の人からラマダン(断食)はイスラム教の信仰を示すことと、貧しい人の気持ちを経験し、その想いをみんなで分かち合う意味があると聞いた。素晴らしい宗教だと思ったし、信仰を通したインドネシア国民の一体感を肌で味わえました」。

菅原さんは技能実習生を受け入れる企業の経営者は「現地に足を運ぶべきだ」と話す。

「宗教的行動の意味や家族を大事にする習慣など、異文化を実際に自分の目で見て耳で聞いて、本当の彼らの姿を理解することで一緒に働きやすくなるはずです。海外での事業展開を視野に入れて雇用すると、実習生のことを期間限定の労働力とは見なくなるはず。この先も一緒に仲間として働くわけですから」。

外国人労働者を受け入れることは「中小企業にとってのチャンス」と話す菅原さん。「彼らは単純労働者ではありません。地方にとっては大切な住人、企業経営者にとっては海外展開へとつながるキーパーソンとなる人材です。実習期間が終わったら関係終了ではなく、今はSNSもあるのだから、『困った時は連絡してこいよ』とつながり続けることが大切だと思います」。

10日間の大型連休が明けた5月の中旬。防波堤がそびえる海に囲まれた同市朝日町の道路で菅原工業のインドネシア人実習生4人が日本人社員の指導のもと、道路や側溝の工事を行なっていた。作業中は真剣な眼差しで業務に励んでいた彼らだが、時折、日本人の先輩社員との雑談のなかで笑顔を見せた。

昨年10月に気仙沼市に来たというアト・スハルトさん(26)は「先輩たちはみんな優しい。最初はきつかった仕事も少しずつできるようになり、今では慣れました。将来は日本で学んだことを活かして、インドネシアで社長になりたいです」と笑みを浮かべた。