「中長期で自由になるために、短期間の不自由は飲み込んで」名マーケター・森岡毅氏が語る 苦境を乗り越えるための仕事論 - 村上 隆則

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※この記事は2019年05月30日にBLOGOSで公開されたものです

社会人なら誰もが経験する「苦しい」「つらい」時期。そんな時期を、一流のビジネスパーソンはどのように乗り越えたのだろうか。

森岡毅氏は、P&Gでブランドディレクターを務め、USJをV字回復させたことで知られる日本屈指のマーケターだ。同氏の新著『苦しかったときの話をしようか』(ダイヤモンド社)には、自身の経験と仕事に対する考え方が生の言葉で綴られている。

はたして、苦しさを乗り越えた先に見えるものはなんなのか、そして、同氏が考える「働く意味」とはなんなのだろうか。じっくりと話を聞いた。

「マーケのほうがいいと思うよ」就活中のひと言が転機に

-- 近年、日本でもマーケターという職種が注目されるようになりましたが、森岡さんがこの仕事を選んだ理由はなんだったのでしょうか

明確にマーケターを志す意図があって、若いときから修行して、見事なりました、だったらかっこいいんですが、実は全然違って。

就活をしていた頃は漠然と経営者になりたいと思っていたんです。昔から、周りの人を勝たせることに異様な喜びを感じるタイプだったので、それを仕事にするなら経営者だろうと。当時から数字には強かったので、はじめはファイナンス系のキャリアを積んで経営者にたどり着こうと考えていました。

-- マーケターではなく、経営者志望だったんですね

そもそもマーケティングを知ったのは、大学時代、「ゼミに来い」と言ってくれたのが、マーケティングの先生だったからなんです。それでマーケティングのゼミに入ったんですが、「VOGUEのファッション分析」のような課題が全然面白くなくて(笑)。一人で競馬の新馬戦の勝ち馬を当てる予測モデルや小豆の相場の予測モデルを作っていたんです。中でも新馬戦の予測は的中率76%まで上げました。

-- 76%はすごいですね……

でもそれマーケティングと違うよねって(笑)。

その後、就職活動をはじめて、いくつかの企業から内定をいただきました。P&Gでファイナンスの内定をいただいた後、「君、キャラがファイナンスというよりもマーケなんだ」と。それでマーケを受けたら、「マーケのほうがいいと思うよ」とやっぱり言われた。

「どっちのほうが経営陣に近いんですか?」と聞いたら、「P&Gの歴代社長はみんなマーケだ」と。それで、じゃあマーケに行きますという話になりました。だから実は、P&Gを受けたのもマーケティングカンパニーだからじゃないんですよ。

-- なぜP&Gを選ばれたのでしょうか

単純に、外資系でむちゃくちゃ厳しそうでヤバそうだから受けたんです。ここに入ったら、絶対に怠けられないぞと。私は根が怠け者だから、すべての退路を断とうと思ったんですよね。

入ってみると、20代の社員が経営者目線でビジネスを語っていたし、実際にすごい人たちがたくさんいました。P&Gは強火で短期で煮る。だから成長のスピードが早い。この早さを重視してP&Gのマーケティング本部に入りました。ただ、入ったら、苦労と後悔の日々が待っていて(笑)。「やっぱりマーケティング向いてないよ!」と。でも逃げ道はなかったから、とにかく、やるしかなかった。それがマーケティングという仕事との出会いです。

「思っていたものとは全然違った」マーケティングという仕事

-- 仕事に就いてみて、感じたことはありましたか

もう、思っていたものとは全然違っていましたね。今となっては、核心の部分だけは一致していたのでそれは良かったなと思いますが。

私はマーケティングというのは、Excelとかマクロを使って、数字をぐるぐる回す、データサイエンティストみたいな仕事だと思い込んでいたんです。でも、実際にはもっと生臭くてドロドロした、人間を動かす仕事だった。

マーケティングは、企業が構造的に企画を打ち出す最初のところです。とすると、すべての部署の交差点に立つことになる。P&Gもそうですが、営業もR&Dも調査部門も、全部マーケティングが何をやりたいかから始まるわけです。

私は定量データの分析は得意だったんですが、もうひとつの、人間の感覚を洞察するということが本当に苦手だった。でも、周りのマーケターはそれを感覚的に語るわけです。これがすてきだとかキレイだとか。そういう形容詞と副詞と、フラッフィーでファジーな言葉が行き交う世界。それで「これはヤバい」と思ったんですよ。そういうのは全然できなかったので。

実際、やってみてもできない。もうポンコツもポンコツ、まだマーケターでもなんでもない、ポンコツマーケターの卵なんだけど、ひび割れてて白身垂れ流し状態(笑)。そんな感じでした。

-- それが20代のはじめの頃ですね

はい。最初は感覚的に話す先輩たちを見てマネしようとしていたのですが、自分の中にそういうセンサーがないので、やはり難しかった。それで私は、そのファジーな部分を理論化することに力を入れたんです。そしてそれこそが成功確率を上げる方法だということに気付いた。20代後半の頃ですかね。弱点はなかなか克服できないので、弱点をカバーするために、自分の強みを使って人を使うということを覚えて、なんとかマーケティングの領域で結果を出す方法を模索していました。

それが上手くできるようになって、ブランドマネージャーやディレクターにもならせていただいた。そして、アメリカの本社に行ったんです。そこで、人生で初めてマイノリティになって、なかなかショッキングな扱いを受けた。いい勉強になりました。

「本当に出るんだ」血尿が出るまで追い詰められたアメリカ時代

-- アメリカではかなりタフな経験もされたんですよね

アメリカではプライベートと仕事の両方で追い詰められましたからね。アメリカに行く前、日本でそこそこ強くなっていたつもりだったんです。でも、アメリカは、全然違いました。

家族で渡米したのですが、妻はあまり英語が得意ではなかった。子どもも現地校に入れたので、言葉もわからないまま泣きながら学校に行く。それを見て妻は不安になるし、日本人コミュニティでのややこしい付き合いなんかもはじまって、それも負担になる。これがずっと続いた。今でもはっきり思い出せるんですが、ある日子どもが怪我をして、妻が救急車を呼んだのですが、乗せる乗せないで揉めて、なんとか自力で病院に連れて行ったんです。そこでも保険がないとかで診てくれなくて、もうパニック。家族には負担だったと思います。

私は私で、オフィスで現地のスタッフと毎日やり合っていた。P&Gが大きいから儲かってるだけのくせに、怠けてばかりと思って、キツいことを言っていたんです。「コンシューマー イズ ボスはP&Gのプリンシプルだろう。君たちと一週間過ごした中で、君たちは何時間真剣にコンシューマーのことを見て、考えたんだ。そういう基本的なことをやらないから行き詰まるんだ」みたいなことを。下手くそな英語でね。そしたらまあ、いじめられますよね(笑)。

この時のエピソードは挙げるとキリがないんですが、会議のサマリーは回してもらえないし、ミーティングでは聞き取るのが難しいくらいの早口で、しかもスラング混じりで喋られるし、挙げ句の果てには、パワーポイントの資料の表紙がセクシーな女性の画像に差し替えられたりとか。もうほんとトラブルばっかり起きるわけですよ。そしたら血尿が出ました。あの時は「本当に出るんだ」と驚きましたね。

-- 精神的にも肉体的にも相当堪えていた?

つらかったですけど、日本から本社に行っていたので、ここは絶対に負けるものかと思って踏ん張りました。でも、毎日行きたくないと思ってましたよ。ほんと、シンシナティ(編集部注:P&G本社があるアメリカの都市)の冬は寒いんです。外も真っ暗で。それで、ベッドで布団にくるまって「行きたくなーい!」って思っていたら、子どもが「行きたくなーい!」って向こうの部屋で泣いているのが聞こえてくる。ここで私がこんなことを言っていたらダメだと思って、自分を奮い立たせていた。あんなになったのは、人生でもあのときくらいです。

「日本人は全員、ゆとりを持ちすぎだ」

-- その苦しい時期を乗り越えてP&Gで成果を出して、その後USJでも成功をおさめて独立されたわけですが、いま思っていることはありますか

いろいろ経験して、いま私が言いたいのは、日本人は全員、ゆとりを持ちすぎだということです。ふざけてるんじゃないかと。

アメリカほど国も大きくない、資源もない、軍隊もない。なのに、大きな会社の様子を見ていると、一日8時間働こうが10時間働こうが、そのうちの8割くらいの大切な時間を、多くの社員が消費者価値に関係のない、社内だけの内向きな作業に浪費している。誰も何も決めないミーティングのための資料づくりとか、部門や上司の見映えをよくするための召使労働のようなことばかり。

みんなどんどん内向きになって、イノベーションを生み出すために頭を使っている人が減ってしまっています。それで成長が止まってるんですよ。

-- そういう仕事に疑問を持たない人が多いということでしょうか

日本人の大多数が、なんとなく大学に行って、なんとなく会社に入って、なんとなく働いている。このままだと外国に削られて日本が貧しくなってしまって、日本人が食えなくなってしまいますよ。もうそういう未来は見えてきています。

ただ、日本という国の経済力が落ちていくことと、その中で働いている一人の日本人が豊かになれるかどうかは、必ずしも一致しているわけではありません。だから、国がどうなろうとも、個人としての自分が豊かで面白い人生を歩むためにはどうしたらいいか、みんな真剣に考えたほうがいい。それには自分が持って生まれた、誰も盗めない自分の特徴を知るしかない。成功する人はみんな、自分の特徴を生かすように道を歩いてきていますから。

人間は「自分が生きている実感を得たいから」働く

-- 特徴を知るためのヒントはありますか

まずは、T=Thinking、C=Communication、L=Leadershipの3つのうち、どれが自分の強みなのか考えてみるといいと思います。考える力と、人に伝える力と、人を動かす力。この3つの力が秀でていたら、あらゆるビジネスにそのまま応用できると思います。そして、どれが自分の強みかわかったら、それを伸ばすような職能を選んでいく。シンプルではありますが、こういうところから始めていけば、自分の特徴を知って、仕事にも生かせるようになると思います。

-- 若い人は、今やっている仕事でも悩むところがあると思います。そもそもなぜ働くのかとか、どんな仕事を選んだらいいのかとか

これは私の考え方ですが、なぜ働くのかというのは結局、「自分と世界の関わりの中で自分が生きている実感を得たいから」だと思います。人間は社会的な動物ですから、自分が世界に存在している実感は、自分を相対化しない限りは得られません。

もちろん、生きるために働くとか、食べるために働くとか、そういう考え方を否定する気はまったくありません。ただ、世の中がどうなろうが、自分が社会にとって有用な価値を創り出せるようになれば食べていけます。じゃあ、自分が生み出せる価値を大きくしていくためにはどうしたらいいか。それは結局、自分が今できないことをできるようになり続けるということだと思うのです。

そのためには経験が必要です。新たな経験を積むときには不安はあるけれども、最終的には今の自分のままでい続ける方がよっぽど大きなリスクを背負ってしまう。進むのも止まるのも両方リスクがあるなら、前向きなほうを選ぶべきです。

-- それはそうかもしれませんね

面白くもない仕事をずっとやらされて、30代、40代、50代、一番脂が乗ったときに退屈な毎日を送っている人も多いじゃないですか。一番充実した時間を突っ込んでね。それは、新しいことをできるようにするための一歩を踏み出さない毎日を積み重ねたからそうなったんだと思います。本当にもったいないことですよ。

でも、その時々のベストな行動を取っていれば、なんらかの一貫性は見えてきて、それが自分が歩いてきた道になる。自分なりのペースでいいんですよ。しんどい時は、しばらく休んでもいい。また歩き出せばいいんだから。そうやって、世の中に自分が生きている証を残して、その反応で自分がワクワクドキドキする道を歩く。その足跡のことを私はキャリアっていうんじゃないかなと思うんです。

中長期で自由になるために、短期間の不自由は飲み込んで踏ん張ってみてほしい

-- 日本でも、キャリア教育をしっかりやろうという流れはありますが、いざ社会に出てみると、そんなに役に立つものではなかったりします。日本のキャリア教育でやってみればいいと思うことはありますか

これはさきほどの特徴を知るという話にもつながるんですが、親は「これしなさい、あれしなさい」と子どもに言うよりも、もっと、「あなたのこういうところはすごくいいよね。すごく才能があると思うよ」と、前向きな言葉で本人の特徴を気付かせてあげるようなことを、いっぱいやってあげたほうがいいと思います。無理にキャリアなんか語らなくていいから、「本をこれだけ集中して読めるのはすごいね」「好きなことに集中できるのがあなたの強みだよ」とかね。

あとは学校ですね、体系立てて、世の中はこういう構造になっていて、世の中の真実ってこういうふうになっていて、自分はこう思っているという体験談みたいなものを、もっと大人が学校に来て語ったほうがいい。

アメリカの小学校では、自分のお父さんやお母さんがどんな仕事をやっているか、というのを子どもにレポートさせるんです。それで、お父さんお母さんの仕事の面白いところをインタビューする。

うちの子は、お父さんの仕事の大変なところは、「職場でいじめられてる」って書いていたらしくて。子どもはお父さんが会社でいじめられてるって知ってたんだと。あのときは泣きましたね(笑)。

--(笑)

というわけで、学校で子どもにキャリアのパースペクティブについて語れる仕組みを作るべきだし、大学のときにもうちょっとシステマティックに自分の強みを発掘するようなことをやったほうがいい。

やはり、日本人はSelf-awareness(自己認識)が弱すぎるんですよ。これは日本の国力の弱体化につながってくる。結局、日本がまだ豊かだから、こんなにのんきでいられる。もちろん、大変な思いをしている方もいるとは思いますが、なんだかんだ、まだ本当の地獄は味わっていませんから。

そういうなかで、いま働いている、20代30代の社会人の方こそ、このままやっていて5年経ったときに大丈夫かを考えてほしいですね。5年後、あなたには新しいことが身についていますか。そうでないなら、すぐに転職しなくてもいいので、まずは今の職場で、自分のキャリアの目的に合う新しい能力を身につけるために、最初の一歩を踏み出してみませんか。

そのとき、ストレスもあるかもれませんが、中長期で自由になるために、短期間の不自由はのみ込んで踏ん張ってみてほしい。小さな痛みはのみ込んで、大きな成果に変えましょう。そうやって、世の中に大きな価値を生み出しましょうよ。どうせなら、仕事でワクワクしたいじゃないですか。

苦しかったときの話をしようか ビジネスマンの父が我が子のために書きためた「働くことの本質」森岡毅 - Amazon.co.jp

プロフィール
森岡毅(もりおか・つよし):
日本を代表する戦略家・マーケター。高等数学を用いた独自の戦略理論、革新的なアイデアを生み出すノウハウ、マーケティング理論等、一連の「森岡メソッド」を導入し、経営危機にあったUSJをわずか数年で劇的に経営再建したことで知られる。現在は株式会社刀 代表取締役CEO。著書に『USJのジェットコースターはなぜ後ろ向きに走ったのか?』、『USJを劇的に変えた、たった1つの考え方 成功を引き寄せるマーケティング入門』、『確率思考の戦略論 USJでも実証された数学マーケティングの力』など。メディア出演も多数。