「上皇陛下はカレー好き」天皇制で重視すべきは性別より人間性 - 毒蝮三太夫
※この記事は2019年05月14日にBLOGOSで公開されたものです
新天皇陛下の一般参賀に14万人の参列、空からの映像がニュースになってたけどあれはすごい行列だったね。あの行列から天皇家に対する国民の親近感が伝わって来たよ。しかもあれだけ多くの人々をいっぺんに笑顔に出来るんだからさ、陛下の力はすばらしいね。
あのね、俺は今83歳だけどさ、振り返ったら、まさかこんなふうに天皇陛下の在り方が変わるなんて思いもしなかったよ。だって俺がガキの頃、昭和天皇は現人神(あらひとがみ)だったんだよ。声を聴いたことだってなかったんだから。
「広いところに住みやがって」戦後は昭和天皇をやっかむ人も
それが1945年8月15日、俺は9歳、あの玉音放送があって、それが初めて聴いた陛下のお声だった。でも、ラジオから流れる声は雑音まじりで言葉もむずかしくって、ガキの俺には正直わかったようなわからないような感じだったけどな。
それから戦後、昭和天皇は国民の象徴として残ったわけだけど、戦争責任を問う声がそこかしこにずーっとあったよ。天皇制反対の声も昭和が終わるまではずいぶんと声高にあったよな。経済成長で都心にビルが乱立して混みあってくると、広々とした皇居を指して「なんだいこんなに広いところに住んでやがって」なんて、やっかむ人もゴロゴロいたんだ。
当時、「皇居にあんな広い土地が必要ですかねえ?あの敷地を団地にしたらね、何万人も住めるようになりますよ」なんてことを真顔で言う人もいたよ。皇居が団地になって、これがホントの「コウダン住宅」って、そんなのシャレになんないよ。
皇居は特別な感情が湧く東京のシンボル
あと、「どうしてお堀にぶつかって我々は曲がらなきゃいけないんでしょうか、右に左に迂回しなきゃいけないんでしょうか、曲がらずにまっすぐ行けるよう皇居の下に地下道を作ったっていいじゃないですか」とか無茶なことも言ってたね。
だいたい、あんなところに地下道なんか作ったら大変だよ。歩いててもこの上に陛下がいらっしゃるのかなって思ったら気になっちゃうし、夜はおやすみだろうから、そーっと通ったりしてな(笑)。
今となってはそういう極論は聞かないけどさ、日本の首都に皇居という空間があることで、そこが国の中心であり、江戸からの歴史があって、豊かな緑があって、都のシンボルなんだってことは何物にも代え難いよ。
都会に住んでる人には皇居って、距離的にも近いから身近な場所という感覚が多そうだけど、地方に住んでたら中々お目にかかれないし、特別な感情が湧く場所だよな。地方から東京に出てきて観光するのには一番いいんだ。団地じゃそうはいかないだろ。ベランダに布団や洗濯物が干してあったら有難くもなんともないよ(笑)。
戦争を知らない世代の新天皇陛下
このたび上皇になられた先の陛下は戦争と終戦を知っている世代だった。そして、新陛下である浩宮さまは昭和35年のお生まれで現在59歳。戦争を知らない天皇になるわけだ。日本の国民もこれからますます戦争を知らない世代になっていく。その中で、戦争がいかに罪深く、避けなければならないものか、軍服を着ることのなかった父、平成の天皇陛下の志をぜひ受け継いで頂けたらと思うよ。
何より受け継いでほしいのは、作業着で被災地を訪れ、被災者の前でひざまずいて励ましの言葉を掛ける、大きな癒しのお姿かな。先の陛下は被災者を前に、たまにジャンケンして負けたら肩を揉んだりしてさ、そんなの考えられなかったよ。あの近しい思いやりにどれだけ被災者が癒されたか。新陛下も皇太子時代から雅子さまと一緒に被災地を幾度も訪問されて、すでに国民に近しく寄り添う姿勢を大事にされているけど、あのお気持ち、そのまま永く受け継いでほしいね。
印象深い上皇陛下とカレーのエピソード
あとね、カレーライスも受け継いでほしい。「陛下はカレー好き」というエピソードがあったりするけど、先の陛下とカレーライスの関りの中で印象的なのは、91年に火砕流の被害が大きかった長崎県の雲仙・普賢岳に訪問される際のことかな。あらかじめ宮内庁から現地に「昼食はカレーでお願いします」って連絡があったんだよな。陛下が望んだのはごく普通のカレー。東日本大震災の時も、震災直後に宮城を訪れた際に、食事を用意する自衛隊に対して「隊員と同じカレーを」って伝えたって。
カレーは調理も鍋ひとつでシンプルだし、作り置きも出来るし、盛りつけも皿一枚で済むし、食べながら会話もしやすい。だから、被災地のような現場でどうしても食事を要するという時は、カレーが何かと負担が少なくていいという配慮だな。
この、カレー対応も新陛下にはぜひとも受け継いで頂けたらいいね。もちろん、おにぎりがいいっておっしゃるならそれもありだろうけど、おにぎりだと食べてる途中にごはんつぶが口の横にくっついたりしてさ、うーん、そこが微妙かな(笑)。
そうそう俺ね、渋谷の道玄坂の脇、百軒店にある「ムルギー」ってカレーが昔から好きで、昭和30年代から行ってるんだ。ヒマラヤ山脈みたいに高々と盛りつけたライスがあって、その下に湖みたいにカレーのルーがあって、スライスしたゆで玉子を並べた玉子入りが美味しいの。値段は50円。安すぎる?それ玉子だけの値段だわ(笑)。えっとね、ムルギーカレーは今、千円かな?個人的にはこれを新陛下に食べて頂きたいね。
あのさ、今はカレーに福神漬けとかラッキョウが当たり前だろ。だけどあれは元々、明治時代に今みたいなカレーが入ってきた時、カレーって辛いから副菜には甘いべったら漬けがついてたんだよ。だけど、べったら漬けってちょっと値段が張るから、それで値の安い福神漬けになったんだって。
あとさ、蕎麦屋のカレーってあるだろ。片栗粉で作るようなの。なに、美味しくて好きです?そんなの最近の話だよ。昔は不味かったんだから。ただ黄色いだけ。市販の美味しいカレー粉が出回るようになってからだよ、味がまともになったの。
あと、カレーは体にいいんだよな。香辛料が新陳代謝をうながすしね。中高年にはとくにおススメ。「カレーが加齢を防ぎます」ってな(笑)。
なんだか話がカレーにそれちゃったな。とにもかくにも陛下にカレーだ。要するに「華麗なる方にはカレーが似合います」ってことだ、アハハハハ。
雅子さまは笑顔を見せて頂ければ十分
あとね、新皇后の雅子さま、一般参賀で黄色いお召し物が明るくてお似合いだったね。笑顔も素敵だったよ。お歳を召しても美しいね。ご体調の回復を望むことはもちろんだけど、今はああして笑顔を見せて頂けることでも充分だと思う。
雅子さまで思い出すのが93年に妃殿下になられるって時だな。話題だったからね、俺も小和田家のご自宅がある目黒の洗足にラジオの中継で行って、祝福ムードの商店街から放送したよ。まあ、雅子さまは地元の評判がすこぶる良かったな。マスコミが大騒ぎするようになって、それまで商店街でよく買い物されてた雅子さまもね、気安くさんまなんか買って帰れなくなったって。さんまは目黒に限るのにね(笑)。
あれから雅子さまは天皇家でお世継ぎの問題とか、それはまあ色々とご心労があったことをお察しするよ。最近とみにお世継ぎの問題が言われるようになってるけど、天皇家のお世継ぎ候補が減ってる問題は、結局、側室制度が無くなったからだもんな。昭和天皇が側室制度を廃止した、その時点からこの問題は始まっていた。だけど、ずるずると先送りされてきたわけだ。
皇位継承は性別よりも人間性
この問題を現実に解決するには「側室制度の復活」か「女性天皇、女系天皇を認める」のどちらかだよな。そこで今の時代に側室は復活できないだろ?となれば、進むべき方向は絞られてくるよ。
俺はね、先々永く国民の象徴としていらっしゃる天皇は、常に戦争をしない時代を希求され、いざという時に作業着で国民に寄り添うお気持ちがあれば男女を問わないよ。性別は問わない。大事なのは性別よりも人間性だよ。あとは、カレーがお好きなら言うことないよ(笑)。
大きな意味で男女の性別を問わないことは、この21世紀の流れなんじゃないかな?社会を見渡せばまだまだ男社会が根強いよ。永田町も霞ヶ関もまだまだ男だらけだろ。この国を動かしていく要所にもっと女性が増えていくことは、まさしく令和の課題だろうな。
(取材構成:松田健次)