「徒弟制度に憧れていた」“筋肉体操”で活躍するイケメン庭師・村雨辰剛が語る日本での仕事と伝統 - BLOGOS編集部

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※この記事は2019年05月08日にBLOGOSで公開されたものです

NHKの番組「みんなで筋肉体操」への出演で注目を集め、昨年末の「紅白歌合戦」登場も大きな話題となった村雨辰剛氏。外国出身らしい顔立ちと隆々とした筋肉は一度見たら忘れられないインパクトだが、実は村雨氏の本業は「庭師」。タレントとしての活動は「日本庭園や日本文化の素晴らしさを伝えるため」に行なっているのだという。

学生時代から日本に渡ることを夢見ていたスウェーデン出身の村雨氏は、一度のホームステイを経て日本に移住。2015年には日本国籍を取得し、現在は一人前の“日本人”庭師として活躍する。

徒弟制度に憧れ、実際に親方を持ってみた感想は「とても効率的な制度」だと語る同氏に、日本での仕事や庭師という働き方、日本文化などについてお聞きした。
【取材:島村優 撮影:Lights&Colors】

日本で自衛隊に入隊することも考えた

--村雨さんには「みんなで筋肉体操」のイメージを持っている人も多いかと思います。現在のお仕事は庭師がメインなんですか?

そうです。庭師が本業で、現場がなくスケジュールが空いている時にはタレントとしての活動も行なっています。あくまでメインの仕事は庭師なんですけど、日本庭園をもっと多くの人に知ってほしい、という思いが今の活動につながっています。

--将来の自分がスウェーデンから離れた国で庭師をしているという未来は、子どもの頃には想像していなかったのではないでしょうか。当時の夢はどんなものでしたか?

子どもの頃は、どこか違う国に住んで仕事がしたいということと、軍隊に所属していた父に憧れて、自分も軍隊に入りたいということを考えていました。日本への移住と軍隊に入るという2つの夢がぶつかった時に、実は日本に来てから自衛隊に入ることも考えたんです。

「日本で軍人になる」という、2つの夢が一度に実現できる方法だったんですけど、市民権を得てからでないと難しいなと。その後、私は26歳で帰化したんですけど、その時に軍人になろうと思ったら、自衛隊に入ることもできたかもしれませんね。当時はもう庭師になっていたんですけど。

--そうだったんですね。庭師になったきっかけはどのようなものでしたか?

僕は高校時代に一度ホームステイで日本に来て、卒業後、本格的に移住しました。日本文化にはすごく強い興味があったので、日本庭園というもの自体は前から知っていました。

この仕事の前は語学教師をやっていたんですけど、自分のやりたいことではなく生活のための仕事だったので、いろいろと悩んだ結果辞めることになって。その頃に知ったのが「庭師」という仕事でした。

--まず庭師という仕事があることを知ったんですね。

そうなんです。ただ興味はあったものの、最初はどんな仕事か想像がつかず、何をすればなれるかもわかりませんでした。ある時求人誌を見ていると、たまたま自分が住んでいたところの近くに造園屋があることを知って、「これはやってみたいな」という思いから、門を叩いてみました。

最初は軽い気持ちだったんですけど、1年間仕事を続けてみてから、自分が本当にやりたいことだったとわかったんです。仕事を始めて、しばらく続けてみてからそのことに気づけた。

--庭師という日本の伝統を受け継ぐ仕事をするにあたり、外国の出身ということでハンデを感じることはありませんでしたか?

外国人で庭師になった人はいなかったので注目を浴びた面もありますが、最初の頃はやはり外国出身ということで信頼されていない、と感じることもありました。最初に親方のところに行った時もそうでしたが「この人大丈夫かな」「外国人だけどできるのかな」と、知らない相手に対しての不安はあったと思います。

ただそうした先入観は誰もが持つと思うので、自分の仕事を通して、自分が真面目だということを見せて信頼させるしかないと思います。庭師の仕事では、毎年お願いしてくれる常連さんがいますが、何年も行くようになると自然とお客さんからも信頼されるようになりました。

庭師になって一層「日本人になるしかない」と思った

--2015年に日本国籍を取得されましたが、帰化して何か変化したことはありますか?

自分の中の変化が大きいです。例えば、外を歩いていても、僕のことを知らない周りの人からすると1人の外国人にしか見えないですよね。ただ、ずっと日本人になりたい、改名したいという思いがあったので、自分の中で自信になりました。日本人としてのアイデンティティを作ることに成功したから、生まれも育ちも日本の生粋の「日本人」と会話する時も、自分も日本人としてここにいる、というマインドができた気がします。

--日本で仕事をするのに、スウェーデン国籍のままでいるという選択肢はありませんでしたか?

これは庭師の仕事と出会う前からこだわっていたことで、一生日本に住みたいという気持ちがあったんです。職人として一人前になるのと一緒で、日本で社会人として一人前になるのであれば、やっぱり日本人になるのが基本だという一つの考えがあって。

その後、庭師と出会ってから、この仕事を日本で続けるために日本人になるしかないなとそれまで以上に思うようになりました。

--そもそも日本に興味を持ったのはどうしてだったんでしょうか。

幼い頃から海外に出ていきたい、違う国に住んで異なる文化を知りたい、という気持ちを持っていました。そんな時に、日本について知ったのは学校の授業が最初だったと思います。

世界史の授業で、日本の歴史-例えば、戦国時代に大きな内戦があって、その後鎖国という政策をとっていたけど黒船が到来したといったこと-を教わったり、宗教という科目で日本での仏教や神道を紹介されたりして、日本のことを知りました。

--他に何か日本のことで覚えていることはありますか?

日本に興味を持ち出した頃に完全にやめてしまったんですけど、昔は僕もよくゲームをやっていました。スウェーデンではPCゲームがメインなんですけど、テレビゲームだったらプレイステーションの「ファイナルファンタジー」をプレイしましたね。

最初は、「ファイナルファンタジー」が日本のものだという認識があまりなかったんですけど、それまでにやったことのあるゲームとはストーリーや作り込み方が違うな、と驚いたのを覚えています。

辞書をひたすら覚える日本語勉強法

あと、僕が育ったのは小さな町でしたが、祖父がトヨタのディーラーでした。自分で会社を立ち上げて、トヨタ車を輸入して販売していたんです。日本に何度か行ったことがあって、いろんな話をしてくれました。だから技術が進んでいる国だというイメージを持っていましたね。

祖父がよく最初に新幹線に乗った時の感動を語ってくれて、車内で水が入ったコップを置いても表面が全く揺れないと話していました。あとはトヨタの「カイゼン」というスローガンについて。スウェーデン語には「ザ」「ジ」「ズ」という発音がないので、よく「君は“カイセン”という言葉を知っているかい?」と言っていました。

--日本語を勉強し始めたのはいつ頃でしたか?

16歳くらいですね。誕生日に両親から日本語とスウェーデン語の辞書を買ってもらったのを覚えています。種類が全然ないのでそれを買ってくれたと思うんですけど、全然使えない辞書で(笑)。漢字もひらがなも書かれていなくて、ローマ字だけでした。

--勉強はどんな方法で進めていましたか?

僕は何を勉強する時もそうなんですけど、ひたすら叩き込むスタイル。すごくアナログなやり方ですが、辞書を読んで一つずつ順番に単語を覚えていきました。

当時は日本の言葉や文化に触れたいと思っても、自分の周りには何もありませんでした。たまに地元の体育館で空手クラスが開かれていたので、一度先生に日本語で話しかけてみたんです。でも、全然わからない(笑)。「私はカラテしか知らないよ」って。だから、パソコンがなかったら日本語も勉強できなかったですね。

--インターネットで勉強していたんですか?

チャットで友達を作って、日本語でコミュニケーションをとって練習していました。特に、IMEで日本語を打ち込めるようになってからは、すごく勉強になりました。それまでは日本語の文字をどうやって打ち込めばいいのかわからなくて、相手が漢字やかなで書いていても、僕はひたすらローマ字で返していました。

徒弟制度は「効率良く技術が取得できる」

--それから3か月のホームステイを経て、日本に移住し、語学講師を経て庭師という仕事と出会うという流れなんですね。庭師の仕事を始めてみて大変だったことはありますか?

徒弟制度での修行が辛いと想像される方が多いんですけど、それは僕にとっては苦ではありませんでした。親方と兄弟子がいて、自分が一番下っ端で雑用から始めるっていうのは嫌じゃなかったんです。それよりは憧れがありました。

ただ体力的な面で自分では自信があっても、最初の日に倒れてしまったり、夏の外の現場についていけなかったり、そういうことがすごく悔しかったですね。

--かなりハードな仕事なんですね。徒弟制度に憧れていた、とお話されていましたが、スウェーデンでそういう仕事上の上下関係というのはあるんですか?

僕はスウェーデンで働いた経験はそれほど長くないですが、上下関係はあまりないと思います。たとえボスでも同じ職場で作業していれば、フラットな関係でフランクに話ができる雰囲気ですね。

僕個人としては、そういう上下関係を感じたかったので、ボスを明確に自分の上の存在として「親方」と呼ばないといけないことは、むしろ嬉しかったです。ただヨーロッパでも100年ほど前には同じような徒弟制度はあったはずですし、全く理解できない話ではなかったんです。

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春よ、来い

Tatsumasa Murasame 村雨 辰剛さん(@tatsumasa.murasame)がシェアした投稿 - 2019年 2月月5日午前1時40分PST

--徒弟制度について、ポジティブに評価されているんですね。

徒弟制度で修行するのにも、いろいろな仕事があると思います。天ぷら職人になるのに、最初の数年は衣にも触れない、みたいな。庭師について話をすると、実はこの制度はすごく効率良く技術が取得できる仕組みだと思うんです。現場で直接、一流の親方から学べるというのは、すごく効率が良い。

--徒弟制度が「効率が良い」というのは少し意外な気がします。

庭師という仕事は、技術だけでなく日本の伝統的な美意識が求められます。それはどこかの学校に通って、決まったカリキュラムを勉強して学べることではないんです。

例えば「わびさび」にしても感覚的で曖昧なことが多いので、これが美しい、これがわびさびなんだ、というセンスを受け継ぐためには、親方に「これがいいんだよ」と何回も言われないと理解できないことも多いんです。だから、徒弟制度は向いているのかな、と思います。

--下っ端の時代は雑用を任されることも多いようですね。

庭師として高度な作業をするにも、最低限必要な忍耐力がベースにないと、技術があっても仕上がりが良くならないということがあると思います。高い技術レベルがあっても、同じことを1日通して集中力を持ってできるのか、というと訓練していないと多分できないのかなと。その忍耐力、集中力は最初の頃にやっていた草取りや掃除などの雑用が育ててくれたのかなと思います。

素晴らしい日本の伝統を守りたい

--今後、どんな庭師になっていきたいですか?

美意識を磨いて、技術に結びつけて、本来の日本にある美意識を表現できるような庭師になりたいです。どんどん腕を磨いて、正しい知識を海外にも紹介したいと思いますし、国内に向けては今すでにある基盤を残していくための力になりたいです。

--日本では生活が西洋化しており、若い人が昔ながらの美意識に触れる機会があまりないようにも思います。

単純に皆さんには日本の文化に興味を持ってほしいですね。興味を持ってもらうにはどうしたら良いか、というのは僕自身もずっと考えています。

僕は外から日本文化を見てハマったので、外の文化を知れば知るほど日本の素晴らしさに気づいていけるのではないかな、というのは思います。やっぱり、他のどこにもない自分たちのアイデンティティなので。

--日本人のアイデンティティですか。

そう、日本のことわざに「出る杭は打たれる」というあまり良くない言葉がありますね。西洋文化では、できるだけ自己主張をして、自分のアイデンティティをアピールするものです。私はこういう人間だ、これが好きなんだ、と探さないと見つからない自分もあるかもしれません。

でも、日本ではそういうことをしなくても、日本文化という強烈なアイデンティティがあるんです。だから、そういう日本文化に触れる機会がないのは、すごくもったいないことだと思います。それは大事にしていかないと。

--すごく考えさせられる言葉です。最後に、村雨さんが考える日本庭園の魅力とはどんなものですか?

僕は日本庭園の奥深さに魅力を感じています。西洋の美意識や文化に基づいたガーデン(西洋庭園)は人工的で、庭が造られた時点が完成。それを永久に保っていくようなものなんです。それに対して、日本の美意識は命そのものを楽しむような側面があり、経年変化も楽しむ対象です。

庭にあるものが古くなったり、壊れていったり、その変化で生まれる特徴に美を感じる、というところに魅了されています。これは他の国にはあまりない考え方なので、すごく魅力的だと思いますし、僕自身が庭造りを行なう時もこの点を追求しています。

--初めて日本庭園を楽しむ時に、どんなことを意識した方がいいと思いますか?

例えば鑑賞式の庭なら決まった眺める場所があるので、まずそこに座って空間を楽しむ。庭の主役は何か、それを見た時に何が頭の中に浮かんだか、を意識してもいいですね…ただ、最初からこういうことを考える必要があると思うとハードルが上がってしまうので、知らない人には楽に見て、空間を楽しんでほしいですね。

--今日はどうもありがとうございました。あ、聞き忘れていたんですけど、自分の筋肉で一番好きな部位だけ教えてください。

そうだな、やっぱり大胸筋ですかね(笑)。皆さん、ぜひ日本庭園に遊びに来てください。

プロフィール

村雨 辰剛
1988年北欧スウェーデン生まれ。幼い頃から英語が得意で外国に興味を持つ。高校卒業後、特技である語学能力を活かし日本で語学の教師として働き始め、同じ時期に外国人事務所にスカウトされる。
23歳の時に造園業に飛び込み、見習い庭師に転身。26歳の時に念願の日本国籍を取得し「村雨辰剛」と改名。

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今回インタビューをさせていただいた、村雨辰剛さんのサイン色紙を抽選で1名様にプレゼント。ご希望の方は、下記の項目をご確認いただいたうえ、奮ってご応募ください。

応募方法

・BLGOOS編集部のTwitterアカウント(@ld_blogos)をフォロー&以下のツイートをRTで完了

受付期間

2019年5月8日(水)11:00~5月13日(月)15:00

当選者確定フロー

当選者発表日:5月13日(月) ・当選者発表方法/応募受付終了後、厳正なる抽選を行い、発送先のご連絡 (個人情報の安全な受け渡し) のため、運営スタッフから個別にご連絡をさせていただく形で発表とさせていただきます。
・当選者発表後の流れ/当選者様にはBLOGOS編集部から5月13日(月)中に、Twitterのダイレクトメッセージでご連絡させていただきます。5月16日(木)までに当選者様からのお返事が確認できない場合は、当選の権利を無効とさせていただきます。

キャンペーン規約

・本キャンペーンにご参加いただくには、このキャンペーン規約(以下「本規約」といいます。)にご同意いただく必要があります。ご同意いただけない方はご参加できず、当選したとしても無効といたします。
・本キャンペーンでは、BLGOOS編集部のTwitterアカウント(@ld_blogos)(以下「本アカウント」といいます。)をフォローして、本キャンペーン実施期間中に本アカウントの該当ツイートをリツイートされている方が抽選対象となります。
・本キャンペーン開始から当選連絡までにツイート削除やフォローを解除した場合は、抽選対象外となります。
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・当選連絡のダイレクトメッセージ記載の締切日までに配送先の入力がない場合、当選を無効とさせていただきます。
・複数回応募されても当選確率は上がりません。
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