さらば青春の光・森田哲矢のコラムをまとめた著書「メンタル童貞ロックンロール」 謙虚で下衆なエロストーリー - 松田健次

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※この記事は2019年05月08日にBLOGOSで公開されたものです

男のエロ話は粗雑に繰り出すと、下品な片ハシャギに堕ちる。まさに取るに足りない下品なゾーンに堕ちた状態を、男であれば、送り手として受け手として大方経験があるだろう。その一方で、エロ話でありながら品ある両ハシャギをもたらすものもある。この差、境目、分岐点は何か。ひとつには、エロに対して「傲慢」か「謙虚」かという姿勢が左右するのだと思う。

そんなことを考えたのは、お笑い芸人「さらば青春の光」の森田哲矢による著書「メンタル童貞ロックンロール」(KADOKAWA 2019年1月発売)に没入したからだ。森田のエロ話はどこまでも尽きることのない性欲こそ傲慢だが、その性欲におさまりをつけようと奮闘する姿勢はことごとく謙虚で、それがおかしくてたまらなかった。

キングオブコントやM-1で活躍 実力派芸人の下衆話

「さらば青春の光」と言えば、キングオブコント決勝に通算6回進出、M-1グランプリ2016ファイナリストというハイレベルな実力派だ。森田はネタを書きツッコミを担当する。その才をWEBサイト「ダ・ヴィンチニュース」での連載コラムに注ぎ、今年1月に単行本としてまとまったのが本書「メンタル童貞ロックンロール」であり、これが森田にとっては初の著書だ。

そこに綴られているのは初めから終わりまですべて下衆なエロ話。と書くとヨゴレ感が漂うが、そこには性欲達成の為にひたすらあがき続ける森田と仲間達の信念と挫折と汗があり、内容は下衆なのだが「青春記」のような甘酸っぱさがあったりする。

少年ジャンプの三大テーマが「友情・努力・勝利」であれば、この「メンタル童貞ロックンロール」の三大テーマは「友情・努力・下衆」だろうか。勝利はない。森田自身の中には時にそれもあるのだろうが、本書はそれを言外としている。だって、誰かがうまくいった、うまいことやった自慢話ほど面白くもなんともないものはないわけで。

「男達の風俗反省会」「隠れヤリマン攻略法」

本書は全部で23本のコラムから成る。主なタイトルを引くと「捨てろ!石垣童貞!」「チンコ鉄道」「男達の風俗反省会」「隠れヤリマン攻略法」「戒めパンティー」「M-1グランプリと風俗業界の密接な関係」「中村静香さん、すいません」「童貞芸人達の修学旅行~大阪道頓堀編~」「嵐の五反田風俗物語」・・・etc。

超圧縮で本書を俯瞰するならば、――「ちょいちょいテレビに出てる」お笑い芸人の「さらば青春の光・森田哲矢」が先輩芸人の「バイク川崎バイク」や後輩芸人の「ニューヨーク屋敷」らと「ヤリマン」を求めて自宅が近い「五反田」を根城に「合コン」にいそしみ「梅酒水割り水多め」で場を盛りあげては「ヤリ」やすさを増す「宅飲み」に持ち込んでセックスに持ち込もうとしては玉砕する――という、ひたすら性欲がおさまりつかない男の「下衆」にまみれた行動録だ。

もうひとつ俯瞰を加えれば、森田はそれなりに世間に名の通った芸能人であり、その知名度を活かし、一般人よりは何かと有利なステージで異性との出会いを広げているのだが、そのポジションにありながら木っ端となる、情けない大スベりのさらしぶり、潔さが小気味いい。

ただただセックスしたくておさまりがつかない、出来れば普通の(?)女性と知りあってヤリたい、けれど、いざとなればおさまりのためには風俗直行も何ら問題なし、という感情を抱いたことのある男にとって、森田哲矢による「情けなさの潔さ」は共感の確変を起こすはずだ。

童貞ではないがタチの悪い「メンタル童貞」

そして、タイトルに含まれる「メンタル童貞」、自分もここで知ったのだが、その語意は・・・

< さらば青春の光 森田哲矢・著「メンタル童貞ロックンロール」(KADOKAWA)より >

このコラムでも何度も登場した言葉、メンタル童貞。実際には童貞ではないが、ここまでの人生において全くと言っていいほど女性にモテてこなかったため、女性の扱い方が一切わからず、そのくせ性欲は思春期から1mmも変わらないため、エッチなことがしたくてしたくて堪らないという一番タチの悪い種族です。

森田による造語か、既にあったワードかは知り得ないが、これに何らかのシンパシーを生じたなら、本書は座右の書となるだろう。そういうオトコ本だ。だが、男女間で繰り広げられる不毛な「ヤリ」の攻防戦は男女永遠のネタであり、もちろん女性読者にとっても男の行動真理を様々に楽しめるエロバカバカしい一冊だ。

その中で「身の毛もよだつ『ヤリマン2万7千円事件』」は連載中にも反響の大きかった傑作コラムとして、本書のシンボリックな柱を成す。ここに綴られるのは、性欲攻防戦の最下層でぼっ発したひとつの仄暗い事件なのだが、もしも「キングオブゲス」の決勝があれば、披露する2本のネタに確実に入る破壊力を搭載している。

上司とセフレ経験のあるOLと個人戦

それ以外のコラムで、個人的に撃ち抜かれたのは「合コンを捨てた男の過酷すぎる個人戦」だった。内容を倍速すると、森田は「M-1グランプリ2016」の決勝進出者が発表されたことにかこつけて、自身のインスタに「誰かご褒美に風俗奢ってください!!」と呼びかける。そこに菜々というOLから「森田さんのコラムが大好きで毎月読ませてもらってます。私でよければ是非風俗奢らせてください(>_<)」との返信。森田はこれを「菜々ちゃんがオレに仕掛けてきたプロレスなんや!入り口は風俗やけど最終ゴールはセックスってあらかじめちゃんと決まってる、しっかりとしたエンターテインメントや!」と、裏読みに心躍らせ、「メッセージありがとうございます! 女性に風俗奢ってもらうのは流石に下衆過ぎるので、良かったら今度飲みませんか?」と、五反田でのサシ飲みに持ち込む。

森田は自身の十八番である芸能界の汚れたゴシップを並べ、菜々を笑わせ距離を縮めていく。そこに徐々に下ネタを織り交ぜ、菜々のエロスペックを確認、すると「私が上司のセフレをやってた時なんですけどね……」と、セックスへの大いなる可能性を感じ、普段は仲間達との合コンで敗北ばかりだが「もしかしたらオレは個人戦の方が向いてんのかもな?」とほくそ笑む。

そして居酒屋の時間も終わり、「僕の家この近くなんですが、来ます?」と決め技である宅飲みに誘う。が、「いえ、今日は帰ります」と固い拒絶に遭う。想定外の展開にすでに高まっているムラムラの行方におさまりがつかず、森田は菜々に「じゃあ風俗奢ってくださいよ」と要求する・・・。

ここからの数ページが出色で、人として携えるべき理性やプライドを放棄して性欲の奴隷と化す下衆芸人森田。彼に対して無償の金銭奉仕を施す菜々。森田が指名して登場する風俗嬢なな。リビドー(性的衝動)とアガペー(自己犠牲的博愛)とデリヘル(出張資本主義)の、交わっているようで誰も交わらない、どうしようもなくやるせない「個」の交錯が一行ごとに刻印される。この数ページは短いが、又吉直樹の「火花」と並ぶ文学性が匂い立つ。

明け透けな性遍歴 思い出されるみうらじゅん

BLOGOS編集部

男女が出会い、あの一夜にあと一歩踏み出していたら「やれた」のかも・・・という思い出を検証し、その意味を解き明かしていく傑作漫画「やれたかも委員会」(作・吉田貴司)から、情や機微や浪漫などのウエットな湿り気をまるまる抜き取ったのが「メンタル童貞ロックンロール」だとも言える。

が、その乾ききった日々の、黙々とした性欲の、不毛な合コンの数々の、セックスに取り憑かれた自身の、さらけ出しとツッコミの、分厚い自己観察記録は、ページをめくるごとに笑わせる、活字エロエンタメの快著だ。読みながら思い浮かべたのは、現代を代表するエロの巨匠みうらじゅんによる傑作「やりにげ」(初版1995年 ぶんか社)だった。

「ピンクローターの女」「ベープマットの女」「3Pの女」・・・著者の様々な性体験の中から、キレイごとではない、こっぱずかしい、情けない、そんな出来事をめくるめく綴った一冊だ。

出版された1995年当時、この「やりにげ」は画期的だった。文学の態で作家が自身の体験を描写に活かすことはあれど、名のある著者が自身の情けない性遍歴をここまで明け透けに、しかも大量に披瀝した作品は無かった。まだみうらじゅんが「ザ・スライドショー」も「マイブーム」も世に放つ前、ブレイク前夜に成した身を切る、そして相手の女性達もおそらく道連れ爆殺な問題作だった。

この、著名人が自らの性遍歴を明け透けにするというメソッドにおいて、森田哲矢の「メンタル童貞ロックンロール」は「やりにげ」の系譜に位置する。のだが、平成初期の「やりにげ」は「やった」話の集成で、平成終期の「メンタル童貞ロックンロール」は「ヤリ損ねた」話の集成である。この大いなる変遷が、エロエンタメのひとつの大河において「平成の失われた30年」を映し出しているのかもしれない。

NHKスペシャル「映像の世紀」のテーマ曲「パリは燃えているか」(作曲:加古隆)をエンディングBGMにイメージして、森田哲矢が綴ったエロに対する「謙虚」がにじむ一文を引き、この項をシメます。

< さらば青春の光 森田哲矢・著「メンタル童貞ロックンロール」(KADOKAWA)より >

森田哲矢「ヤッたではない。ヤらせていただいたんだ、という気持ちを常に持って生きてきました。」