●『ザ・マスクド・シンガー』でつかんだ手応え

フジテレビが早期退職募集を行って話題となったが、これに応募した1人が、『爆笑レッドカーペット』『ENGEIグランドスラム』『THE MANZAI』などでフジの演芸番組を再興した藪木健太郎氏。新たに「Sunny Pictures(サニー・ピクチャーズ)」を設立し、テレビ・配信・イベントと、コンテンツ制作にさらにまい進していく姿勢だ。

テレビ一強の時代が終焉を迎え、YouTubeやサブスクの動画配信サービスが台頭するなど、メディア環境が大きく変化する中、この決断をした背景とは。制作者としての原点であるフジテレビへの思い、そして今後の意気込みなどを聞いた――。

フジテレビを早期退職した藪木健太郎氏

○■常によぎった「『フジに帰ってこい』と言われたら…」

2018年に関連会社の共同テレビに出向したが、フジと強固な関係がある中で与えられた枠を担当するのではなく、TBSで『ザ・ベストワン』『賞金奪い合いネタバトル ソウドリ〜SOUDORI〜』、NHKで『NHKだめ自慢〜みんながでるテレビ〜』、中京テレビで『#っぽいウタ』など他局で番組を開拓し、『ザ・マスクド・シンガー』ではAmazonプライム・ビデオのコンテンツも手がけてきた藪木氏。順調にレギュラー番組を走らせ、信頼を勝ち得てきたが、フジに帰任辞令が出たらどうするか…という考えが、いつもよぎっていたという。

「最初は『フジテレビの人と作れたら楽しいことができるかも』という期待感を持ってくれていたと思うんですけど、その局の中に入ってやっていく中で、いつか『フジに帰ってこい』と言われたら、今やってる番組は交代しないといけないと思ったり、戻ったところで今のように現場ではできないだろうな…というのを考えていたんです」(藪木氏、以下同)

そんな中、フジが3年前に早期退職募集を行った際は対象年齢に達しておらず、「届かなかったな」という思いがあったそう。その後も、退職を考えることがあったものの、会社員として安定しながら、フリーのような立場で様々な局・メディアで番組作りができるという恵まれた環境も捨てがたかった。

しかし、「去年『ザ・マスクド・シンガー』をやって、相当視野が広がった感じがあったんです。自分なりに人と違うものが作れるんじゃないかという気持ちや、やっぱり作っていて楽しいという思いがあって」と、制作者としてまた1つ手応えをつかんだ感覚もあり、ちょうど50歳になったタイミングで50歳以上への早期退職募集が行われることに「運命を感じました」と決断した。

『ザ・マスクド・シンガー』シーズン2は今夏配信 (C)2022 Amazon Content Services LLC All Rights Reserved

○■「大枠の中でどう遊べるかを作る」

『ENGEIグランドスラム』や『ザ・ベストワン』などを立ち上げ、芸人との信頼関係を持つ中での「ネタ番組」の演出も藪木氏の武器の1つだが、本人は「どちらか言うと、“箱”を作るほうが得意だと思っているんです」と語る。

「大枠を作って、その中でどう遊べるかというのを作るのが僕の仕事だと思っています。演出家としては空気や空間、面白くなりそうな仕掛けを作って、“後はお好きに”とやってもらって、そこからどううまくすくい取れるかというタイプではないかと思っています。細かく指示を出して、演出の思い通りに動いてもらうのではなく、演者さんが自分の考えで動き、どうなるか分からないという部分を残しながらやっていくのが好きなんですよね。僕も笑いたいですから」

それを裏付けるのが、『ザ・マスクド・シンガー』だ。マスクを被った有名人たちのパフォーマンスと歌声やヒントをもとに、その正体が誰なのかを推理する番組だが、「本国の要求を飲みながら、どういう状況で歌ってもらえれば、その人が本気を出せるのかというのを考えるので、こういう音楽番組を作るのとネタ番組を作るのに、それほどマインドは変わらないんです。演者さんに寄り添って競い合わせるというのは、実は『(新春)かくし芸(大会)』(フジテレビ)のアプローチでもあるので、そこの組み立てだったらできるなと感じました」と語る。

●クリエイター地位向上へ「“掛け算の世界”に」

現状のレギュラー番組は引き続き担当することになり、「これだけ恵まれた環境で会社を辞める人もなかなかいないと思います。すごく感謝しています」と新たなスタートを切る中で、すでにいくつかの局と打ち合わせをセッティングし、それぞれに提案できる企画書作りを進行。企画募集のコンペに手当たり次第参加するという形ではなく、企画会議を重ねて求めるものに応じた提案を行い、成立につなげていくというスタイルを採っていく方針だ。

独立してフリーの立場となったことで意識するのは、クリエイターの地位向上。「請け負った番組について権利を持っていく必要もあると思います。そうしないと、ひたすら本数を作っていかなければ儲からない、制作費を受け取るだけの“足し算の世界”になってしまうので、配信で見られるとパーセンテージが入ってくるといった“掛け算の世界”に行けたらと思うんです。やりがいだけでは今後絶対に無理が生じてくるので、そこは時代が変わるように頑張れたらいいなと思います」と、今後を見据える。

また、これまでにはなかった、アイデアや発想を提案していくコンサル的な仕事も相談を受けているのだそう。さらに、就職セミナーやOB訪問などで学生たちと交流した経験から、「いろんな人と“面白い”って何だろうと考えたり、頭を柔らかくする会話をする場所があってもいいかなと思って、僕みたいな者の話を聞いてくれるのであれば、少人数でもいいのでオンラインサロンも開設する予定です」と構想を明かした。

○■“見る人楽しい、出る人楽しい、作る人楽しい”

「Sunny Pictures」という社名の由来は、「小学生の頃、北風を避けて日差しが当たってポカポカする芝生の斜面があって、そこがすごく気持ち良くてみんな集まってきたんだという話をカミさんに何回もしてたみたいで、子供の名前をそこから付けたんです。なので会社を作るときにも、みんなが集まってきて、居心地がいい『サニー』はどこかに入れようと思ったのですが、結果『ソニー・ピクチャーズ』と似てるなって(笑)。番組名も何回も付けてきましたけど、名前を付けるのって改めて難しいですね。でも、うまくコンセプトに合った社名になったと思います」と胸を張る。

「Sunny Pictures」

3つの輪が重なったロゴは、「(笑福亭)鶴瓶師匠がよくおっしゃる“客よし、店よし、世間よし”という『三方よし』がありますけど、僕は“見る人楽しい、出る人楽しい、作る人楽しい”を仕事をする上でのモットーにしているので、それを表現しています」とのこと。そこに、サニーの頭文字“S”を配しているが、「とにかく僕の作るものは見た人が楽しいと思ってもらい、困っている人を笑顔にする提案ができる会社にしたい」と、“スマイル”の意味も込められている。

●フジで学んだ「笑いやものを作るときのモラル」

フジテレビ

27年にわたって勤め、制作者としての原点であるフジテレビ。そこに対する思いを聞くと、「確信はないんですが、全盛期のエネルギーやパワーをギリギリ受けた世代だと思うんです。『爆笑ヒットパレード』という血をもらって、『かくし芸』も最後をやりましたし、『(爆笑)レッドカーペット』では(世帯視聴率)20%もとらせてもらえたし、『笑う犬』や『力の限りゴーゴゴー!!』でADをやって、星野淳一郎さん(※1)に大説教を食らった最後の世代ですから(笑)」と回想。

(※1)…『笑っていいとも!』『一億人のテレビ夢列島』『夢で逢えたら』『ダウンタウンのごっつええ感じ』などを手がけたディレクター

その中で学んだのは、「笑いやものを作るときのモラルですね。番組を作る、お笑いを作るという中で、“これをやったら『やっちゃダメ!』と自分の中で警報が鳴る”というのを確実にフジテレビに教えてもらいました。だから、演者さんに無理なことをお願いしてしまったと思ったら、絶対に『やってよかった』と最後に演者さんに言ってもらわなきゃいけないと思うし、今さえ儲かればいいという、焼畑農業みたいな考えは嫌いですね」と力を込める。

そこに関連し、「芸人さんはこれをやりたいとか、これが面白いとかっていうところじゃなくて、“これをやりたくない” “これやるの恥ずかしい” “カッコ悪い”と思っているところに、その人の真実や個性が出てくると思っていて、その個性、アイデンティティを生かすことを企画提案するときには意識します」と説明。

このノウハウを持った上で、「共テレに出向してから、『僕は外でフジテレビを作ります』と言ってたんです(笑)。特に、『ネタ番組は自分の局のことだけを考えたらダメ。演芸界のために仕事をすると言う気持ちでやるべきだ』ということを、吉田正樹(※2)さんから教えられました。だからTBSにも『ザ・ベストワン』のような番組がなければいけないと思うし、演芸界のために、出演する芸人さんや事務所さんに対するバランスを考えるというのも意識しています」と実践してきた。

(※2)…『笑っていいとも!』『夢で逢えたら』『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』『笑う犬の生活』などを手がけたディレクター・プロデューサー。現・ワタナベエンターテインメント会長

○■『ザ・ベストワン』も進化「行けるところまで」

昨年10月にレギュラー化した 『ザ・ベストワン』(毎週金曜 20:00〜) は、「ベストな芸人がベストワンのネタを披露する」というコンセプトで、劇場で活躍する関西の芸人や今年ブレイクする若手芸人など、“ここでしか見られないネタ”を次々に見られる番組に進化。

22日の2時間SPでは、大喜利のお題に対する回答をコントで見せる「ザ・ベストワンドロップ」が展開され、「男性ブランコ、ビスケットブラザーズ、ロングコートダディ、金の国、スクールゾーンとか、若いコント師の芸人さんでキラキラしてる人がそろってきているので、彼らにお題を出すことで新作コントが並ぶようにしています」と予告する 。

さらに今後は、直前に与えられた2つのお題を入れ込んだ漫才を披露する「ザ・ベストワンテイク」も予定。「これも今まで見たことのない漫才になると思うので、そうしたネタがどんどん増えていきます。若くて勢いのある芸人さんが出てきているので、“客前でネタをやる”という箱は守りながら、前向きに行けるところまで行こうと思います」と、自身の新たなスタートに重ねながら意欲を示している。

『ザ・ベストワン』(TBS系、毎週金曜20:00〜) (C)TBS

●藪木健太郎1971年生まれ、三重県出身。早稲田大学卒業後、95年にフジテレビジョン入社。照明部から02年にバラエティ制作に異動して『アヤパン』『力の限りゴーゴゴー!!』『笑う犬』『新堂本兄弟』『爆笑ヒットパレード』などを担当。『爆笑レッドカーペット』『爆笑レッドシアター』『うつけもんシリーズ』『THE MANZAI(第2期)』『ENGEIグランドスラム』などのネタ・演芸番組を立ち上げ、18年から共同テレビジョンに出向。『ザ・ベストワン』『賞金奪い合いネタバトル ソウドリ〜SOUDORI〜』(TBS)、『NHKだめ自慢〜みんながでるテレビ〜』(NHK)、『#っぽいウタ』(中京テレビ)、『両親ラブストーリー〜オヤコイ』(読売テレビ)、『ザ・マスクド・シンガー』(Amazonプライム・ビデオ)などを制作し、22年3月末で出向元のフジテレビを退社。メイクスマイルカンパニー「Sunny Pictures(サニー・ピクチャーズ)」を設立し、番組・映像・イベント制作などを手がけていく。