タピオカミルクティーが「集合知」の結集といえるワケは?(写真:Graphs/PIXTA)

AI(人工知能)が生活や仕事に無限の想像力をもたらしてくれる一方で、「仕事を奪われるのではないか」「プライバシーが侵害されるのではないか」「社会に構造的な問題が生じるのではないか」とおびえる人も多い。

これに対し、台湾のデジタル担当政務委員(閣僚)のオードリー・タンは「AI時代が到来しても恐れる必要はない、ロボットはクリエイティブな仕事を担うことができないため、むしろ人が仕事を選べるようになる」と考える。公共の価値と公共の利益の重視に基づき、彼女はCI(Collective Intelligence、集合知)をAIと結びつければ、労働者はAIの力を借りて仕事の質を向上させることができると主張する。

『天才IT大臣オードリー・タンが初めて明かす 問題解決の4ステップと15キーワード』より一部抜粋・再構成してお届けします。本文の一部は黄亞蒞氏による解説です。

前回:台湾の超天才が「視点を偏らせない」思考を貫く訳(2月4日配信)

「集合知」とは何か?

黄亞蒞:簡単な例を挙げよう。例えば教師が生徒に課題を出す際、「まずは君たち同士で添削し、間違いをチェックし合って内容を理解しなさい。そのあとにグループリーダーが確認してから提出しなさい」と指示したとする。確認作業を生徒同士で行うと、生徒はほかの人の考えをより深く理解できるうえ、グループリーダーは最終的に教師に課題を提出する前に、共通認識をまとめる役割を担うことができる。

このプロセスは参加者全員が完成予想図を構成するパズルの1ピースとなって、成果物の完成度をより高めるために邁進する一連の作業だ。こうすることで個人が成長を遂げると同時に、未来も「増幅(エンパワー)」されてゆく。

オードリーの執務室が置かれている「パブリック・デジタル・イノベーション・スペース(PDIS)」は、情報の透明化や、市民の意見の聞き取りとそのシェアを実践するためのスペースとして、集合知の価値を十分に示している。PDISの公開記録を見ると、協力会議や政策改善プロジェクト、そしてオードリーがメディアや企業から取材を受けたときの内容や動画がすべて公開されている。人々がこれらを使って共同イノベーションや共創にも使用できるようになっているのだ。

唐鳳(オードリー・タン):書籍制作のために行っているインタビューも、集合知の表れの1つです。私は著作権を放棄していますから、インタビューが終わるとその内容はインターネットでシェアされ、それを引用に使おうが、二次創作しようが、何かと組み合わせて使おうが、私に許可を求める必要はありません。

誰かがYouTubeで私の動画を見て、そこから数分間、あるいは数秒間をピックアップして自分のアイデアを表現したら、それがまた将来のリソースに変わります。今、私たちが知識の扉を開け放ったことで、今後たくさんの人がパズルをはめ込むように知識を組み合わせたり入れ替えたりできるようになります。これが集合知です。

集合知の持つ大きな可能性

集合知は「集思(ジースー/衆知を収集する)」と「広益(グワンイー/有益な意見を幅広く吸収する)」という2つの部分に分けられます。

集思とは、1つのことがらに対する感じ方や気づきは人によって違うため、もしそれらを結びつけず、各自の意見をバラバラなままにして、コミュニケーションも取らず対話もしなかったとしたら、公共の利益は実現できないことを指しています。

広益とは、あることがらにもともと何の関心もなかった人、あるいはそれを知らなかった人に、それに対する興味を持たせることができたら、その人はあっという間に文脈をつかみ、理解するので、それ以降あなたはもう自分1人ですべての検証作業を行わなくてよいということです。

世界中のすべての構造的問題が今どうなっているのかを1人で把握することはできませんから、その知識にアクセスできないでいる人が、できるだけ負担のない形で参加できるように状況を整える必要があります。私が昔、インターネットでコミュニティに参加して、無料で多くの知識を得ることができたように。

私にとって思想とは、誰か1人だけで創造されるものではなく集合知の結晶であり、みんなのアイデアを凝縮したものを指しています。現代のホモ・サピエンスはお互いが高度につながった集合体ですから、私は孤独を感じたりしません。また、私の関心事が人から見向きもされなくても、インターネットにアクセスするだけで豊富なデータを収集できます。それらはみんながシェアしている集合知から生まれているのです。

では、インターネットを使って知識を学び、理解を深めるにはどうすればよいでしょう。学びのきっかけは未知への好奇心と探求心です。そこから「集思広益(ジースーグワンイー/多くの人の意見や知恵を広範囲に集める)」がゆっくりと始まります。

これに対し、集合知が花開くきっかけを作るのがイノベーションです。例えば新型コロナウイルス感染症が広まり始めたころのマスク不足の時期に、台湾では電鍋(台湾の電気炊飯器)がマスクの消毒に使われるようになりました。本来の用途からは外れていますが、電鍋をマスク消毒に活用する――これが集合知による「イノベーション」です。

最も重要なのは、すべての人が自分もジグソーパズルの1ピースなのだと思えることですが、それには時間がかかります。当然ながら、私が高いところから一声かければ、一瞬でみんなが洗脳されるということではありません。これはネットユーザーが作った噂にすぎず、私が本当に脳波で人をコントロールできるわけではないんですよ。

現代の起業はメイド・イン・ザ・ワールド

台湾は小さいという人もいますが、私は台湾の強みは社会部門の団結力と集合知にあると思っています。例えば起業ですが、環境問題や経済問題、あるいは社会問題の解決を目的として起業する場合、台湾ではスタートアップ企業が実情を確認しながら企業戦略を臨機応変に方向転換しています。

この場合、ほとんどコストをかけずに新しい方法を試行錯誤し続けられることが非常に重要だと私は考えています。もちろん時間というコストはかかります。しかしそのような文化がなかったら1回の起業でその人は破産してしまい、イノベーションも起こらないでしょう。

台湾で起業したらずっと台湾に居続けるべきだとか、台湾で上場すべきだとは思いませんし、台湾を主な市場にしなければならないとも、台湾のユニコーン企業を目指すべきだとも思いません。そんな視野の狭い考え方を私は持っていません。台湾でよいアイデアを思いついた人が新天地で大いに輝くのも、とてもすばらしいことだと思います。

あるいは、どこか別の場所で何かひらめいたけれども、そのアイデアを生かせるのは台湾しかないとわかり、会社ごと台湾にごっそり連れ戻したとしたら、人材を循環させることになるのでやはり非常にすばらしいことです。現代の起業はメイド・イン・ザ・ワールド、全世界が一緒に行う創作活動なのです。

パブリックドメイン(著作権により保護されていた著作物や発明が、著作権の保護期間を経過して社会の公共財産になり、誰でも自由に利用できるようになったもの)における集団創作を説明する際は、タピオカミルクティーを例に挙げると非常に分かりやすいでしょう。

世界のどこでも、タピオカミルクティーの話をしてオープン・イノベーションを説明すれば、すぐに理解してもらえます。タピオカミルクティーには複数の起源とたくさんの創作理論が絡んでいるため、誰も特許や商標権を主張できないという特徴があるからです。

タピオカ粉でできた黒や白の粒はすべてタピオカとみなされます。南アフリカのルイボスティーだろうが緑茶だろうが、どんなお茶でもベースとして使うことができますし、それに豆乳やオーツミルクを組み合わせても構いません。ですから「タピオカ・ミルク・お茶」は、現地の事情に合わせて好きなように入れ替えることができるのです。

販売するのは特定の製品でもサービスでもなく「食材の組み合わせ」という概念ですから、何をどう組み合わせても誰かに訴えられることはありません。例えばタピオカをピザの上に散らしたとしましょう。誰かに訴えられることなどなく、ただそっぽを向かれて終わりです。まさにメイド・イン・ザ・ワールドなのです。

どこでも誰でもこの「タピオカミルクティー」の概念を使って、何かをミックスして自分の好きなことを表現できます。これこそが「集合知」です。はるか遠いエチオピアでもタピオカミルクティーは知られていますし、飲んだことがある人もいます。私たち1人ひとりが「集合知」というジグソーパズルの1ピースなのです。

集合知にじっくりと耳を傾けて回答するのが「寛容性」

どうすれば人々に負担をかけずに、勇気を出して社会参加してもらうことができるでしょうか。私は寛容性(inclusive populism, 包摂的ポピュリズム)をベースにしてやり方を定義しています。例えば公共政策インターネット参加型プラットフォーム Joinはまさに集合知を利用したシステムです。このシステムは匿名参加できますし、選挙権や市民権がなくても、スマートフォンの番号さえあれば、誰でもJoinで創造的なアイデアを提案できるのです。5000人以上の支持を集めれば、どんな提案でも政府の関連部門が検討して、書面で回答します。


Joinにおいては、まだ選挙権もない15歳だけれど家族のために何かしたいとか、弱者を救済したいといった目的を持った提案者もいるかもしれません。しかし私たちがそうした事情を知るのはいつもすべてが終わってからです。私たちは提案そのものを見て議論し、相手が何歳だろうと立法委員と同等とみなしています。なぜならその人の主張は5000人の支持を取り付けているからです。

市民の定義を「スマートフォンの番号がある人」まで広げ、それ以外は年齢も台湾国籍すらも求めず、5000人の支持さえ得られれば、集合知にじっくりと耳を傾け、しっかりと回答する。私にとっての寛容性とは、このような概念を指すのです。

前回:台湾の超天才が「視点を偏らせない」思考を貫く訳(2月4日配信)