「バルセロナ退団後にも輝いた」10名のスター

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世界で最も輝かしいクラブであるバルセロナ。しかしそこを離れたあとも見事な成功を収めた選手がいる。

今回は『Squawka』から「バルセロナを離れたあとにも人生があることを見せた選手たち」をお送りする。

ディエゴ・マラドーナ

文字通りサッカーの歴史上最も素晴らしい選手の1人。バルセロナでは1982年から84年までプレーしたが、アスレティック・ビルバオ戦では激しいファウルを受けて乱闘も。

退団してからは当時イタリアの下位チームだったナポリへと加入し、チームを強豪へと一新させた。

アダマ・トラオレ

バルセロナの下部組織で育成されたアダマ・トラオレ。細身のスピードあるウインガーとして知られていたが、トップチームでは強烈な攻撃陣の壁を崩すことはできず。活躍しきれないままでイングランドに渡った。

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なぜかイギリスでは突然体がムキムキになり、重戦車系のドリブラーとして才能が開花。圧倒的なパワーでサイドを切り裂く選手として存在感を発揮し続けている。

ペペ・レイナ

ビクトル・バルデスが現れる前、ペペ・レイナはバルセロナユースの希望だった。しかし若くして起用されたときにはあまり力を発揮できず、クラブを去ることに。

しかしそれからビジャレアルで安定したプレーを見せ、リヴァプールやナポリなどビッグクラブでも活躍。スペイン代表の黄金時代にも信頼できるバックアップを務めていた。

ミケル・アルテタ

現在アーセナルで監督を務めているアルテタがバルセロナに所属していたのは1997〜2001年。なかなかベンチにも入ることができなかったため、退団を余儀なくされるような状況だった。

パリ・サンジェルマンに移籍したあと、グラスゴー・レンジャーズ、エヴァートン、アーセナルでプレー。スペイン代表経験はないものの、名選手として記憶に残る存在に。

サミュエル・エトー

若くしてレアル・マドリーに引き抜かれたものの、そこで出番を得られずにマジョルカを経てバルセロナへ。そこで多くのタイトルに恵まれたが、イブラヒモヴィッチとの交換でインテルへ移籍した。

そこではジョゼ・モウリーニョの下でトレブル(三冠)を獲得、チャンピオンズリーグ制覇も成し遂げた。なお、サッカーの歴史上、違うクラブで2年連続三冠を獲得したのは歴史上彼だけしかいない。

ダビド・ビジャ

バレンシアから獲得され、2010年から2013年までバルセロナで活躍を見せたストライカー。510万ユーロという驚くほどの価格でアトレティコ・マドリーへと移籍し、ディエゴ・シメオネ監督の下でリーガを優勝している。

その後アメリカのニューヨーク・シティでプレーし、日本のヴィッセル神戸へと移籍してから現役を引退している。

チアゴ・アルカンタラ

ユース時代から「チャビとイニエスタの後継者になる」と評価されたものの、セスクが帰ってきたこともあってなかなか重要な存在になれず、2013年にバルセロナを去ることになった。

それからはバイエルン・ミュンヘンで中心的な存在に。多くのタイトルを獲得し、世界で最も優秀なプレイメイカーの1人としての立場を確固たるものにした。

セスク・ファブレガス

ユース時代から過ごしたバルセロナを離れてアーセナルに移籍し、そこで若くして中心的な存在になったセスク。その実績を引っさげて愛するカンプノウに戻ってきたが、ワントップでプレーすることもあるなどなかなか確固たる存在になれず。

彼は2011年に再びイングランドへ戻ることを決断し、チェルシーで2回のプレミアリーグ制覇に成功。そしてモナコへと移籍している。

アレックス・グリマルド

バルセロナのユースで期待された左サイドバックであったが、ルイス・エンリケ監督は彼をトップに組み込むことに興味を持っておらず、ベンフィカへと放出されることに。

しかしポルトガルに渡った彼は見事な攻撃参加と素晴らしい左足のキックで大活躍を見せ、ヨーロッパでも屈指のアタッキングサイドバックとして評価されるようになった。