東大卒でメガバンクに就職する人は多い。彼ら彼女らの社会人生活が安泰かというと決してそんなことはない。仕事のストレスからうつ病を患ったという東京大学法学部卒のメガバンク行員・加瀬良介さん(仮名・37歳)は「社内で成績を評価されるがキツかった。口のうまさと体力にまかせてガンガン数字をとってくるMARCH出身にはかなわない」という--。

※本稿は、池田渓『東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれなかった不都合な話』(飛鳥新社)の一部を再編集したものです。

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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/olaser

■「仕事がつらすぎる。ストレスがすごい」

「死にたい」
--「またそれか」
「ごめんね。でも、死にたい」
--「死んだらいかんよ。僕、加瀬くんが死んだら、しばらく体調を崩して寝込んじゃうよ」
「……うん」
--「会社に行きたくないの?」
「うん」
--「なんで?」
「仕事がつらすぎる。ストレスがすごい。勤務中は常にプレッシャーを感じていて息がつまる。意地悪な先輩もいる」
--「でも、加瀬くんのとこメガバンクじゃん。仕事は激務でもそのぶん給料はいいでしょ」
「しょせん都銀だし世間に思われているほど給料はよくないよ」
「なんのために働いているのかわからん。なんで銀行なんて入ってしまったんかな。頭がグチャグチャしてなにも考えられん」

このやりとりは、僕が東大に入学したときからの友人である加瀬良介くん(仮名・37歳)と、ある年の夏にLINEで交わしたものだ。

加瀬くんは大阪府出身。中高一貫の私立校から東大文一に入った。

東大法学部を卒業した後、邦銀のメガバンクに就職してバリバリ働いていた--はずなのだが、いつのころからか、彼はなにかにつけて「仕事がつらい。もう死にたい」と口にするようになった。

■うつ病を患った「銀行」は東大卒のメジャーな就職先

先のやりとりから3カ月ほどがたったある冬の日、加瀬くんはついに無断欠勤をすることになる。その日、目が覚めると指一本動かせなくなっており、会社に電話をすることもできなかったという。

夕方になって心配した上司が家に様子を見に来るまで、彼はじっと布団に横たわり、ただ天井のシミを見ていたそうだ。

その後、加瀬くんは銀行お抱えの産業医に「この人間はうつ病のため約半年間の自宅安静での加療が必要である」との診断を下され、人事部から半年間の休職を命じられてしまった。

休職中の加瀬くんとは何度か会った。

友人として「今の仕事が嫌ならいっそ転職をしてはどうだろうか。君の学歴と経歴ならそれほど難しいことではないはずだ」などと無責任なアドバイスもしていたが、彼は半年後に元の職場に復帰をした。

相変わらずなにかにつけて「死にたい」と口にしているが、復帰後は休まずに職場に通えている。うつ病がひどいころは明らかに表情筋の動きが鈍く、目は生がきのようにドロッと濁り、なんでもないタイミングでふいに涙を流したりしていたが、今ではずいぶんと顔色もよくなっている。

この本を書くにあたり、改めて加瀬くんに当時のことを聞いてみることにした。なぜなら、彼がうつ病を患った「銀行」という職場は、東大の学部卒業者にとって大変メジャーな就職先だからだ。

■「MARCH卒の連中がガンガン数字をとってくる」

「客から受けるストレスもあったけど、社内で成績を評価されるのもキツかったね。俺が並の数字しかあげられないなかで、MARCH卒の『学生時代はイベサー(イベント系サークル)やテニス部でひたすら楽しんでいました』みたいな連中が、口のうまさと体力に任せてガンガン数字をとってくるんだよ」

幼稚園児みたいな文章を書く人たちが、しかし実際のところ、営業部では大活躍しているという。

「連中はろくに読み書きができない。でも、人に頭を下げることが苦でないし、愛想もいい。おべんちゃらも使える。愉快なトークもできる。理不尽なパワハラをスルーするスキルも高い。だから、客を簡単に口説き落として融資を取り付けてくるし、保険もたくさん売ってくるんだ。

ウェイ系っていうのかな。銀行って転勤が多いから歓送迎会も多いんだけど、そういう飲み会で場を盛り上げるもの彼らだよね。彼らがいい年して二十歳のガキみたいに『ウェーイ! ウェーイ!』って騒いでいるとき、俺みたいなのは端っこで静かに目立たないようにしているよ」

要は、そういう人たちはコミュニケーション能力が高く、会話における反射神経がすごくいいのだ。

往々にして場の空気を読む能力にも長けているので、軽快なトークで重苦しいシーンをパッと明るくさせることも得意である。

池田渓『東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれなかった不都合な話』(飛鳥新社)

「俺らって人と会話するときにむちゃくちゃ頭を使うじゃない。会話のキャッチボールで一球投げるごとに、頭のなかにある情報をすべて引っ張り出して、検討して、最善だと思われることを話そうとするよね。でも、テンポの速い会話でそんなことをしていたら情報処理が追いつかない。

俺なんかは訪問営業をする前に、想定される会話をぜんぶ紙に書き出してみて、場を和ませる冗談まで考えて、それらを暗記してから行くのよ。

でも、生粋のソルジャーは営業トークが脊髄(せきずい)反射でこなせてしまう。日常会話をするだけで、連中には単純にコミュニケーション能力ではかなわないと思い知らされるね」

■「天下の東大の数字がなんでパッとしないの?」

僕たちは論理的な読み書きといった言語スキルは高いが、他人との会話やコミュニケーションといった対人関係スキルでは世間の平均値にもおぼつかない。

「話が面白くない」「難しいことしかいわない」「一呼吸でしゃべりすぎ」「人の気持ちが分かっていない」「なにを考えているのか分からない」「態度が冷たい」「協調性がない」「挙動が不審」……これらは、僕たちがなにかにつけて言われてきた言葉である。

もし今この本を読んでいるあなたが東大生や東大卒業生なら、身に覚えのある人もいることだろう。

僕たちが独りで机に向かってシコシコと受験勉強をしていたときに、大勢の人間と一緒に運動したり遊んだりしながら対人関係スキルを磨いていた人たちがいる。

東大から社会に出てはじめて、僕たちはそのことに気づくのだった。

「民間企業は稼いでなんぼでしょ。そんな職場で、まともな文章一つ書けないバカだと思っていた連中が、俺なんかよりずっと稼いでくる。

営業成績が張り出されて、みんなの前で上司に『短大出のあいつがあれだけの数字をあげているのに、天下の東大を出ているお前の数字はなんでパッとしないの? やる気が足りないのかな?』なんて詰められると、プライドはズタズタだよね。今でも思い出すだけで死にたくなる」

並程度の営業成績をあげられなかった加瀬くんは、大勢の同僚の前で上司から何度も叱責を受けた。並の成績ならそれでよさそうなものだが、東大卒というだけで要求される数字が大きくなるのだという。

結局、学歴があるうえで数字もあげる人間が銀行のメインストリームで出世していく。

「ただ、そういう人は『スーパースター』のようなもので、並の東大卒よりも明らかに能力が高い。俺なんかは有象無象の東大卒だからね……いや、人よりもずっと根性がないから、東大卒としては底辺かな。だから、営業仕事のキツさにメンタルがもたなかったんだろうね」

加瀬くんは自虐めいてそう言った。

■慶應卒の嫌がらせが陰湿でキツかった

「もうひとつ嫌だったことを挙げるとすると、いじめだよね。けっこうひどかったよ」

一般的に、ある程度の数の人間が集まればいじめは必ず起こるとされている。しかし、加瀬くんが勤めるようなちゃんとした会社では徹底された社内コンプライアンスが大きないじめの発生を防いでいる--そう僕は思っていた。

「職場は常に空気がギスギスしているよ。仕事がキツくて、みんなストレスをためているんだよね。そんななかで東大卒は昇進とかでなにかと優遇されるから、他大卒の人たちの妬み嫉みの対象になりやすいんだよね」

自分たちの方が外で稼いでくるのになぜあいつは東大を出ているというだけ--そういった悪意に加瀬くんはしばしばさらされたという。

写真=iStock.com/mizoula
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「具体的にぶっちゃけてしまうと、慶應を出ている人の先輩からの嫌がらせが陰湿でキツかった。いろいろとやられたよ」

業務で話しかけても一度目は必ず無視される。目が合うたびに舌打ちをされる。うっかり脚をぶつけたという体で机を蹴られる。ほかの同僚たちの前で仕事のミスを何時間も責められる。

名前ではなく「東大生」と呼ばれる……一つひとつはささいな嫌がらせでも、コツコツと続けられたことで加瀬くんの心には着実にダメージが蓄積した。

■飲み会好きの慶應卒、一匹狼の東大卒

これらの行為は金品の脅し取りや直接的な暴力とはちがって、告発されても「故意ではない」「誤解だ」「彼のためを思って指導していた」などという言い逃れが可能だ。社内のハラスメント相談窓口に通報されても、一度のことなら口頭注意で済んでしまうらしい。

つまり、一発で「レッドカード」をもらってしまうようないじめよりも、狡猾でタチが悪い。加瀬くんは、自分をいじめた人がともに慶應義塾大学の卒業生だったことを偶然ではなく必然だと考えていた。

「偏見と言われるだろうけど、慶應卒には東大卒を目の敵にしている人が多いように俺は思う。慶應って『私学の雄』とされているけど、東大卒の前ではそのプライドが傷つくのか、彼らからは常に敵意のようなものを感じるんだよね」

加瀬くんが働く銀行で役員の第一勢力を占めるのは優秀な東大卒だが、それに肉薄して第二勢力をつくっているのは慶應卒の人間なのだそうだ。

であれば、東大出身者をなにかとライバル視する慶應出身者がいてもおかしくはない。

「慶應の連中はやたらと同窓でつるむのが好きで、銀行のなかにも同窓会をつくっているんだよね。よく慶應卒で集まって飲み会をやってるよ。対して、俺たち東大卒は一匹おおかみが多いじゃない。飲み会なんかもやらないし、そもそも大人数での飲み会は嫌いだし。

仲間とわいわいしているのが好きな連中は、一人でいるようなやつが気にくわないんじゃないかな。もともと、相性が悪いんだよ。正直に言うと、俺だって慶應的な人づきあいは苦手だもの」

■いじめのうまさとコミュ力の高さに共通点

たしかに、僕が知る範囲でも慶應の塾員(慶應では学生を「塾生」、卒業生を「塾員」と呼ぶ)には明るくて社交的な人間が多い。

附属校からエスカレーター式にあがってくる内部進学組、大学からの一般入試組、推薦入試組、帰国生入試組……慶應大学内には多様な出自の塾生がいる。

彼らは大学を卒業した後も「日本最強の学閥ネットワーク」との呼び声が高い「慶應三田会」に所属して盛んに親睦している。

このような多様な個性とのつながりを重視し、同窓生同士で生涯にわたって助け合う校風によって彼らの社交性は培われている。

「最悪なのは、人をいじめるような連中って営業で数字をとってくるんだよ。意地の悪い慶應卒の先輩たちも、営業成績はかなりよかった。だから、俺は余計にみじめになるんだよね」

人間関係での位置取り、相手のアクションに素早く対応する反射神経、場の空気の読み方、人の心を動かす言葉選び……いじめのうまさとコミュニケーション能力の高さは通じるところがある。

だからといって、コミュニケーション能力が高い人のすべてがいじめをするわけではもちろんないけれど。

「先輩のうちの一人は、学生のときにネットワークビジネスをやっていたんだって。飲み会で当時のエピソードを披露して笑いをとっていたよ。

都内のルノアールでくつろいでいると、時々ネットワークビジネスの勧誘現場に出くわすじゃない。しばらく聞き耳を立てていれば分かるんだけど、勧誘している側もされている側もたいてい慶應の学生なんだよね。

あんなものはろくな商売じゃないんだけど、学生のころからバリバリに営業の現場に出ていたってことでしょ。そんな人の営業スキルに、コミュ障の俺がかなうわけがないんだ」

■慶應卒の人たちが転勤して、会社でのストレスは半分に

反例なら挙げられたのだが、僕は一言「なるほど」とだけ返した。少なくとも、加瀬くんが同じ職場にいる2名の塾員からいじめを受けていたのは事実なのだ。彼の心情を考えれば、その意見がいくらか偏るのは無理からぬことだと思った。

幸いなことに銀行は内部での異動が激しい。行員が特定の客と癒着して悪さをしないように、約3年おきに転勤をさせられるのだそうだ。

休職していた加瀬くんがようやく職場に復帰したときには、彼を執拗(しつよう)にいじめていた人の先輩はすでに別の支店に異動していた。

「慶應卒の人たちが転勤して、ずいぶん楽になったよ。会社でのストレスは半分になった」

やれやれという表情を浮かべながら加瀬くんはそう言った。

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池田 渓(いけだ・けい)
ライター
1982年兵庫県生まれ。東京大学農学部卒業後、同大学院農学生命科学研究科修士課程修了、同博士課程中退。出版社勤務を経て、2014年よりフリーランスの書籍ライター。共同事務所「スタジオ大四畳半」在籍。
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(ライター 池田 渓)