中国がTPP加入を推し進める背景には、ある思惑が働いているようだ(写真:Bloomberg)

9月16日夜、中国がTPP(環太平洋経済連携協定)への加入を申請したと発表したのは、日本政府にとって想定外の動きだった。

直前の9月1日には日本の西村康稔・経済財政・再生相を議長として、協定の運営に関する最高意思決定機関であるTPP委員会が開催されたばかり。その場でイギリスの加入手続き(2021年2月に加入を正式に申請)をスタートさせ、今年の議長国としての日本の仕事は事実上終わったはずだったからだ。

2015年に大筋合意したTPPは、もともと日米などが連携して中国に対抗するための仕掛けであったし、中国もそう見なしていた。ところが、2017年のトランプ政権成立の直後に主役のアメリカが脱退。何とか日本が主導して11カ国からなる現在の枠組みを2018年末に発効させたものの、今度は中国がTPP加入を申請するというねじれた状況が生じている。

日本の要人はそろって「塩対応」

中国による発表のあった翌17日には閣議後の記者会見で質問が相次いだが、「中国がTPPの極めて高いレベルを満たす用意があるのかどうか、まずはしっかりと見極めるべき」(西村氏)、「新規に加入できるような状態ですかね、今の中国は?」(麻生太郎財務相)と、閣僚発言のニュアンスは総じて否定的だった。

おりしも当日に始まった自民党総裁選挙への候補者による論戦でも、「最初から反対というのは非常に道理がない」とした野田聖子氏を例外として同様の反応が見られた。


2021年1月に菅義偉首相はラジオのインタビューで「TPPのルールは非常にハイレベルで、国営企業で運営しているところは(加入基準をクリアするのが)厳しいことに当然なっているので、今の体制では難しいと思う」と発言している。虚を突かれたこともあって、閣僚らは否定的なトーンで答えざるをえなかったのだろう。

遅れて9月22日に申請した台湾に対しては「歓迎」一色となった。「自由民主主義、基本的人権、法の支配、こういった基本的価値を共有し、緊密な経済関係を有する」(西村氏)、「台湾は極めて重要なパートナー。日本としては歓迎すべきこと」(麻生氏)と、対中国とは打って変わって台湾に好意的なコメントが並んだ。総裁選の候補も同様だ。それだけ「中国排除」の姿勢は際立ったが、中国からすれば織り込み済みの反応だったはずだ。

現状で、中国がTPPに加入できるかといえば、その可能性はかなり低いとみるのが自然だろう。

国有企業への優遇措置、ネット上のデータ移転への制限、知的財産の保護の不徹底など、中国には市場開放の要求度が高いTPPのルールに抵触する要素が数多くある。また新規加入には基本的に参加国すべての同意が必要だが、TPP参加国の中には日本だけでなくオーストラリアやカナダなど中国との関係に問題を抱えている国が少なくない。

オーストラリアは新型コロナウイルスの発生源に関して独立調査を求めたことで、中国の猛反発をかった。2020年5月以降、中国はオーストラリア産の大麦やワインに高関税を課すなど関係が悪化している。テハン貿易相は中国のTPP加入について「解決すべき重要な問題がある」との声明を出して中国にクギをさした。

アメリカが持つ強力な“カード”

この状況で中国に勝算はあるのか。国務院発展研究センター世界発展研究所で副所長を務めた政府系エコノミストの丁一凡氏は「中国もアメリカもいないTPPの経済メリットは大きくない。それだけに日本がどこまでも反対するとは思えない。中国との懸案を抱えるオーストラリアもむしろTPPに入れることで中国を牽制できると思っている。本当に交渉のネックになるのはカナダとメキシコだ」と指摘している。

2020年8月に発効したアメリカ・メキシコ・カナダ協定(USMCA)には、3カ国による自由貿易協定(FTA)だが、うち1カ国でもアメリカが「非市場経済」とみなす国とFTAを締結した場合、他の参加国は6カ月後にUSMCAから離脱し、新たな二国間協定に置き換えられるよう定められている。この「ポイズン・ピル(毒薬条項)」によって、アメリカは中国のTPP加入についての「拒否権」を、カナダ、メキシコを通じて行使することができるのだ。

カナダとメキシコのアメリカへの経済的依存度を考えれば、両国がアメリカの意向に逆らってまで中国のTPP加入に協力するとは考えにくい。加入に反対するか、あるいは加入条件を引き上げるか。アメリカはTPPの外から事態を動かす強力なカードを握っているわけだ。一方、中国は日本やオーストラリアは経済的利益で動かせると踏んで、あくまでアメリカの動向だけを気にしているように見える。

加入に向けて中国が当てにしているのは東南アジア諸国からの支持だ。TPP加入申請に先立つ9月13日、14日には中国の王毅外相がシンガポールを訪問した。そのことを伝えるシンガポール外務省の発表文には、同国外相の「TPPに中国が関心を寄せていることを歓迎する」とのコメントが入っている。同月21日にはマレーシア政府も中国の加入申請を歓迎する声明を発表している。

シンガポールは2022年のTPP委員会の議長国。その先の2023年にはニュージーランドが議長国に予定されている。同国は2008年に先進国で初めて中国とFTAを結び、2021年に入ってニュージーランド産品の対中輸出に有利になる形で協定を結び直している。

こうしてみると日本が議長国から外れる2022年以降は、中国にかなり追い風が吹く可能性がある。中国同様に社会主義国で国有企業問題を抱えるベトナムは、途上国であることを理由に例外規定が適用されTPPに加入できた。こうした例外措置を設けることで中国加入のハードルを下げる、といった提案も出てきそうだ。

中国にとってのTPPの価値

日本が主導して2018年末にTPPの枠組みが発効したものの、加盟する11カ国を合せても経済規模は中国に及ばない。2017年にアメリカが脱退したことで、中国が慌てて動く必要はなくなった。

ところが、米中対立の高まりに伴い、中国は再びTPPの“利用価値”に着目する。トランプ政権が攪乱した国際経済秩序を再構築するうえで、中国が発言権を高める余地が生じたためだ。2020年5月には李首相が全人代後の記者会見で「TPP参加にはオープンで積極的だ」と発言。李首相は2014年にも同様なコメントをしているが、前向きなニュアンスはより強まった。

さらに2020年11月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で習近平国家主席が「TPPへの加入を積極的に考える」と表明したことで、TPPへの参加は国策として動き出した。最近では中国人民銀行(中央銀行)前総裁の周小川氏のような大物もTPP参加論のオピニオンリーダーを買って出ている。周氏は日本の有識者とも接触するなどして、TPPの研究を積極的に進めてきたもようだ。

中国には2001年のWTO(世界貿易機関)加入によって経済制度の改革が進み、産業の競争力が向上したという成功体験がある。TPP加入でその再演を狙う動きが経済テクノクラートの間で続いてきた。

シンクタンク「全球化智庫」の創設者で国務院の政策ブレーンである王輝耀氏は中国におけるTPP参加論の代表的な論客だ。王氏は9月22日発表した論説でTPPを「ミニWTO」として加入による中国の経済改革が進むメリットを説いたうえで「アメリカ、日本、オーストラリアは、中国をそう簡単には参加させないだろうが、時間と市場は中国とASEANの側にある」と指摘した。

中国がいよいよTPP加入申請に踏み切った背景では、こうした経済改革への期待と、米中対立のもとでの地政学的な思惑が混然一体となっている印象がある。中国の通商政策に詳しい日本政府関係者は「『アメリカのいない間に勢力拡大できます』などと、取り巻きに習近平が吹き込まれて、その気になったのでは。交渉の実務に当たる商務部などは本気で実現するなどと思わずに、忖度で動いているだけだろう」とみる。

台湾加入をめぐる分断も

ことの真相が見えてくるのはかなり先のことだろう。いずれにしろ、中国を頭から排除することはシンガポールなど中国寄りのグループと日本、オーストラリア、カナダなどとの分断を深める可能性がある。

2001年のWTO加入の際にも中国と同時に台湾が加入交渉を進めていたが、「中国は自国に近いパキスタンに、台湾のWTO参加に反対するよう働きかけた」(当時交渉にあたった元台湾政府高官)。最終的には台湾の承認を中国の1日後にすることで妥協が図られたが、今回も台湾の加入をめぐって加盟国が分断される可能性はありそうだ。

アメリカのバイデン政権はTPP復帰に積極的な姿勢を見せておらず、少なくとも2022年11月に中間選挙が終わるまでは動けないとみられる。自国に有利な貿易秩序の形成を狙う中国には、このチャンスを狙ってTPP内部をかき回すだけでもメリットがある。アメリカが復帰するのを待つだけではなく、日本が自ら動かないと存在感を示せない。

日本としては「体制の違いを理由に中国を理不尽に排除している」という批判を許さないために、まずは「申請は歓迎するが、基準はきちんとクリアしてもらう」と表明するべきだろう。9月28日にはイギリスの加入に向けた交渉を行う作業部会が初会合を行う。イギリスの加入交渉を急ぎ、できるだけ高い基準での加入を実現することが重要だ。