稲葉監督就任でも、中田翔日本ハム退団は決定的……栗山監督「このチームでは難しい」発言の深意
日本ハムの主砲である中田翔(32)が、8月4日のDeNAとのエキシビションマッチの試合前、チームメイトの後輩投手に暴力を振るい、球団から無期限出場停止処分を受けている。これについて、16日に取材に応じた栗山英樹監督(60)は「何にもなかったように戻れるという話ではない」と早期の復帰はないとし、「正直、このチームでは難しいかな」と移籍を示唆した。
2年連続5位、今シーズンも最下位に低迷する栗山監督の勇退は必至であり、来季からは東京五輪で金メダルを獲得した稲葉篤紀氏(49)を監督に招聘すると考えられている。そのなかで、なぜ栗山発言が飛び出したのか。
現役時代、稲葉氏は中田を弟のように可愛がり、お目付役でもあった。自分の引退セレモニーで『中田翔のことをよろしくお願いします』と、わざわざスピーチの一文に入れたほどだ。そのため、稲葉氏が監督になれば、中田を残留させるのではないかと思われそうだが、栗山監督の発言であらためてその線は薄くなった。
過去の球界にも“ヤンチャ”な選手はたくさんいた。その語感の聞こえはいいが、“ヤンチャ”とは、大人になりきれていない自分勝手な行動を取るという意味でもある。今回の中田のチームメイトへの暴力は、まさにその類だった。
チーム内で問題児と思われていたり、幅を利かせ過ぎていると判断されたりする主力選手は、新監督になる前に一掃されるという歴史がある。稲葉氏の監督就任が既定路線なら、日本ハムは必ずや中田の放出を検討するであろう。
東映フライヤーズの張本勲は、1970年には当時最高のシーズン打率3割8分3厘を記録する看板選手だった。チームは1973年に日拓フライヤーズに身売りし、翌年からは日本ハムファイターズになった。その3年目、大沢啓二監督が就任する1976年に、張本は巨人へ移籍している。その大沢監督の元で1981年から3年連続パ・リーグ最優秀救援投手に輝いた江夏豊は親分の退任にともない、西武に放出された。ロッテの落合博満は、2年連続三冠王を取った1986年オフに信頼が厚かった稲尾和久監督が退任すると、中日へ1対4でトレードされた。
彼らに対する球団内の評価が必ずしも正しいとは限らないが、フロントが新監督の意向を聞く前に、チームに悪い影響を与えると判断すれば、解雇やトレードを画策する。
今回の中田翔のケースでは、仮に稲葉氏が監督に就任して再生したいと考えても、その前に球団が「余計な重荷を背負わせたくない」と見切りをつけるのではないか。そうでなければ、栗山監督が「正直、このチームでは難しいかな」と、迂闊には発言できないはずだ。
果たして、中田を引き取る球団はあるのか。一時的な感情にまかせた暴力の代償は中田やチームだけでなく、球界全体に重くのしかかっている。