明石家さんまの高校時代の恩師・乾井實氏に、当時のさんまの破天荒ぶりを教えてもらいました(写真:共同通信)

「いまだにテレビで見ない日はない「国民的芸人」の明石家さんま。そんな稀代の芸人にほれ込み、自らを「明石家さんま研究家」と名乗るのがライターのエムカク氏が、本人の証言と膨大な資料とともにさんまの誕生からスターになるまでの経緯をたどった『明石家さんまヒストリー1 1955〜1981「明石家さんま」の誕生』が発売された。

今回はその中から、高校時代の運動会での破天荒なパフォーマンスを紹介する。

ある日、他校の強い連中がやってきて…

杉本高文(明石家さんま)は奈良商業高校(以下、奈良商)のヒーローだった。

ある日の放課後、奈良商の校門前が騒然となる事件が起きる。以前、奈良商の生徒が京都の高校の生徒と電車内でもめ事を起こしたことがあり、その京都の生徒がとてつもなく厳(いか)つい顔をした男たちを引き連れ、乗り込んできたのだ。

高文はそんなことが起こっているとはまったく知らずに、教室で友人たちとしゃべっていると、サッカー部の後輩が引きつった形相で教室に入ってきた。

「杉本先輩! 殴り込みです! 京都の高校の連中が滝先輩を探してるんです! ちょっと来てください!」。高文はあまりに唐突な申し出に、さっぱり事情が飲み込めなかったが、導かれるまま、後輩の後について行った。

廊下に出ると、生徒たちが窓から校門のほうをのぞき、騒いでいた。高文が校門に目をやると、そこには見たことのない制服を着た連中がたむろし、奈良商の生徒の襟首をつかんで何やら叫んでいた。高文は、なんとなく状況をつかむことができた。そして、「なんで俺が行かなアカンねん、俺関係ないやん」という思いがすぐに湧き上がってきたが、後輩に頼まれた手前、断ることもできず、校門へと向かった。

高文は校舎の階段を降りながら、イメージトレーニングを始めていた。「たぶん、殴られるんやろなぁ。痛いやろなぁ。でも我慢しょう。手ぇ出しても絶対やられるし、絶対抵抗せんとこう。そのうち誰か助けに来るやろう。冷静に冷静に」。

高文が校舎を出て、恐る恐る校門に向かって足を踏み出すと、あちらこちらから、「おぉ! 杉本や!」「杉本君よ!」「杉本先輩よ!」という声が聞こえてきた。その声に反応した男たちが、校門から高文をにらみつけた。

「もう逃げられへん。ボコボコや。俺の人生終わりや」。高文は心の中でそうつぶやきながら、校門へ向かって歩き出した。

「お前、誰や!」。眉毛を剃り落とした男が高文をにらみながら怒鳴りつけた。

「……杉本いうもんやけど」と高文は冷静を装った声で答えた。

「杉本?」

男たちが何やら相談を始めた。そして、高文に向かって言った。

「杉本ってお前、やーちゃんの知り合いの杉本かいなぁ」
「やーちゃんって、吉田のやーちゃんのことか?」
「おぉ」
「……まあ、知り合いやけど」

高文は鼻をかきながら、精いっぱい、落ち着き払った口調で答えた。

吉田とは、高文が中学3年生のときに相撲大会の決勝戦で熱戦を繰り広げた吉田のことだった。その後、吉田は奈良県の総番長となり、他府県にもその名をとどろかせるほどの存在となっていた。

高文と吉田は高校生になってからも何度か町で顔を合わせたことがあり、吉田は高文と会うたびに、そこにいた仲間たちに「こいつはめちゃくちゃケンカ強いからなぁ、お前ら手ぇ出すなよ。簡単にいかれるぞぉ」と、冗談っぽく話していたのだ。

「自分かいなぁ、やーちゃんと相撲とってええ勝負したいうんは。ワシ、やーちゃんのツレやねん。やーちゃんから自分のことよう聞いてるわ。いやな、うちの後輩が奈良商の奴ともめたいうから、奈良に来たついでにちょっと寄ってみたんや。まあ、ほんなら帰るわ。やーちゃんによろしくな」 

そう言い残し、男たちは去って行った。

高文の心臓はバクバクと音を立て、足はガクガクと震えていた。「ふぅ〜、なんや知らんけど助かったぁ」と胸をなでおろし、高文が振り返った瞬間、校門付近にいた生徒や、校舎から見ていた生徒たちから一斉に拍手が湧き起こった。高文は照れ笑いを浮かべながら、両手を上げ、拍手に応えた。

なぜか「好きな男性芸能人」第7位に

この一件の直後、奈良商新聞部が全校生徒を対象にしたアンケート調査を行ったところ、「好きな男性芸能人」部門で、郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎といった超人気アイドルが名を連ねる中、高文は7位にランクインされた。それほど、奈良商では絶大な人気を誇っていた。

さんま「ぼくの人気の要因は『笑い』と『わるさ』、これやなかったかと思ってます。それで男からも女からも人気があったんやないかと」(明石家さんま『こんな男でよかったら』ニッポン放送出版、1984年)
 
伏見敦「クラスの人気者でした。(中略)授業中、よく私の言葉尻をとらえてはジョークをいうことがありました」(「週刊平凡」1986年3月7日号)

さんま「高校時代は学校中の人気者でした。ほかの高校の女生徒がわざわざ、ぼくの顔を見にくるぐらいの人気者だったんですよ。めだちたがり屋やったんです、ぼく。自分のサイン、1枚50円で売ったんですわ。買うてくれる女の子が何人かいましたからね」(「プチセブン」1988年6月1日号)

高文の高校時代の天敵、教師・乾井實との最後の決戦の場は、奈良商の運動会だった。厳しい指導で全校生徒からおそれられていた乾井。頑丈な体格を誇り、その顔立ちには厳格さがにじみ出ており、あまりにイタズラが過ぎたときには容赦なく鉄拳制裁を加えた。

人を笑わせるためなら、他人の迷惑などお構いなしにイタズラを働く高文にとって、乾井は最も厄介な存在だった。乾井もまた、何度注意をしてもこりない高文には手を焼いていた。

徒競走でスタートと同時に逆走して笑いをとり、体育部長を務める乾井を怒らせていた高文は、運動会のクライマックス、クラブ対抗リレーでも笑いをとりにいく。

高文はサッカー部の最終走者。全校生徒がグラウンドを取り囲んでいた。第1走者から陸上部とサッカー部が熾烈なトップ争いを繰り広げ、後のクラブは団子状態。そしていよいよ最終走者にバトンが託されようとしていたそのとき、異変が起こる。

最終走者が待機する場には、各クラブのエースではなく、高文とその仲間たちが立っていた。バトンを託された高文は、勢いよく走り出すが、来賓席付近で仲間たちと手をつなぎ出し、ゆっくりと歩き始めた。

一瞬の静寂の後、グラウンドを取り囲んでいた生徒たちの歓声がドドドドーッと波打った。高文は清々しい表情を浮かべながら、生徒たちの歓声に応えるように手を振り、仲間たちと歩みを進める。「杉本〜! 走れ〜!」乾井の拡声器を通した怒号がグラウンドに響き渡り、高文らが一目散に逃げ出すと、グラウンドに地鳴りのような笑い声がこだました。

グラウンドの中央で正座させられ

必死の形相で追いかける乾井。すさまじいスピードで逃げる高文。

「高坊〜! 逃げろ〜!」と、親友の大西康雄が叫ぶ。

生徒たちは皆、高文を応援していた。来賓席からも笑いがこぼれていた。笑いが絶頂に達したところで、高文は乾井に捕まった。グラウンドは一瞬にして静まり返り、運動会は中断される。

グラウンドの中央で正座をさせられる高文とその仲間たち。乾井は竹の棒を持ち、高文をにらみつけている。ちらほらと笑い声も聞こえてくるが、生徒たちは静かにその様子を見守っていた。

「お前ら何考えとんじゃ〜!」

乾井は竹の棒を振りかざし、1人ずつ懲らしめていく。

「バシーン! バシーン! バシーン!」と静かなグラウンドに乾いた音が鳴り響いた。

残るは康雄と高文。乾井は康雄の頭をめがけ、竹の棒を勢いよく振り下ろした。

すると、当たりどころが悪かったせいか、康雄の頭に竹の棒が直撃した瞬間、「ボコン!」と、おかしな音が鳴った。真横に座っていた高文は笑いをこらえきれず、とっさに両手で顔を隠し、うつむいた。乾井は、体を小刻みに震わせる高文を見て、地面に置いていた拡声器をつかみ、様子を見守る生徒たちに向けてこう言い放った。

「いつも悪ふざけをしとる杉本が、泣いて反省しとる。みんな、許したってくれるか! 皆が力を合わせて一生懸命準備してきた運動会を、悪ふざけで台無しにしたこいつらを許したってくれるか!」

熱のこもった乾井が勢いそのままに続ける。

「杉本! お前からも一言みんなに謝れ!」

泣いていると思われるのを嫌がった高文は、顔をふさいでいた両手を広げ、おどけたポーズを見せた。その瞬間、高文を注視していた生徒たちが怒濤のごとく笑いだした。

再び乾井に捕まったさんま

呆然と生徒たちの方を見る乾井。高文はその隙を突き、逃げ出した。「杉本〜!」と乾井の大声で拡声器がハウり、「ピーーー!」と耳障りな音を立てた。

乾井は鬼のように怒り狂い、高文を追いかけた。しかし、運動靴を履いた高文はそう簡単には捕まらなかった。グラウンドの中央で正座をさせられていた仲間たちは腹を抱えて笑っている。来賓席に座る大人たちの表情もほころんでいた。

乾井はなんとか先回りして捕まえようとするが、高文は巧みなフェイントで何度も乾井をかわした。そのたびに生徒たちの笑いが波打った。

高文は満足したのか、走る速度をゆるめ、再び乾井に捕まった。

「いたたたたっ、ちょっ、先生、かんにんしてぇなぁ」

「このバカタレがぁ!」

乾井が高文を捕らえたこの決定的瞬間は、新聞部の生徒によってカメラに収められた。高文と乾井の最終決戦は、その写真と共に学校新聞に大きく掲載され、奈良商に語り継がれる伝説となった。

さんま「俺が捕まえられた瞬間、新聞部がシャッター押しとったのよ。偶然撮っとったの。このとき、『かんにんしてぇ』って言うてんねん(笑)。全校生徒がいてて、父兄がいてて、PTAの偉いさんがいててやで、あんな笑わしたのになぁ〜、運動会中断して怒られてん。どうも運動会はなぁ、笑いはいらんみたい。

クラス対抗リレーで、グラウンドに封筒置いといて、ひとりだけ借り物ゲームのフリしたりな。『え〜っと、女の人の靴やな』とか言うて。それは怒るわな(笑)」(フジテレビ『さんま・中居の今夜も眠れない』2007年7月28日)

「心の優しい子やったんですよ」

乾井實「とにかく、いまも昔も変わりませんね。テレビを見とっても、お客を楽しませるために一生懸命ですよねえ。高校時代もそうでした。毎日、1回、人を笑わせるのを生きがいにしとったような男ですよ。『ぼくは人を泣かすのはいやや。人を笑わせたい。人が楽しそうに笑ってるのを見るのが好きなんですわ』いつもそんなふうにいうてました。心の優しい子やったんですよ。

ただねえ、その人を笑わせるのが少々、度がすぎることがありましてね。(中略)私、一度、彼を殴ったことがあるんですよ。

3年生の体育祭のときでした。(中略)杉本は最終ランナーだったんですよ。第1、第2、第3走者が全力で走り、最終ランナーにバトンが渡されました。ところが、来賓席の前あたりで、最終ランナーが全員、歩きだしたんです。どうやら全員がしめしあわせて、会場を笑わせようとしたらしいんですが、私、仕掛け人は杉本やとピ〜ンときましてね。

それで殴りつけたんですが、あの子のええところは反抗したりせずに、素直に『すんません!』って謝るとこなんですよ。『ちょっとやりすぎました。すんません!』って。そういう性格やから、杉本のまわりにはいつも友だちがいっぱいおりましたね。人をひきつけるもんをもった子どもでしたよ」(『女性セブン』1985年5月23日号)


さんま「先生には散々怒られましたから。運動会でねぇ、先生、覚えてらっしゃいますか? 僕たちを死ぬほど怒ったことは?」

乾井「絶対忘れません! 運動会では最後にクラブ対抗リレーというのがあるんですね。そのときに、杉本君は最終ランナーでですねぇ、みんな一生懸命走ってくるのに、みんなを止めて、そして、みんな横一列になってですねぇ、歩きながらゴールをしようとしたんです。私が、若気の至りですね、杉本君の手を持ってですねぇ、殴ったと、そういう事実があるんですよ」

さんま「先生が拡声器で、『杉本! ボケ! アホ! カス〜!』言うて、PTAの偉い人もいてんのにやなぁ、『運動会中止じゃー! ピー!』とかいうて。それでシーンとなって、正座させられたんですよ」

乾井「この頭が光ってんのもね、杉本君がだいぶ毛を抜いてるんやで」

さんま「(笑)すいません。心配かけて抜かしたかわかりません。ほんとに申し訳ないですよ」

乾井「(笑)」(『春の豪華版!さんまのからくりTV』2007年3月25日)