なぜワサビは和食で重宝されるようになったのか(写真:ささざわ/PIXTA)

日本固有の植物でありながら起源や歴史があまり知られていないワサビは、日本の食文化にどのように定着したのか――。岐阜大学応用生物科学部准教授の山根京子氏による『わさびの日本史』より一部抜粋・再構成してお届けする。

日本と韓国は海を隔てながらも世界的にみれば隣国である。にもかかわらず、両国はそれぞれ独自の食文化をはぐくんできた。現代では韓国でも「すしにワサビ」は浸透していて、ワサビの存在は広く知られている。

キムチ、チゲ、ビビンパなど、主に香辛料としてトウガラシが用いられた韓国料理も、すでに深く日本の食シーンに溶け込んでいる。近年文化的な交流はますますさかんになり、垣根はずいぶん低くなったように見える。

そんななか、韓国人と日本人によるある研究結果に注目した。韓国人と日本人を対象にした、種種の香辛料に対する印象調査である。その結果、日本人の辛味嗜好性はワサビ嗜好性と、韓国人の辛味嗜好性はトウガラシ嗜好性と一致するデータが得られた。

この結果が示すところは、韓国では辛い食べ物が好きな人はトウガラシが好きな人が多く、日本では辛い食べ物が好きな人はワサビが好きな人が多い、という結論である。

これは、表現を変えれば、身近な食材が「辛いものが好き(あるいは嫌い)」という「嗜好性」に影響を与えたのではないか、ということを示唆した結果といえる。逆の言い方をすれば、韓国人と日本人にとっては、より身近な辛い食材は、それぞれトウガラシとワサビであった、となる。

子供時代に出合う味の大切さ

もう少しわかりやすく説明する。そもそも、子供の頃は辛い食べ物は苦手なはずなのである。それが、経験により徐々に克服されてゆく。この時、「どんな辛い食べ物で辛さを克服し、逆に好きになっていった」のか、という点が、日本と韓国で違うのではないか、ということを明示したのがこのグラフ、ということになる。


ところが、私たちの研究から、最近の高校生が「辛いもの」を好きになった背景に、ワサビではなく、トウガラシによる訓練の存在が浮かび上がってきた。つまり、「辛いものは好き」で「トウガラシも好き」なのに、「ワサビだけが苦手」、という高校生の割合が顕著に多い結果が得られたのである。

過去に同様の目的で行われた調査データが存在しないために、こうした若者が今後どうなるかを推察する術はないが、私は楽観視できないと考えている。

この調査の結果がインターネット上で公開された時には、「どうせ大きくなったら自然にワサビも食べられるようになるだろう」「高校生に調査したところで、ワサビ離れと結論付けるのは早いだろう」という指摘を受けた。確かに、杞憂に終わってくれればよいのだが。

私が恐れているのは、ワサビの経験がなく苦手意識を持ち続けた若者が、挽回の機会を与えられないことである。ワサビ嫌いの若者がそのまま親になり、家庭でワサビを経験する機会を子供に与えないとしよう。

その結果、その子供もワサビを克服する機会が与えられないまま大きくなる可能性がある。そうした「負の連鎖」を恐れているのである。実際に、高齢者に同様のアンケート調査を行ったところ、ワサビを嫌いとする人はほとんどいなかった。「すしにワサビ」「刺身にワサビ」が避けられなかった世代だったからかもしれない。

香辛料の種類が少ない日本

香辛料の主たる用途は、獣肉の除臭、保存および防腐、暑中時の食欲減退防止などとされている。もともと日本は外国に比べて用いられる香辛料の種類は少ない。生物学者シャーマンらは、平均気温の高い国ほどより多くの香辛料が料理に用いていると主張している。

彼らはまた、世界各地の香辛料利用について調べた経験から「気候帯が類似している日本と韓国の香辛料の用いられ方に顕著な違いがある点が非常に興味深い」としている。

その理由として彼らは、日本の魚食文化(とくに生食文化)と韓国の肉食文化の違いに起因しているのだろう、と考察している。韓国食文化研究者である鄭大声によっても同様の考察がなされている。「日本においてなぜ、ワサビがこれほどまでに食文化に浸透してきたのか」について考えてみよう。

トウガラシは新大陸原産であり、もともと日本列島には存在していなかった。持ち込まれた時期については諸説あるが、室町後期に南蛮人が伝えたとの説がある。いずれにせよ、奈良や平安時代から用いられてきた植物の記録はたくさん残されているなかで、日本人がトウガラシを利用するようになったのは早くても室町以降であると考えられる。

日本最古の本格的な料理書と言われる『料理物語』(1643年)にも、ワサビの記述はあるものの、トウガラシはまったく登場しない。これに対してワサビは、学名であるEutrema japonicumが示すように日本固有種であり、日本原産の植物である。トウガラシとワサビでは、そもそも日本国内での歴史的な古さに違いがあることは間違いない。

肥大した根茎をすりおろした薬味としての利用は江戸後期以降に一気に広がったことがわかっており、両者の広がりの違いは単純にトウガラシの導入時期がワサビよりも遅かったことによる、とはいえないだろう。

鄭大声は、『朝鮮食物誌』の中で、「なぜトウガラシが朝鮮の食生活には深く広く取り入れられながら、日本の食生活にはさほど取り入れられなかったのだろうか」という疑問に関して、「日本料理では獣肉類を用いる料理が少なく、香辛料の使用が歴史的にも乏しかったためからだろう」としており、シャーマンの説と一致する。

日本でトウガラシよりもワサビが食文化に浸透した背景には、日本で長く続いてきたコメと魚食文化と深い関係がありそうだ。

魚と相性のよい香辛料

肉の消費量が初めて魚を上回ったのはごく最近、2006年である。水産庁がまとめた世界の水産物消費でも、主要国で日本は1人当たりの食用魚介類消費量はつい最近まで1位であった。欧米人に食用の魚の名前をたずねると、10種類以上をあげられる人は少ないが、日本では20種類以上の魚種をあげることができるという。

日本は近代化の過程で確実に肉食スタイルを受容していったものの、その消費量は魚肉より少なく、実際は戦後長らく米と魚という食生活のスタイルが主流であった。

実はこの結果には、日本に長く根付いてきた肉食禁忌の思考がかかわっていると考えられる。魚食文化がここまで日本で定着した歴史的背景をみてみると、675年の天武天皇による殺生禁令(「牛馬犬猿鶏の宍(しし)を食うこと莫れ」)までさかのぼることができる。

以後も歴代にわたって畜類の殺生禁断、肉食禁止の布令が発せられた。国家が肉食を禁じたことで、やがて食肉という行為自体がけがれの一因とされ、肉が忌むべき食べ物とみなされるようになり、日本国民の精神に深く浸透してゆく。

675年の殺生禁令以来、日本人は最近まで、魚食が中心の食生活を送っていたことは間違いない。国家の選択がその後の日本の食文化を方向づける、歴史が食を変えた事例として、世界的にも特筆すべきであるといえるだろう。

こうして日本は、肉を排除した代わりに、重要な動物タンパク源として魚が注目を浴びるようになり、日本は一大魚食王国となった。つまり、国家レベルで魚への依存度が高くなったといえる。それゆえに魚の料理法の発達が顕著であり、刺身やすし、魚の天ぷらといった多様な食べ方が生み出されたのである。

こうしたなかでワサビは、魚食料理に辛味や香りや風味といった嗜好的加味を与えることができ重宝された。肉食に比べて淡泊な味わいの魚料理にアクセントを加味でき、変化を楽しむことができたことが大きかったのだろう。醤油との相性もよく、結果的に和食に欠かせない薬味としての地位を確立していった、というわけである。

日本では、食文化にかかわる資料をどれほど調べても、奈良時代から現在まで、魚よりも肉食の嗜好性が上回ったことは一度もなかったようである。もちろん、四足動物がまったく食されなかったわけではないが、どの時代を切り取っても、海産物が主流の献立が記録されているのである。

国家が肉食を禁じた点は大きく、この精神は日本国民に深く浸透してゆくことになったのである。これは、同じ稲作文化である東南、東アジアにおいても非常に珍しい食文化といえる。

こうしてコメと魚介類中心の食文化が浸透した結果、魚介類の料理法が発達するようになった。史料の中の献立を見ても、多様な食材を、刺身やすし、魚の天ぷらといったありとあらゆる方法で調理されているのがみてとれる。室町期以降は、食材と組み合わせる香辛料の存在も無視できない。

しかも、どの食材に対しても同じ香辛料が用いられるのではなく、試行錯誤のすえの組み合わせの妙が活かされ、淡白な味になりがちな魚介類に辛味、苦味、香り、風味などを加えることで、飽きることなくあの手この手で工夫し食べようとしてきた背景が透けて見える。

日本ならではの香辛料の使い方

最も重要な点は、香辛料が「臭みなどを消す」ことを主な目的として用いられていない、ということであろう。肉食が中心であった場合は、生臭さを消すために香辛料が用いられることが多い。日本でも、川魚が料理される際には、「生臭さ」を消すために、さまざまな香辛料が用いられてきた。


しかしながら、香辛料の使い方としては、こうした「臭み」を消すという行為以上に、日本人はどちらかというと「食欲を刺激して食味を増すための香料や辛料」あるいは「暑中の暑を避け、寒中の寒を払う」という色合いが強かったと考えられる。

「素材を活かす料理法」を好む気質も、諸外国にない特徴だったといえるかもしれない。実にさまざまな料理を考案してきた日本ならではの料理法こそが、独自の香辛料の使い方を生んだと考えられるのである。

ワサビは、鮮やかな緑色という特徴も好まれ、日本料理によく合う食材として重宝されたと考えてよいだろう。さらに、江戸後期以降は、急速に普及した醤油との相性もよく、よりいっそう食文化として定着していったと考えられるのである。

さらに、19世紀の終わりに伊豆半島を中心とした大規模な栽培化がすすみ、江戸へ大量供給できるようになった点も大きい。こうしてワサビは江戸の食文化の成熟期とも重なり、香辛料としてのゆるぎない地位を確立していったのである。