■「改革開放が始まった」との声もあるが…

予想されたこととはいえ、ジャニーズ事務所の凋落が急である。

2月21日に会見を開き、ジャニーズ事務所を退所することを明らかにした中居正広に続いて、TOKIOの長瀬智也が3月いっぱいで退所すると発表したことで、ジャニーズ時代の終焉(しゅうえん)を強く印象付けた。

写真=ロイター/アフロ
ジャニーズ事務所=2019年7月10日 - 写真=ロイター/アフロ

稲垣吾郎らSMAPの3人が退所した2017年から事務所を離れた者は10人にものぼり、急増している。

一部には、TOKIOの残った3人が、事務所内事務所「TOKIO」を設立して、リーダーの城島茂が社長に就任したことで、ジャニーズ事務所の「改革開放」が始まったなどと評価する声もあるが、私はそうは思わない。

一応、彼らが自由に活動できる場を提供しましたと世間に見せるためだが、内実は、苦肉の引き留め策でしかない。

ボーカルだけではなく作曲家としても才能のある長瀬のいないTOKIOでは、これからバンド活動をすることもままなるまい。事務所側も、これまでのような稼ぎを見込めないが、今出て行かれるのはまずいと考えた「折衷案」がこれだったのだろう。

稼ぎ頭の「嵐」も今年いっぱいで活動を休止するが、第二の「嵐」は出てくる気配がない。

■流出を食い止めるため「報奨制度を創設する」

手をこまねいて見ているだけではまずいと思ったのか、副社長の滝沢秀明が、これ以上退社するタレントを出さないようにするために、「報奨制度を創設する」と東京スポーツ(7/25 11:30配信)が報じている。

「事務所に貢献したと判断したグループや個人を顕彰して、感謝の気持ちを表すとともに、個人には100万円、グループには1000万円の報奨金を授与する計画。タッキーらしいのは売り上げだけではなく、チームワークや事務所のイメージアップに尽力したタレントも対象になるようです。さらにMVP賞も作り、故ジャニー喜多川さんの名前が冠されるとも」(事情通)

もしこの話が本当だとしたら、イメージアップどころか大きなイメージダウンになるはずである。

いくつかの週刊誌報道によれば、「嵐」の櫻井翔は、自分の住んでいる高級マンションのほかに、母親たちが住むマンションを購入してやり、そのほかにもマンションを所有しているそうである。

櫻井を含めて、「嵐」のメンバーなら、年収も億を超えるだろう。そこまでいかなくても、そこそこの売れっ子なら1000万円程度のカネにつられて、退所を思いとどまるとは思えない。

かえって、事務所の苦しい懐具合を晒してしまったために、ここにいても将来はないと、見切りをつけるタレントが急増するのではないか。

■凋落は公取委の「注意」から始まった

栄枯盛衰は世の習いだが、帝国とまでいわれたジャニーズ事務所が、ジャニー喜多川社長が亡くなってわずか1年で、ここまで崩壊するとは、私も考えていなかった。

姉のメリー喜多川氏の衰え、彼女の娘で現社長の藤島ジュリー景子社長の力不足、抱えているタレントたちの高齢化と、こうなる材料はいくらでもあった。

だが、私は、公正取引委員会がジャニーズ事務所に対して、元SMAPの3人がテレビに出るのを妨害した、独占禁止法違反の疑いがあると「注意」したことが凋落へのトリガーになったと考えている。

これが出されたのは、喜多川社長の死からわずか一週間後であった。公取委側は、出すタイミングを計っていたに違いない。

公取委は、ジャニーズだけではなく、事務所を退所すると、自分の本名で活動できなくなっている「のん」のケースや、他の事務所へ移るのを阻止するために、その人間の悪評を流したりする事務所を念頭に、独禁法上で問題となる恐れのある行為の具体例を示している。

前近代的な慣習が色濃く残り、タレントを事務所の所有物のように扱う芸能事務所の体質を変えろと、大ナタを振るったのである。

返す刀で、公取委の山田昭典事務総長(当時)が記者会見で、お笑い王国といわれる吉本興業が所属芸人と契約書を交わしていなかったことを問題視し、慌てた吉本は、所属芸人全員と契約を結ばざるを得なくなった。

これは、ジャニーズ事務所や吉本興業だけではなく、多くの芸能プロダクションに大きな衝撃を与えたが、それまで大手事務所のいいなりになってきたテレビ局も、大きな方向転換を迫られたのである。

■“王国”が崩壊したナベプロを思い出す

かつて、私が週刊現代の編集者時代に、ジャニー喜多川社長の「性癖」について初めて触れた時、事務所側は「今後一切講談社の雑誌にうちのタレントは出さない」と通告してきた。

困った社は、私を他部署へ異動させることで事務所側と和解した。それと同じ手口を、テレビ局にも使って、何十年も支配してきたのだ。

ジャニーズの没落を見ていると、かつて王国といわれた渡辺プロダクションが、落ちて行った時のことを思い出す。

ハナ肇とクレージーキャッツ、ザ・ピーナッツ、中尾ミエ、伊東ゆかり、園まり、ザ・ドリフターズ、沢田研二、布施明、森進一、小柳ルミ子、天地真理、キャンディーズなど、綺羅星のごとくスターを抱えた通称“ナベプロ”は、タレントたちのマネジメントだけではなく、テレビの制作にも関わるようになる。

記憶に間違いがなければ、私が大学生だったときにナベプロは「大卒を採用する」と発表した。学生生活のほとんどをバーテン稼業に費やし、成績最低だった私は、就職に関心はなかったが、ザ・ピーナッツが好きだったから、彼女たちのマネージャーもいいなと考えたことがあった。

今は、大卒採用は当たり前なのだろうが、当時、芸能プロダクションが大卒を採るというので大きな話題になった。

強大な権力を持ったナベプロは、テレビ局を支配するようになる。待遇などに不満を持ち、ナベプロを離れていくタレントたちには、「あいつは使うな」とテレビ局に圧力をかけ、テレビに出させないようにしてしまう。

■横暴に腹を据えかねた日テレと対立

ノンフィクション作家の軍司貞則は『ナベプロ帝国の興亡』の中で、ナベプロは、時の権力者である佐藤栄作や中曾根康弘、財界の大物・五島昇など政財界人のところへ人気タレントを総動員して、勢力を広げていったという。

佐藤栄作首相(当時)の別荘でハナ肇に、「今日もお酒が飲めるのは、おとうさん(佐藤栄作)のおかげです。おとうさんありがとう!」と音頭をとり、クレージーキャッツや中尾ミエに唱和させ、佐藤の機嫌をとったことがあると記している。

だが、驕るナベプロは久しからず。ナベプロの横暴に腹を据えかねた一テレビ局の反逆で、王国は崩壊していくのである。

1971年から日本テレビが「スター誕生!」というオーディション番組を始め、次々にスターを生み出していた。初年度に森昌子、2年目に山口百恵がデビューし、堀威夫が立ち上げたホリプロに所属させた。桜田淳子もスタ誕の出身である。

これに対抗してナベプロはオーディション番組『スター・オン・ステージ あなたならOK!』を月曜日夜8時からNET(現テレビ朝日)で始めた。この時間帯は日本テレビの歌番組『NTV紅白歌のベストテン』と重複していたため、「裏番組には同じ事務所のタレントを出さない」という業界の不文律があり(今もいくらか残っている)、『歌のベストテン』から自社のタレントを引き上げてしまったのである。

■「うちのタレントがほしいなら放送日を替えりゃいい」

日本テレビ側は慌てて、ナベプロの渡辺晋社長に協力を求めたが、渡辺はこう嘯(うそぶ)いたのである。

「うちのタレントがほしいのなら、日本テレビの『歌のベストテン』が放送日を替えりゃいいじゃないか」

当時の日本テレビ制作局次長だった井原高忠が、この発言に激怒して、「ナベプロとの全面戦争」を敢行したのである。

井原はホリプロのほか、田辺エージェンシー、第一プロダクション、サンミュージックに対して、「渡辺プロのタレントは今後日本テレビに出演させない」と宣言し、「『スター誕生!』でデビューしたタレントは各社に渡す」と協力を求めたといわれる。

結果、ナベプロの番組は半年で打ち切りとなり、日テレが全面勝利したのである。かくして栄耀栄華を誇っていたナベプロは凋落していくのだ。

■公取委はジャニーズ商法を根底から揺るがした

マネジメントだけではなく、番組制作にも関わる。人気アイドルグループと抱き合わせで、これから売り出そうとするグループを出演させる。ちょっとでも反旗を翻すテレビ局には自社タレントを出さないと恫喝する。事務所を出て行った人間はテレビに出さないように圧力をかける。

ジャニーズ事務所は1962年に、渡辺プロダクションの系列会社として創業されたため、ナベプロ流のやり方が踏襲されていても不思議ではない。

歴史は繰り返すのである。発端はSMAP3人の退所だった。ジャニーズ事務所側がテレビ局に圧力をかけ、3人を出さないように求めたことは想像に難くない。

あっという間に、3人の姿はテレビから消えてしまった。「事務所を離れたらSMAPでさえも干される」。所属タレントたちは恐怖を植え付けられた。

しかし、公取委からの注意はジャニーズ商法を根底から揺るがしたのである。元SMAPの3人は、巨悪と戦ってきたヒーローとなり、今では、ジャニーズのタレントたちと共演するまでに“復活”した。

これを見て、関ジャニ∞の渋谷すばる、中居正広、NEWSの手越祐也、そしてTOKIOの長瀬智也が、晴れ晴れとした顔をして堂々と退所を宣言していったのである。

■ジュリー社長はこの非常事態をどう対処するのか

激震はジャニーズ事務所だけに留まらなかった。大物タレントたちが事務所を離れ、独立するケースが続発している。

“失敗しない女”の女優、米倉涼子(44)が3月でオスカープロモーションを退社し、これからは個人事務所を設立してやっていくと宣言した。

オスカー三人娘、女優の忽那汐里もオスカープロモーションを昨年12月で退社したし、剛力彩芽も恋人・前澤友作と個人事務所をつくり、独立すると噂されている。ハリウッドでも活躍した女優、栗山千明(35)もスペースクラフトから独立したことをツイッターで公表した。

「4月1日、公式サイトで所属事務所・スターダストプロモーションからの退社を発表した女優の柴咲コウ(38)。今後は、自身が代表取締役社長を務めるレトロワグラース株式会社(以下レ社)で女優業のマネジメントを行うという」(週刊文春4/16号)

加えて、こうした芸能プロダクションの多くは高齢化と、世襲の失敗で後継者が育たないという難題を抱えている。今もこの世界を牛耳っていて芸能界のドンといわれる周防郁雄も80歳近い。

かつて周防は私にこういった。「この世界は一代限り」、引き継ぐのは無理だというのである。ジャニーズ事務所を世襲したジュリー社長は、公取委問題でも、手越、長瀬の退所の時にも、表に出て自分の意見を語ってはいない。表に出たがらないのはジャニー喜多川社長も同じだったが、今の事務所には奥の院に籠っていられるほどの余裕はないはずだ。

こうした非常事態にどう対処するのか、彼女のleadershipとaccountability(説明責任)が求められている。

■因習を残すプロダクションに不満を抱くのは当然だ

反社会的勢力と密な関係を結び、自分の所のタレントを馬車馬のように働かせ、上前をはねていた時代の残滓をいまだに抱える芸能プロも多くあるようだ。

外からの情報に接する機会も多く、タレント自らがツイッターなどで発信できる時代に、古い因習を残したプロダクションに不満を抱き、独立しようとするのは当然である。2020年はジャニーズ事務所崩壊の年として記憶されるだろう。

ジャニー喜多川という“特異”な美意識をもった人間が、自分の感性だけを信じて発掘してきた少年たちが、ジャニーズ事務所を帝国に築き上げたのだ。その人間がいなくなれば、その特異な感性も消えてなくなる。万が一にも、第二のSMAPや嵐は出てこない。

元々少年たちだけのアイドルグループというコンセプトがここまで続いてきたことが“奇跡的”といえるのではないか。

ジャニーズ事務所のビジネスモデルが時代に合わなくなってきたこともある。いまだにイベントなどでの所属事務所タレントの写真、動画は使用不可である。ネット時代に逆行するルールだといわれて久しい。

たしかに6月に6日間開催された「Johnny’s World Happy LIVE with YOU」は有料オンラインコンサートとして行われ、成功を収めたそうだ。各日のコンサート視聴権は、ジャニーズファミリークラブの会員が2500円、一般が3000円だったという。16日に嵐とKing&Princeが出演した時は100万人以上のファンが視聴したといわれる。6日間で100億円以上を稼いだともいわれているようだ。

会場費も設営費も警備員代もいらないから丸儲けではある。グッズも通販で相当売れたという。

コロナ感染拡大ということもあり、苦肉の策ではあったのだろうが、結果オーライということだろう。

■「嵐」もいなくなったジャニーズは生き残れるのか

年末にはさらなる大イベントが控えている。

「嵐」のさよならコンサートである。このままコロナ禍が去らなければ、今回同様、オンラインでやれば、500万人が視聴する世界最大のネットイベントになるかもしれない。

凋落という評価を覆すことができるかもしれないと考える向きもあるかもしれないが、それは違う。SMAPに続き「嵐」という超優良コンテンツが来年からはなくなるのである。屋台骨を支える売れ筋がなくなれば、東芝、シャープ、日産を見れば分かるように、その後は悲惨である。

ジャニーズ事務所の前途は暗澹たるものと考えざるを得ない。

元々、いくら若作りしても、四十代後半、三十代後半の中年男を“アイドル”と見せかける商法には限界があった。

SMAPの5人はあと数年で50代である。そろそろテレビの「懐メロ」特番に出てきてもおかしくない年齢になる。

今から私は楽しみにしている。NHKの懐メロ特番で「世界に一つだけの花」を、恩讐を超えて、SMAP全員で歌う姿が見られる日を。(文中敬称略)

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元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『a href="https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4198630283/presidentjp-22" target="_blank">編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、近著に『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。
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(ジャーナリスト 元木 昌彦)