石塚 しのぶ / ダイナ・サーチ、インク

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全米中のありとあらゆる会社が防護用品の製造に参入している。ニュージャージー州を本拠とするベッド用品の製造会社エクリプス・インターナショナル(Eclipse International)やオハイオ州の女性用衛生用品の製造会社アント・フロー(Aunt Flow)などがその良い例だ。前者はマットレスの、そして後者は生理用ナプキンの製造に用いられる原材料と製造ラインを活用しマスクの製造に乗り出した。

イギリスの大手掃除機メーカー、ダイソン(Dyson)は、企画からわずか10日間で人工呼吸器の製造を開始した。ピッツバーグを本拠とする二酸化炭素抽出技術会社サー・プロセス(Thar Process)は、現在、ハンド・サニタイザーの製造に注力している。

世界中の企業が、実に素早くコロナ・ウイルスとの戦いに参戦している。これは称賛されるべきことではあるが、多少不思議なことでもある。

危機的状況にこれだけのスピードで対応できる企業が、平常時のイノベーションに関しては実に腰が重いのはいったいなぜだろう。

これらの企業で、普段、イノベーションの妨げになっているのは、1)短期リターンを求める投資家たち、2)利益確保に偏ったフォーカスを置きがちな財務担当者たち、3)官僚主義とサイロ型組織だが、非常時にはこれらの障壁が取り除かれることが理由らしい。

自動車メーカーのフォード(Ford)の例を見てみよう。フォードはここ数年、「事業刷新」を経営テーマに掲げてきたが、新製品開発のスピードの緩慢さと株価の低迷に悩まされてきた。

2020年3月、世界的なコロナ・クライシスの影響で自動車売上はほぼゼロにまで落ち込んだが、その苦境のさなかにも、フォード社はある偉業を成し遂げた。

わずか2週間半のうちに、フォードは医療用フェイス・シールド約240万個の製造を完遂したのである。世界中のサプライ・チェーンが混乱に陥る中、資材を調達し、製造し、週末をかけて全米の医療施設に完成品を供給したのだ。

電気自動車の製造ではイーロン・マスクのテスラ(Tesla)に先を越され、過去15年低迷状態を続けてきた会社とは思えない、極めて敏速な遂行だった。

コロナ・クライシスの非常時に、緊急にフェイス・シールドやその他の防護用品を製造し、全米中の医療施設に供給するというこのプロジェクトは、フォード社内では「プロジェクト・アポロ」と呼ばれる。

「プロジェクト・アポロ」は、デトロイトのサテライト・オフィスを本拠として運営されている。フォード本社自体は政府の指導により休業しているが、「プロジェクト・アポロ」の担当者のみが任意で働いているのだという。そして約300人の工場作業員が週7日間、休みなくデトロイト郊外の製造所を稼働させている。

発端は2020年3月19日(木)、メイヨー・クリニック(Mayo Clinic)からの問い合わせの電話だった。防護用品が不足している、どうにかならないか、という内容だった。その日の午後、数人のデザイナーとプロトタイパー(プロトタイプ製作の専門技術者)が集まり、プロジェクト・アポロが発足した。

翌3月20日(金)には地元デトロイトの医療関係者の協力を得てデザインの検討が始まった。そして3月21日(土)、ウィスコンシン大学開発のオープン・ソース・デザインの起用が決定、資材の調達先が決まり、製造所が確保され、プロトタイプの作製がスタートした。

3月22日(日)、フォーム、プラスチック、ゴムなどの資材が製造所に納品され、医療関係者による試用が開始。3月23日(月)、フォードの法務と米食品医薬品局の認可を受け、3月24日(火)には完成品が全米各地の医療施設へ配達され始めたのである。

この偉業の影には、フォードという会社組織内外の部門部署や役職の垣根を超えたコラボレーションがあった。会社役員自らが夜遅く製造機器を製造所に搬送したり、製造現場のプロが自らのテクニックやデザイン改良のアイデアを伝授したり、そして、自ら手を上げ製造所に出頭した300人の組合作業員の協力があったのだ。

こんなことは、シリコンバレーのテクノロジー企業では日常茶飯事に行われている、という人がいるかもしれない。また、フェイス・シールドは比較的単純な製品で、何百もの部品を必要とする自動車の製造とは比べ物にならない、という人もいるかもしれない。

だが、フォードが自動車業界の未来を背負うメーカーとして生き残るには、このレベルのスピード感が必要だ。それには、会社組織内のサイロを取り除くことと、イノベーションに関して、経営陣や投資家の理解や、サプライ・チェーン・パートナーの協力を得ることが必要なのだ。

危機的状況下から学ぶ教訓が、平常時のビジネスに活かされることが必要だということである。そしてここでは、フォードという大企業の事例を取り上げたが、同じようなことは、業界や業種を問わず、小・中堅規模企業についても言える。非常時を生き残り、平常時に大きく飛躍するイノベーションをコンスタントに遂行していくためには、1)長期的視野と、2)部門・部署、社内外の垣根を超えたコラボレーション、そして、3)全ステークホルダーによるビジョンの共有が必要なのである。