タクシーからの風景。写真はイメージ(写真:nagamasa / PIXTA)

新型コロナウイルスの感染拡大で影響を最も受けている業種の1つであるタクシー。3月15日配信の記事「コロナショックでタクシー運転手が上げる悲鳴」では外出自粛などで売り上げが激減しているタクシードライバーの声を取り上げた。日に日にコロナショックの影響は深刻化しており、東京都のタクシー会社ロイヤルリムジンは全社員約600人を解雇し営業の一時停止に追い込まれている。

町の活気を示す1つの指標でもあるタクシードライバーたち。この職を選んだ彼らは、どんな生活を経て流れ着いたのか。1人ひとりの人生を深掘りしながら考えてみたい。今回は人形町を拠点にする個人タクシードライバー(70歳男性)だ。

18年間続ける彼が語ったこと

コロナの影響が現在ほど深刻ではなかった2月、時計の針は深夜1時を回ろうとしていた。場所は東京都中央区の人形町。江戸時代から残る伝統工芸、老舗の料理屋などが残る下町でありながら、小粋な割烹やイタリアン、居酒屋が点在している。日本橋や丸の内からも近いこの町は煌びやかすぎず、かといって粗雑でもない。仕立ての良いスーツを着たサラリーマンや上品なOLたちが目立つ。


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大通りまで歩き、タクシーの列を探す。5台ほど並んだタクシーの先頭で待つ白い車体の個人タクシーに乗り込んだ。目的地を告げると、御年70歳という海野さん(仮名)はゆっくりと車を走らせ始めた。

海野さん:私が、タクシードライバーになったのは52歳のときでした。会社で10年、個人タクシーで8年。ドライバーとしては18年のキャリアです。この仕事に就く前は、建築関係の仕事をしていてね。耐震補強工事が担当で、全国の高速道路や地下鉄を担当していました。お兄ちゃんが普段使っている地下鉄も、俺が関わったものがあるはずだよ。

阪神・淡路大震災の前くらいまでは、会社の業績も良くて、給料も40万円以上だったね。残業手当や休日出勤などもついて、結構な高給取りだった。ただ、それ以降はてんでダメになっちゃって。ある日、上司から呼ばれて、「仕事がなくて給料が払えないけど我慢してほしい」と言われて。自分もマンションのローンがあるから、それなら辞めますと。

実は、若い頃にタクシーの仕事をしていてね。まだ初乗りが280円の時代だったかな。当時はタクシーも需要があって稼げたから。多いときは、だいたい1日30組は乗せていたかな。それなら腹くくって、タクシードライバーとしてやっていこうと決意したんだ。

――個人タクシーの許可が与えられるのは、原則会社に所属して10年間無事故無違反という厳しいハードルを越える必要がある。元来マジメな性格と話す海野さんは、最短で個人タクシーのドライバーになった。当初は六本木や新宿、渋谷などの繁華街を拠点としたが、現在根を張るのが人形町。この町が持つ独特の魅力に惹かれているのだという。

海野さん:この仕事をし始めてから嫌いになった町が、繁華街の六本木と新宿。この前、人形町から六本木まで届けた後に乗ってきたお客さんが千葉の市川まで行ってくれと。その道中に、道が違う、急げと恫喝されて僕もビビってしまって。

「お客さん頼むからあんまり言わないで。ビビって手が震えて運転できなくなるし、事故しちゃうから勘弁してよ」と懇願しましたよ。

あとは繁華街だと男女の情事がタクシー内で行われることも珍しくない。基本は見て見ぬ振りをするしかないのよ。最初は「お客さん、ドライブレコーダーに映っていますよ」ということが多い。それでも聞かない人には、「ホテルでも行きな、ここはタクシーだよ」と注意する。誰だって本当はそんなことは言いたくないよ。繁華街を私が意図的に避けるようになったのはそういう理由からです。

人形町は、すごく乗車マナーが良い。東京でも有数だと思う。だから人形町というのもあるし、もともとタクシーチケットが多かったエリアだったという計算もある。この街は大きい企業のサラリーマンが割と少人数で飲む街だから。財閥系の商社や不動産関係の人が占める割合が高いかな。埼玉や千葉、神奈川など県外まで長距離で帰る人も少なくない。

オリンピックがあっても何も変わらない

もう1つは、この街で乗せるお客さんはほとんど中国人がいない。差別する意図はまったくないけれど、彼らはコロナの騒ぎでも1月2月までマスクをしていない人が多かったし、言葉も通じないからこっちも怖くて。

もちろん、訪日観光客を乗せないと仕事は年々悪くなっていて、ドライバーを始めてから今年がいちばん悪い。2017年ごろまではまだ良かったね。今年は、東京五輪が近づいて盛り上がっていたけれど、私たちの仕事や、庶民の生活は正直なところ何も変わらないのは間違いないから。

――夜の7時から、朝の5時までが海野さんの勤務時間だ。個人タクシーの運転手になってからきっちり週5日、規則正しくリズムを崩すことなく働くスタイルを8年間続けてきた。時には暴言を浴び、酔っ払いに絡まれることなどは日常茶飯事。それでも、ドライバーの仕事に誇りを持ち、この仕事を選んだことに後悔はないと胸を張る。

海野さん:だいたいの人は、マナーも良くてお酒を飲んでいるから寝ちゃう人が多いね。

ただ一部のお客様からは、“たかがタクシードライバーのくせに”みたいな態度も受ける。結構多いのが「前はこの料金で行けたから、ここまでこの値段で行ってくれ」と無茶苦茶に安い金額を要求されること。そんな金額なら僕ら食べていけませんよ、と伝えると、逆ギレして「ドライバー風情が俺に口答えするな!」と言われたこともありますから。そういうふうに、私たちを見下す人も少なくない。そういうときは、みんな仕事でストレスが溜まっているのだなと、グッと堪えます。

1日でだいたい8〜15人くらい乗せて月の売り上げは平均して70万円程度。そこからガソリン代や保険、組合費などが引かれて手元に残るのは30万を切ってしまう。1日で7万売り上げる日もあれば、1万を切る日もある。決して稼げる仕事ではないし、安定からもほど遠い。努力や頑張りがなかなか売り上げに繋がらないし、結局はほとんどが運。頼れるのは自分の感覚だけ。

頑張ったからって良いお客を選べないし、客引きもできないから、待ちの仕事です。会社に所属している時は、頑張っても給料が20万だった。辞めようと考えたこともありますよ。個タクになってからは、収入は良くなったけど結局は肉体労働だから。

些細なことでも僕にとっては幸せなこと

それでも、タクシードライバーになって良かったと思うこともたくさんある。私ね、50過ぎるまでは独り身でね。出張も多く生活も不規則で女性にからきし縁がなかった。それがこの仕事になってから、女房が出来た。仕事終えて朝6時に帰宅するとカミサンが朝飯作って待っているわけ。それで一緒に朝の情報番組を見ながら飯を食べて、仕事にいくカミサンを見送っています。世間から見れば些細なことでしょうが、僕にとってはいちばんの幸せですよ。

お客さんの中には僕のことを気に入ってくれて、配車を毎回頼んでくれる人もいます。ある日、なぜ私のタクシーを、と聞いたことがありました。すると、「海野さんの気遣いや何気ない会話が心地いいんです」と言われた時は、この仕事をしていて良かったと思いました。個タクは75歳が定年。家族もいるので、あと4年は勤めるつもりです。辞めた後のことは考えてないね、そんな先のことは何も考える余裕もないですよ。

――海野さんの故郷は茨城県。成人してからは仕事で全国を飛び回ったが、節目のたびに、太平洋に面する海辺の町へ残る家族へと思いを馳せた。深い愛着を持つが故郷に対する考え方も、歳を重ねるにつれ変わってきたという。故郷へ帰りたいと思うことはないのか? そう問いかけると、海野さんは首を横に振る。

海野さん:茨城県でタクシーの仕事をやる選択肢?それは考えたこともないね。そもそも茨城県は個タクがない。茨城は山梨県、鳥取県、島根県と並んで、全国に4つしかない個タクがない県だから。今さら会社勤めする気力も体力もないしね。

茨城でドライバーをやっている奴がいて、聞くと1カ月間フルで働いてもせいぜい15、6万くらいしか給料貰えないみたい。ドライバーの給料というのは会社勤めの場合は全部歩合制で、売り上げのだいたい6割くらいですよ。東京と違って、そもそも利用者がいないからね。

正直、東京も住みにくい町だし決して好きじゃない。でも、入ってくるお金が全然違う。親父が亡くなってからは草刈りやったり、お墓参りで地元には帰ったりはしている。カミさんと一緒にね。たまに帰るとホッとするけど、私はもう田舎はいらないよ。生まれ育った町だし、愛着もある。

当然好きだよ……。好きだけど、もう誰も会いたい人はいなくなったしね、銭を産まない田舎なんかいらない。金がないとね、結局死に場所も選べず故郷に戻ることもできないというのが現実。もし故郷を捨てられるなら捨ててしまいたいね。

人の温度がある仕事はどうなってしまうのか

――30分ほど乗車しただろうか。自宅に到着し、料金メーターを確認すると6000円を超えていた。心なしか、海野さんの表情は少し晴れたように映る。

海野さん:結局、この4000円〜6000円くらいの距離が私たちの仕事的には効率が良いんだ。この仕事が自分に合っているか、仕事を選んで後悔がないか、ですか? それはもうタクシードライバーが自分に合っている天職だと思うしかないよね。私ね、お客様を待っている間に聴くラジオや、自分で好きな音楽をかけて車中で聴く時間が好きで。特に中島みゆきとユーミンが好きで、深夜に車を走らせながら中島みゆきの曲を聞くと泣いちゃうんですよ。何ていうかね、人間の温度のようなものを感じてね。

タクシードライバーも本来ならそういう人の温度がある仕事だと思うし、そういう所にやりがいを見出していたんですがね……。もう今はそういう時代じゃないのか、寂しい限りです。

――料金を支払い終えて下車する寸前、海野さんは小音だった音楽のボリュームを上げた。