ワニの涙:ウォークスvsチャヴス/純丘曜彰 教授博士
タイミングがどうこうではなく、問題の背景には、日本の、というより世界全体の経済文化的マーケティング・セグメントの大きな変化がある。
現代のマーケティングは、生活文化水準(学力ではない)65以上のE層、64〜51のW層(ウォークス、Wokes)、そして、49以下の、もっともボリュームのあるC層(チャヴス、Chavs)に分かれる。そして、近年の地上派テレビや新聞雑誌・書籍などの印刷媒体は、このC層に向けられて作られている。これに対して、W層は、自分たちがマーケットから切り捨てられたと怒ったわけだが、もとより広告代理店のターゲットなどではなかったことを喜ぶべきなのではないか。
戦後、マーケティングと言えば、もっともカサの大きい中産層、生活文化水準の偏差値60〜45あたりのボリュームゾーンを主軸としてきた。年々、定期昇給と年功昇格のある安定職業があり、学校の勉強についていける子供たちを抱えて、家なりマンションなり、ローンで自宅を買える、余裕と向上のある家庭だ。しかし、現代は、この中産層が上下に分裂し、かろうじて既存体制にぶら下がっている55以上の家庭持ちのW層と、49以下で将来性を失って個人に分断された流動的なC層だ。
このW層の分断の兆しは、すでにバブル期に現れつつあった。シンボリックに言えば、私立高組と都立高組、ユーミン派とサザン派。生活水準60以上のE層に憧れ、そのまねごとをしようと背伸びする層と、そこまでがんばれないが、人並み以下にもなりたくないという層。どちらも結局、受験勉強や出世競争に巻き込まれ、日経新聞や朝日新聞、『アンアン』『ホッドドッグプレス』のような都会派雑誌を熱心に読んで、人にバカにされないように虚勢を張っていた。
これが、バブル崩壊後、明確に分断。『Begin』や『モノマガジン』『BE-PAL』、『JJ』、『メンズノンノ』のような前向きリア充系と、『宝島』のようなストリート反体制系に。しかし、前者は、さらにいち早くネットや海外旅行に繰り出して、みずからメディアより先を知るようになり、多様性のある八ヶ岳型クラスタになってしまった。このため、凡庸な大量複製の掛け算商売を事とするマスメディアや広告代理店は、後者、いわゆる「情弱」をマーケットとせざるを得なくなった。
くわえて、バブル後の氷河期で、E層がさらに遠のく一方、W層の足切りがあった。大学を出れば就職ができる、親と同じ程度の生活水準を得られる、というW層は、もはや生活水準55くらいまでで、それ以下は社会階層としての再生産も逆転も不可能となり、非正規未婚に甘んじざるをえなくなった。この層が、ロワークラスと合流して、いたずらに時間を消費するだけのサブカルC層を形成し、主流のW層を「意識高い系」などと揶揄するような強いルサンチマンを抱くようになった。一方、W層の方も、脱落C層を、自己責任の「負け組」と侮蔑するが、それはいつC層に転落するかわからない恐怖心の表れでもある。
ところで、企業や老舗は、バブル期以降、安定した戦後の第二世代、第三世代となって、世襲私物化が進み、これに応じて、マスメディアや広告代理店も「人質採用」、つまり、世襲の子弟子女を縁故で正社員に囲い込む。彼らはE層の、それも私立高組ではあるもの、その多くは、E層に追随しようする向上心の強いまともなW層からは相手にされず、むしろ外部の反体制的、反社会的なC層とつながっている。碌な友人のいない(変な友人ばかりいる)某世襲政治家や、その奥方などが典型だろう。
ややこしいことに、2000年代になると、C層の中で、W層はもちろんE層をも突き抜ける経済的な成功者、「セレブ」が少なからず登場する。彼らは、ルサンチマンに凝り固まった声なきC層の代弁者であり、前世紀的なマスビジネスで(C層の中での)絶大な「人気」を誇る。スポーツ選手や芸人、マンガ家やラノベ作家、ラーメン店主、Youtuberなどがそれだ。
しかし、C層は、もとよりトラッドな文化レガシーを持たない。なので、W層の憧れるE層の文化は、まったく理解できない。彼らには寺社仏閣、歴史遺産も、「意味」がわからないので、ボロにしか見えない。それゆえ、これに代替するゼロからでも入り込める偽の神話体型(SWやMU、DBやOPのようなもの)に心酔し、そのフィギュア(神仏像)やグッズ(御札、お守り)を買い集める。アイドルは生き神様で、キャラクターやブランドは、レリキエ並みのパワーアイテム。逆に言うと、W層からすれば、なんでそんなガラクタを、と思うかも知れないが、それらは言わばレヴィ=ストロースの「パンセ・ソヴァージュ」であり、文化レガジーと等価なのかもしれない。
なんとか正社員の家族持ちの身分に踏みとどまっているW層は、Lineのような、リアルで広範な人脈を保っている。一方、C層は、全体の総数は多いものの、それぞれの人間関係の射程が極端に短い。その狭さを補うために、Twitterの「拡散希望」にすぐに乗せられ、見ず知らずのだれだかわからないやつのつぶやきを無思慮無分別にRTしたがる。
広告代理店は、そこにつけこみ、大量生産の偽個人アカウント「ノマド女子」などとしてプラットホームを機械的に作り、広告枠を人質に取っている地上派テレビや出版社・新聞社・週刊誌で「ナウでホットな話題」として採り上げさせ、偽の宗教的「一体感」でC層を誑かし、みずから進んでお布施を払うようにしむける。しかし、真実は、そのつぶやきや話題の向こうに本物の人間は誰もいない。ぜんぶ虚構だ。それも、一ヶ月もしないうちに、消えて無くなり、ゴミになる。C層は、彼らによって、より個人に分断され、より文化的に貧しくなっていく。
正直、むしろみごとだと思った。作者の素性や品性はもちろん、登場人物たちのキャラクター付けから生活行動、あちこちの陳腐なクリシエ・エピソードの寄せ集め、そして最後のシーンまで、きっちりC層(チャヴス)の生き写しで、その共感を得るようにターゲットオンされている。ここまで安っぽいキッチュをよく集めて煮詰めたものだと思う。W層が騒がなければ、それなりにうまくC層に騙し売りおおせたのではないか。
だが、W層がC層に、それはゴミだ、と、真実を言ってもムダだ。それどころか、激烈に逆ギレする。彼らの人生は、そのゴミくらいしか、絶望を一時的にもごまかす方法が無いからだ。まともに価値のあるものを手に入れるチャンスからして、彼らには閉ざされている。宝くじを買うヤツに、当たらないよ、と言うのと同じ。マトリックスとして、生かさぬよう、殺さぬよう、死なぬよう、騒がぬよう、労働力の働き蜂として偽の夢だけ見せておくのが、当座の社会の安寧のために最善なのかもしれない。
とはいえ、大量生産大量消費社会の終わりとともに、C層は、さらに下に落ちていく。それも、日々、搾り取られるのに慣れきっていて、彼らには財産にはもちろん、健康にも、余裕がまったく無い。それゆえ、スラム化、ホームレス化の直前にある。くわえて、彼らは、もともと狭い関係しか持っていないので、「社会性」というような高度な抽象概念を理解できない個人主義(身勝手主義)であり、その行動は疫病の流行蔓延の元凶ともなりかねない。
だから、疫病や災害とともに、この国は、植民地化で荒らされたアフリカのようになりかねない。ほっておけば、やつらはいずれ奪い合いの内戦を始め、W層やE層も、さらには周辺諸国をも巻き込む。国が富み、皆が幸せになるためには、まともな自律した教育が必要だ。しかし、C層自身には、その意味すらわかるまい。それどころか、マスメディアや広告代理店、諸外国から目先の損得で提供される毒入りの甘い菓子の方を好み、おおいに反発をするだろう。だから、せめてまず、ウソで固めた毒まんじゅうを法的に規制することが必要なのではないか。