純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

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シロウト考えだと、こういう状況でも、なんとか細々とでもやらないと、と思うかもしれないが、経営学的には、それは悪手。なぜなら、半端に縮小してやっても、絶対に損益分岐点を超えられず、かえって赤字を増やすだけだから。

たとえば、野球。観客が入っても、入らなくても、一日、球場を稼働させるだけで、人件費から空調、照明まで、莫大な費用がかかる。この負担は、半端な数の観客の入場料ていどでは賄えない。つまり、開催すれば、開催しないよりも、絶対的に赤字を累積させていくことがわかりきっている。

中小の飲食店なども同様。いくら仕込みを少なくしても、店を開けておくだけで、けっこうな人件費や光熱費がかかる。どうせもう儲かる見込みが立たないのなら、いっそ早々に閉店してしまった方が、まだ損失が少ない。

現代の経営は、社会の安定を外部不経済で無担保に前提とし、固定費を豪華に拡大しすぎた。設備が巨大すぎて、野球場や遊園地、ショッピングセンターなど、縮小経営しようにも、開けるだけで莫大な費用が必要だ。そして、この巨大な設備を稼働させるために、接客から管理まで、あちこちに大量の人員を配置しなければならず、客が減っても、営業側の人件費を減らすことができない。

とくにセレブと化した選手や役者などのギャラは異常で、先決めのせいで、もっともタチの悪い固定費となっており、経営側は、引くも、進むも、まったく身動きがとれない。本来ならば、実際の客の入りに応じた配分取り決めにしておいて、結果として観客動員が悪いなら悪いなりに、ギャラも少なくなるような変動費にしておくべきだった。

河原にムシロの安直な小屋がけで、景気と人気に応じて大きくも小さくもできる、ギャラは実際に客が入ってからの山分け、というのが、本来の安定興行の基本。設備も人件費も固定化せず、状況が悪ければ一時的に別の兼業商売に切り替えさえする。飲食も、物販も、固定地代を取られるテナントなどにならず、屋台で、営業時間も、メニューや商品の品数も、その日の天気次第で、仕入れから調整できてこそ、本当の水商売。

とにかく、赤字を出さない。赤字が出そうなら、前もって、設備などの固定費の方を切り詰め下げて、なんとしても損益分岐点を超える、というところにこそ、興行経営、飲食物販経営のキモがあった。にもかかわらず、出演者も、料理人も、販売人も、その流動性の基本を忘れ、収入が保証されたサラリーマンのように硬直した精神しか持たなくなってしまった。

やりたければ、まずギャラ保証を止めろ。上に寄生しているロートル連中を減らし、自分たち自身でリスクを負え。設備なしの屋外広場で、フラッシュモブのように、短時間の一幕もの、一曲のみで。試合なども、最小人数一回戦のみの真剣勝負。あとは総出で、ファンへのグッズ販売や写真撮影。実入りは、集まった顧客の収入に応じた投げ銭を関係者全員で山分け。移動は、自転車でもなんでも、各自でどうにかしろ。飲食や物販も、屋台を担いで、季節や天気しだいで、もっとも客のいそうなところへ、どこにでも出向く。ようするに、セレブ気分を捨て去って、地方プロレス、地下アイドルなんかと同類であった原点を思い出せ。

巨大化しすぎた豪華なチームや劇団、店舗の維持や設備などの固定費を思い切って下げないことには、手も足も出ず、沈没していく。このままなら、半端なことをやるより、停止撤退の方が、経営としては合理的だ。いままでどおりというような、わがままだけを言い続けても、儲けが出る見込みの立たない、それどころか絶対的に赤字確実な興行や経営を手がけてくれる者などいない。