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Netflixの日本オリジナル作品であるドラマ「全裸監督」の成功が、世界で注目されている。辛口評価で知られる米国のレヴューサイト「Rotten Tomatoes」では、98パーセントという高評価を得たほどだ。ユーザーの評価に目を向けると、「これは日本版『ブレイキング・バッド』だ」「シーズン1すべてのエピソードを一気見した」など、好意的なコメントが並んでいる。

さらに海外のメディアでも、Netflixによる多言語シリーズの成功例のひとつとして報じられている。CNBCの報道によると、「全裸監督」は日本のみならずアジア全域でも成功を収めていると、ネットフリックスは説明しているという。

ネットフリックスによると、世界全体の有料会員数は2019年12月時点で1億6,709万人に上る。9月末時点よりも約876万人増え、そのうち米国では42万人ほどの伸びにとどまったが、米国外で833万人も増えたことが大きく牽引した。これにより米国外の有料会員数は1億人を超え、計1億605万人に達した。それだけに、ネットフリックスの戦略において多言語シリーズの成功には、極めて大きな意味がある。

こうしたなか、なぜ「全裸監督」は世界的にヒットしたのだろうか。そして国境を越えて支持される作品の条件とは、いったいどのようなものなのか──。「全裸監督」の総監督を務めた武正晴へのインタヴューから探っていきたい。

全裸監督」を撮影中の武正晴(写真左)。右はAV女優を演じた森田望智。PHOTOGRAPH BY NETFLIX

作品づくりの「普通」を取り戻せ

Netflixオリジナルシリーズといえば、ハリウッド映画1本並みの予算がかけられたクオリティの高さが売りのひとつでもある。「全裸監督」もその例外ではない。総監督を務めた武も、「予算でしょうね。すべての大きな違いは」と断言する。

しかし、クリエイティヴに予算をかけていたこと自体には驚きがなかったという。なぜなら、それはコンテンツ制作において「普通」であるべきことだったからだ。

Netflixでは、作品をプランニングする段階から十分な予算が組まれています。30年くらい前は日本の映画づくりも、それが“普通”でした。ところが、ここ20年くらいは予算的に厳しい状況が続き、『普通じゃない』と感じることも多くなってきた。だから、久しぶりに“普通”に仕事ができた。ストレスなくできたというのが、いちばんの感想です」

武が指摘する「ストレスを感じる日本の作品づくり」とは、いったい何なのか。「日本の場合は、『〇〇をやめてください』『〇〇をしないでください』『〇〇はお金がかかるからできない』の発想でつくる傾向が強い。こういった環境が、楽しく作品をつくることを忘れさせてしまっている。要は毒されているんですよね」と、武は言う。

コンテンツ制作の現場が直面する危機

つまり、コンテンツづくりに当たり前の「手間と暇をかける」ことを、合理的に“省いて”しまったというのだ。「日本では、お金をかけずに作品をつくり出す方法論を見つけてしまったとも言えます。やろうと思ったら、クオリティの低いものでも(視聴者に)届けることができる。でも、そんな作品でお客からお金をとろうとする発想は、詐欺商法に近いですよ」

コンテンツ制作においては、シナリオづくりから撮影、ポスプロ作業、宣伝といった一つひとつの工程に予算をかけていく必要がある。それらを省いてしまうと、「作品のクオリティに影響し、つくり手も育たない」という悪循環に陥りかねない。

武があらわにする危機感の根底には、コンテンツ制作の現場が直面している人材不足もある。特にいま日本の映像業界においては、若手の人材がいないことが大きな問題となっている。

「いまは日本の映像業界そのものに魅力を感じてもらっていない。だから若い人がこの業界に入ってこなくなっている。期待されていないからでしょうね。配信の時代がこれからというタイミングで、10〜20年後につくり手がいなくなってしまっては元も子もない。歯止めをかけないと、才能が枯渇していく状況に陥る可能性さえあります」

世界で共感を呼ぶテーマ設定

こうした日本の映像産業ならではの構造的な問題から抜け出せたことで、「面白さ」という普遍的な要素の底上げにつながった。さらに、日本のみならず世界中で共感を呼ぶテーマ設定だったことも、「全裸監督」がヒットした理由として挙げられるだろう。

全裸監督」は、実在するAV監督・村西とおるの半生を描いたヒューマンストーリーであると同時に、ビジネスドラマの要素も備えている。いま再び脚光を浴びている1980年代という時代性を捉えてもいる。そして、のちに有名AV女優となる登場人物・恵美の存在を通じて、「女性の自由と自立」について語りかける作品でもある。

いずれも日本だけでなく、世界共通で共感を呼ぶテーマと言っていい。これらの要素が積み重なったことで、Netflixという世界的なプラットフォームで支持されたのではないかと、武は考えている。

「ストリーミングでは、視聴者は日本と海外の映画を区別せずに楽しむことができます。だからこそ、そもそも『日本の作品』といった区別をすること自体がナンセンスだと思う。作品はあくまでも作品として面白いと思うものを評価していく。そんな世界がNetflixにはつくられていると思うんです」

「ユーザーが選ぶ時代」ならではの作品

世界190カ国に作品を同時展開できることがNetflixの強みのひとつであり、ハリウッドの超大作から低予算のローカル作品まで、ほとんど同じ条件で世界中の視聴者の目に触れることになる。極端な話をすれば、約1億6,700万人いる世界中のNetflixユーザーが、ひとつの作品を同時視聴することさえありうる。

こうしたなか、コンテンツは「ユーザーが選ぶ時代」に変わってきている。もはや「日本の作品」であることを意識する必要もない。そんな思いを、武は抱いている。

「かつて作品を“発見”してもらえる場所は、映画祭に限られていました。ところが、いまでは(世界に向けて発信できるチャネルが増えたことで)一般のお客さんに“発見”してもらう機会が増えた。そう思うと、下手なものはつくれませんよね。評論家や審査員よりも、一般のお客さんのほうがしっかり観てくれますから、いちばん怖い存在です」

だからこそ、ことさら「日本」を意識せずに、作品づくりの探求という原点に回帰したことが意味をもってくる。一見すると極めて日本的なコンテンツに見える「全裸監督」ではあるが、世界的なヒットになることが“必然”であったことが、武の言葉からは浮き彫りになってくる。

ネットフリックスが20年にリリースする多言語シリーズ作品の数は、130本以上になる計画だ。「全裸監督」をヒットさせた知見によって、日本発のNetflixオリジナル作品のさらなるヒットが期待される。

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