働き方改革にはCPO[最高“哲学”責任者]が必要/村山 昇
◆外からの「働き方」改革・内からの「働き観」改革
仕事柄、昨今のいわゆる「働き方改革」、そして「人手不足時代の人材獲得」について企業の人事担当者・経営者と話し合う機会がよくあります。そこで私が提示する観点の一つが「CPO」です。
ここでいうCPOの「P」は「Philosophy」や「Purpose」を表します。すなわちCPOとは、「最高“哲学”責任者」「最高“目的”責任者」です。
いま進んでいる働き方改革は、おおかた、外的・物的な対症療法に終始していて、少なからずの人がなんだかなあという思いでながめているのではないでしょうか。もちろん外側からの強制的な施策によって中身が変わっていくことがありますし、多少の効果は出ているように思われるので決して無駄なことでありません。
しかし、外からだけの働き方改革はこのままいけば、単なる「残業減らし」という矮小化した取り組みで終息してしまいかねません。働き方改革は、根本的・最終的には「働き観」改革であらねばならず、残念ながらその次元での取り組みはおざなりになっています。
働き観とは、働くことのあり方を根底でどうとらえるかという哲学です。そこには仕事観、キャリア観、事業観、会社観、人材観、目的観、価値観などいろいろなものを含みますが、一人一人の観を醸成し、変えていくためには、外的・物的な仕掛け主導ではなく、内的・精神的な仕掛けが主導にならなければなりません。
ですから、働き観改革というのは政府が号令をかけて一律な方法でやるものではなく、各々の組織が、個人が自律的にやるのが本来の姿です。
そのために、組織内に働くことの意味や目的を語り、一人一人の従業員に内発的動機の刺激をし、それを組織文化にまで醸成できる人間が必要になります。それを私は「Chief Philosophy Officer」とか「Chief Purpose Officer」と呼びたいのです。ちなみに、ここでいう「哲学」とは、難解な哲学概念を解釈する学問的な哲学ではなく、「物事の根源や意味、価値を考え抜く」という広い意味での哲学です。
◆物的な方策だけに頼ることのデメリット
下は私が自著の中でまとめた「従業員にとっての『よい会社』とは」の図です。働き方改革で実行されてきた時短や有給休暇取得などの義務化・奨励化は、主にこの4象限図の左下です。すなわち、「物的×働きやすさ」の施策です。
また、人手不足(特に高度な専門技術を持つ人材の採用難)については、年功序列型賃金制度を見直し、高額年俸で人材を引き抜き、囲い込むことが普通となってきました。これは4象限右下の「物的×働きがい」の施策です。
確かにこうした物的な施策は従業員にとって好ましいものです。企業が労働環境や労働条件の改善を不断に行うことに異論はありません。ただ、物的な改善は、心理学者フレデリック・ハーズバーグが説いた「衛生要因」でしかないことに気づかなければなりません。
すなわち衛生要因とは、それが不足・不備であれば労働者の意欲は明確に下がるが、それを必要以上に与えても意欲は比例して上がっていかないというものです。ハーズバーグは衛生要因に対し、もう1つの「動機付け要因」をあげていますが、これは意欲の向上にどこまでもプラスに寄与します。そしてそれは多分に精神的な仕掛けです。
働き方改革が叫ばれる昨今、さらには人手不足の昨今、企業は物的にいろいろなものを拡充させてヒトを呼び寄せ、囲い込もうとします。それによって短期的には効果が出るかもしれません。しかし、それと同時に従業員を巻き込んだ精神的な取り組み――例えば、事業理念の共有やこの会社で働くことの意味創出などを喚起する対話――をせずに、内発的動機を空洞にさせたまま数値目標達成に向かって突っ走るとどうなるでしょう……。
意味とは「意(こころ)の味わい」と書きますが、意味を求める有能な人材はやがて去って行くでしょう。仕事・事業の中の意味を大切にする人は、ほんとうに組織を健全に強くするために大事な人です。この種の人材は、たとえ労働環境が物的に恵まれていても、企業が殺伐とした利益追求だけの事業を行うとすれば、早晩そこを出て行くでしょう。そして物的な好条件だけに関心のある人たちが組織にいついてしまい、ぶら下がり意識のまま定年まで過ごそうとなる。
また一方で、破格の高額年俸で引き抜いた人材は、そもそもその会社への愛着心はありませんから、もっと好条件でお声がかかれば、いとも簡単に他に移っていくでしょう。
そのように外的・物的な方策だけに頼ると、企業組織は中長期的にヒトの保身的硬化をまねく危険性があります。そのために、内的・精神的な方策が必要といえます。CPOの出番はここにこそあります。
◆CPOは「哲学する心の発酵促進者」
売上高、利益額、成長率、生産性、市場シェア率、株価、投資対効果……経済的尺度の数値評価ばかりに覆われる組織内で、CPOは理念や意味、目的、ビジョン、存在価値、やりがい、志、動機、哲学を語りはじめねばなりません。
一人一人の従業員に自身の内面にサーチライトを向けさせ、働く上で「意(こころ)の味わい」というものがどういうものなのかを考えさせる。そして一人一人の内発的動機を掘り起こしていく。そんな地味で即効性はなく、定量化もできない仕事だけれども、根本的に重要な仕事をCPOはやることになります。
最高“哲学”責任者だからといって、CPOは学問的な哲学を講釈する必要はありません。前にも触れたように、ここでの哲学とは「物事の根源や意味、価値を考え抜く」ことです。
例えば、下の手書きシートは、私が「健やかな仕事観をつくるワークショップ」で行った内省ワークの答案の数々です。参加者には「仕事の幸福(あるいは、働くことの喜び)とは何かをA4用紙1枚に表現してください」とだけ問いました。
このように各人の仕事観・幸福観がさまざまに出てきます。こうした答案をグループで共有したり、どうしてこういう答えになったのかをクラスの前で発表してもらいます。こうした多様な答えにもまれながら、「あの人の仕事観は深いな(それに比べて自分は表層しかみていなかったな)」とか、「あ、ああいう目線で働くことを考えると、自分が悩んでいたことなんて何でもないことだな」とかの気づきが生まれます。
考えるテーマはその他にも、「仕事とは何か」「事業とは何か」「成長とは何か」「創造とは何か」「自律とは何か(自立とどう違う?)」「失敗とは何か」「自社の存在意義は何か」……根源的な問いであればあるほど、その人の観の深さ/浅さが自覚されるでしょう。
観には唯一無二の正解値というものがありません。各人がそれぞれに醸成するものです。その醸成の場をつくり、醸成の促しをやるのがCPOの役割です。私はこの役割を「哲学する心の発酵促進者(ファーメンター)」と呼んでいます。
こうした哲学的内省をすることが組織の中で文化の一部となり、そこから事業理念や事業目的の共有があり、具体的な事業や製品・サービスへとつながっていく。そのもとでどういった労働環境や手段が最適か、すなわち働き方が決まっていく。そして働き手はいくつかの選択肢の中から働き方が選べることで組織に愛着を持ち、長くそこで貢献しようと内発的に思う。こうした流れが本来の働き方・働き観改革だと思います。