1日放送、テレビ朝日「報道ステーション」では、スポーツキャスターの松岡修造氏が、バスケットボール協会の三屋裕子会長にインタビュー。東京五輪出場権獲得までの改革に迫った。

男子バスケは先日、44年ぶりとなる五輪出場を認められた。開催国にもかかわらず、すんなりと出場権を得られなかったのは、かつて国際大会出場を禁じられたほどの協会の統治不足、最後の五輪出場が1976年という実績、にもかかわらず五輪出場枠は12と少ないことが理由だった。

Bリーグが開幕した2016年、川淵三郎前会長から引き継いで就任した三屋会長は、ワールドカップ(W杯)にも長年自力で出場できていなかった現状から、「五輪に出ることを目標にしていいのか、それを語るレベルなのか」と「目の前が真っ暗になった」と明かす

そこで、三屋会長は思いきった改革に乗り出した。現役時代の実績を持つ人間が上層部を占めやすい中で、「“どういうふうに男子の強化を考えているか”という視点を持っている人を探した」のだ。それは多くの敵をつくる行為だった。

1984年のロサンゼルス五輪で女子バレー代表として銅メダルを獲得した三屋会長だが、畑違いであることも指摘されたという。だが、引退後にJリーグやバレーボール協会の理事を務めてきた三屋会長は、「よそ者」だからこそ欠点ではなく良いところに目がいく視点を持てたと振り返る。

そして日本男子は予選開幕4連敗というがけっぷちから奇跡の8連勝を飾り、21年ぶりとなる自力でのW杯出場を決めた。一つずつ課題をクリアしていった三屋会長は、五輪出場の可否が決まる理事会で、「五輪後」をアピールすると話した。

理事会を前に、三屋会長は「私が一番強く訴えなきゃいけないのは、『五輪後の日本バスケット界がどう変わっていくか』。五輪はゴールじゃない。五輪を一つのステップにして、もっと成長していくというメッセージをどれだけ伝えることができるか」と意気込んだ。

プレゼン後、インゴ・ヴァイス理事は「バスケットボールで世界、そして日本を活気づける素晴らしい内容」と称賛。元NBA選手のヤオ・ミン理事も「映像を通じて情熱を感じた。この3年間の成功について、おめでとうと伝えたい」と、三屋会長をたたえた。

理事会で拍手をもらった三屋会長は、ガクガクしてひざが抜けそうになったとし、「やっぱりちょっと涙が出ました」と明かした。

どん底からの改革で見事に男子バスケを東京五輪出場へと導いた三屋会長は、協会が「変わることをおそれなくなった」とコメント。「『変えなきゃいけないの?』から『変わらないとダメなんだ』という文化になりつつある」と話す。

「変えないと続かない」「我々バスケット界が変わることで、こんなに未来が変わるんだと伝えていくべき」と力強く語った三屋会長は、松岡氏から「よく辞めませんでしたね」と振られると、「(現役時代の)練習はもっとキツかったからね」と笑った。