24日、TBS「消えた天才」では、Jリーグ・SC相模原の代表で元日本代表、望月重良氏の現在を放送。京都パープルサンガ時代にチームメイトだった三浦知良が「天才型の選手」と表現した望月氏は、清水商業出身で1年生からレギュラーとして試合に出場。その後も万能選手としてJリーグや日本代表でも活躍したが、2004年にJリーグの試合出場が突然0に。その原因については、三浦も聞かされていなかったという。

この時、「もう絶望でした。周りに言ったら辞めろという人達が大半」と振り返った望月氏の病名は「特発性大腿骨頭壊死症」で国が指定する難病だった。病状が悪化すれば歩くことも困難になる難病も手術をすればサッカーができなくなるため、同氏は筋力で大腿骨を補強する選択をした。

厳しいリハビリに心が折れそうになったという望月氏だったが、三浦から「俺より先に辞めるのか?」と言われたことで再び闘志に火がつき、約2年後の2005年11月、横浜FCに移った望月氏は727日ぶりにピッチへ。「内容としては50点だと思うんですけど、リハビリの苦しさ。ドクターからやめろと言われた思い。色んなものが入り混じって僕としては大事な試合」と振り返った望月氏は、その翌年、最後まで病気のことを公表せずに引退した。

引退後、望月氏は自らの貯金を投じてSC相模原のオーナーになり僅か6年でプロリーグに昇格させた。「完全燃焼ではなかった。現役をやりたいっていう熱をクラブチームに注ぎ込んだ」という望月氏は、40歳で引退の瀬戸際に立たされていた高校の後輩・川口能活氏にオファーするなど最後の花道を作っている。

そんな望月氏のSC相模原にはJリーグ加入以来「背番号11番」が空いている。「お世話になった三浦知良さんを何かやれるとしたら11番という背番号を空けて、サッカー選手をずっとやれる環境というものをいつまでも用意しててあげたい」という望月氏に続き、番組のカメラにコメントした三浦も「SC相模原の11番を空けて、誰にもつけさせていない。いまだに。毎年オファーくれます。自分も努力して現役を続けていく中でそういう思いを持っていてくれるサッカー界の同士がいるというのは僕もすごく幸せ」と語った。