1988年2月、突然の暴言で国会を大混乱に陥れた政界の暴れん坊こと浜田幸一氏(写真:共同通信)

一昔前の自民党政権では多くの議員が当選6回あたりになると「図らずも」閣僚に任命され、1年ほどの任期を「大過なく」全うしていた。担当する省庁の政策についての知見の有無など関係なかった。政治改革や政治主導の結果、そんな年功序列的人事は変わったと思っていたが、先日の安倍内閣の改造でどうやら復活したようだ。その結果、閣僚の失言が政治の大きな話題になっている。

サイバーセキュリティ問題担当相の桜田義孝氏が、なんのためらいもなく「自分でパソコンを打つことはない」と胸を張って答えたのであるから、問題になるのはやむを得ないことだろう。

サイバーセキュリティ担当相は政府のサイバーセキュリティ戦略本部副本部長を務めることになっている。この本部はサイバーセキュリティ戦略の立案と実施の推進、対策基準の作成や評価の実施などを担当しており、担当相の役割はかなり重い。

今やサイバーセキュリティは国家の安全保障にかかわる問題でもあり、年末に予定されている防衛大綱の見直しでも大きな柱の1つになっている。そんな重要な課題を、パソコンをいじったことのない人物が担うというのはそうとうおかしなことである。

池田勇人氏、経済原理を強調しすぎた(?)発言

政治家はしゃべることが仕事のようなもので、失言はつきものだ。そして、「図らずも任命された」結果、「大過」を免れることができなかった閣僚も数多い。しかし、政治家の失言を振り返ると、必ずしもその閣僚が見識を欠いていたためとは言い切れないケースも多い。時代とともに性格を変えてきた政治家の失言を振り返ってみる(以下、肩書は当時のもの)。

衆院の解散・総選挙につながった吉田茂首相(在任:1946〜1954年)の「バカヤロー」発言はあまりにも有名だ。

池田勇人首相(在任:1960〜1964)も閣僚時代に何度か失言して辞任に追い込まれている。

蔵相時代の1950年、国会で「所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うという経済の原則に沿ったほうへ持って行きたい」と答弁し、翌日、「貧乏人は麦を食え」という見出しで報じられた。

通産相のときには「闇その他の、正常な経済原則によらぬことをやっている方がおられた場合、それが倒産し、倒産から思い余って自殺するようなことがあっても、お気の毒でございますが、やむをえないということははっきり申し上げます」と言い切ってしまった。

いずれも健全な市場経済が望ましいということを強調しているのだが、社会的弱者に対する配慮に欠けていた。結局、後者の発言で閣僚辞任に追い込まれてしまった。池田氏は「私は正直すぎたのだ。政治家になれない性質かもしれない」と語っている。

池田氏のような確信犯的な失言は少なくない。特にタカ派議員による共産党批判や戦前の植民地支配や侵略行為などを正当化する発言では、これが目立つ。

私の経験で最も強烈なのは、衆院予算委員長の浜田幸一氏だ。1988年2月、衆院予算委員会の終了間際に、共産党議員の質問を遮り委員長席から突然、「私は堂々と真実を言っている。宮本顕治君は人を殺した」などと共産党批判を展開した(宮本氏は当時、日本共産党議長)。委員会室が大混乱に陥ったのは言うまでもないが、翌日から国会全体がストップしてしまった。

浜田氏は数日間、国会に来ると委員長室に終日、閉じこもってしまった。野党が求める謝罪も辞任も拒否し続けた。最後は自民党の安倍晋太郎幹事長の説得に応じて辞任したが、その間、数十人の記者らに取り囲まれながら国会内を歩く浜田氏の形相には、人を寄せ付けないすさまじい迫力があった。幹事長の安倍氏でさえ「浜田氏には困った。どうしようもない」と頭を抱えていたことを覚えている。

タカ派閣僚の問題発言、ハト派政権下で特に激化

自民党タカ派の代表的衆院議員だった奥野誠亮氏と藤尾正行氏も強面(こわもて)という意味では浜田氏に匹敵していた。

奥野氏は国土庁長官だった1988年5月、国会で「東京裁判は勝者が敗者に加えた懲罰だ」「あの当時、日本にはそういう(侵略の)意図はなかったと考えている」と発言して閣僚を辞任した。私も憲法問題を取材したとき奥野氏に「そういう考えを法匪(ほうひ)と言うんだ」と怒鳴られた経験がある。

藤尾氏も近寄りがたい空気を発散していた政治家だ。中曽根康弘内閣で文相を務めていた1986年、月刊誌のインタビューで、日韓併合について「韓国側にもいくらかの責任なり考えるべき点はあると思う」などと発言した。藤尾氏は首相官邸から辞表提出を求められたが拒み続けたため、中曽根首相は罷免に踏み切らざるをえなかった。

この3人のような場合、単なる失言というより思想的確信犯と言ったほうがいいだろう。

タカ派閣僚の問題発言は、1990年代半ばに村山富市政権などハト派政権が続くと頻度を増した。

羽田孜政権が発足した1994年5月、永野茂門法相が毎日新聞のインタビューで太平洋戦争を「侵略戦争という定義づけは、今でも間違っていると思う」「戦争目的そのものは当時としては基本的に許される正当なものだった」と発言した。さらに「南京事件というのは、あれ、でっち上げだと思う」とも語った。さすがに大問題となり、就任後、わずか11日で辞任した。

村山政権になると、まず1994年8月に桜井新・環境庁長官が記者会見で「日本も侵略戦争をしようと思って戦ったのではなかった」「あんまりなんか日本だけが圧倒的に悪いことをしたというような考え方で取り組むべきではない」と語り、やはり辞任した。

1995年の8月には島村宜伸文相が就任直後の記者会見で「(先の戦争が)侵略戦争じゃないかというのは、考え方の問題ですから、侵略のやり合いが戦争じゃないですか。(中略)これをいつまでもほじくってやっていることが果たして賢明なやり方なのかなと」と発言した。島村氏の場合、「就任時の説明は誤解を生じたのでこれを撤回する」という談話を公表し、辞任は免れた。

同じ1995年の11月には江藤隆美総務庁長官が記者とのオフレコの懇談で、「植民地時代に日本は韓国にいいこともした」と発言した。これを韓国メディアが報じたことで、一気に外交問題に発展した。オフレコだったこともあり江藤氏は当初、発言を認めず辞任も拒否していたが、結局は辞めざるをえなかった。

問題になることを覚悟のうえで発言している奥野氏や藤尾氏に比べると、桜井氏や江藤氏は後先をあまり考えず言いたいことをつい言ってしまい、それが外交問題化して慌てて撤回したり、閣僚を辞任したという印象が否めない。

2000年代には政治家の失言も一気に軽薄に

そして2000年代になると失言が一気に軽くなっていく。

森喜朗首相は、話し上手という特技が災いとなった。首相に就任して間もない2000年5月に神道政治連盟国会議員懇談会で「日本の国はまさに天皇を中心とする神の国である」と語り、6月には総選挙の遊説先で有権者の投票態度について、「まだ投票先を決めていない人が40%ぐらいいる。そのまま選挙に関心がないといって寝てしまってくれれば、いいんですけれども、そうはいかない」と述べた。

いずれも聴衆へのリップサービスだったのだろうが、受け狙いでは済まない民主主義の根幹に触れる内容で、マスコミに厳しく批判された。

なぜか東日本大震災の復興を担当する閣僚の失言が続いた。

2011年7月3日に松本龍担当相が宮城県庁で知事と会ったとき、応接室で数分間、待たされたことに腹を立て「お客さんが来るときは、自分が入ってからお客さんを呼べ」と激怒。さらに記者団の前で、「九州の人間だから、何市がどこの県とかわからん」とか「知恵を出したところは助けるけど、知恵を出さないやつは助けない。そのくらいの気持ちを持て」などと問題発言を連発し、あっさりと辞任した。

2017年4月には今村雅弘復興相が東日本大震災について「これはまだ東北で、あっちのほうだったからよかった。もっと首都圏に近かったりすると、莫大な甚大な被害があったと思う」と講演で発言し、やはり辞任した。

このほか第1次安倍内閣では、事務所費問題を追及されていた松岡利勝農水相が政治資金の使途を聞かれて答弁に窮し、「光熱水費には、何とか還元水とか、そういったようなものに使っています」と答弁した。「何とか還元水」は一時、流行語にもなった。一方、松岡氏はその後、議員宿舎で自殺した。

また久間章生防衛庁長官も講演で「原爆が落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという、頭の整理で今、しょうがないなというふうに思っている」と発言し、やはり辞任した。

これらに共通しているのは、ごく普通の一般市民でも発言しないであろう非常識な内容という点である。

では失言の質の変化は国会議員の質が低下していることを示しているのだろうか。必ずしもそうではないだろう。昔も今も不勉強で非常識な議員はいた。

しかし、冷戦時代の自民党と社会党など野党は、憲法改正や自衛隊などイデオロギー的な問題が戦闘正面だった。これらについて閣僚の発言に問題があると失言として取り上げ、政治的対決の材料としていた。

一方、政策に関する専門的な質問は、かつては閣僚に代わって各省幹部が政府委員として答弁していた。予算委員会では首相とともに外務省や大蔵省、防衛庁の局長が頻繁に答弁に立っていた。当然、失言は出てこないから、伴食大臣といえども揚げ足は取られないで済んだ。

ところが1990年代に政治主導が叫ばれると、国会審議での答弁も閣僚ら政治家が行うべきであるとして政府委員が廃止された。官僚が閣僚に代わって答弁したり、それを補うことが難しくなったため、小泉純一郎首相は能力のある政治家を一本釣りする組閣を行って話題になった。

秦野章氏の政治家の本質を言い当てた発言

以後の首相も答弁能力のある議員を優先して閣僚に起用し、長く使うようになった。そうなると自民党内に当選回数を重ねたにもかかわらず入閣できない議員が増えていく。その数は数十人に上るといわれる。

彼らの不満は募り、放っておくと政権批判につながりかねない。安倍首相の今回の内閣改造は未入閣者を多く起用した点に特徴がある。つまり「図らずも任命された」大臣の復活だ。当然、まともに国会答弁できるのかというリスクを伴う。桜田氏の失言はその一端であり、後に続く閣僚が出ないとは言い切れないだろう。

最後にもう1つ、「失言」を紹介する。1983年10月、田中角栄元首相がロッキード事件で逮捕され一審で有罪判決が出た後、田中氏を擁護する立場の秦野章法相が雑誌のインタビューに答えた発言だ。

「政治家に古典道徳の正直や清潔などの徳目を求めるのは、八百屋で魚をくれというのに等しい」

まったくの開き直りだが、政治家の本質をついているようで、思わずニヤリとしてしまう。