電車の「色」は、家電量販店のCMにも歌われているくらいになじみが深いものです。路線や車両によって意味や由来はあるのでしょうか。

カラフルな帯は路線を区別するために

 東京や大阪などを走る地下鉄や、首都圏のJR線の電車にはカラフルな帯が巻かれています。これは「ラインカラー」といい、利用者が分かりやすいように「○○線なら●色」と決められているものです。通勤電車の車両はどれも似たような形をしていることから、判別しやすいよう路線ごとに色分けがされています。


色で路線を覚えれば、乗り換えるときにまごつかない(児山 計撮影)。

 しかしこのラインカラー、実は路線に由来するものは少数派で、大抵は「ラインカラーが決められる以前からこの色だった」「他の路線と色が重ならない」という理由で選ばれます。

 そのため、東京の地下鉄でラインカラーが決められた1970(昭和45)年以前に開業した路線ほど、赤や青といった比較的分かりやすい色になり、それ以降の新しい路線になるほど赤紫(都営大江戸線)、茶(東京メトロ副都心線)というような、中間色が多くなっていきます。

ラインカラーの由来は

 ラインカラーの元となった色の由来はさまざま。たとえば東京メトロ丸ノ内線のレッドは、同線開業前、当時の営団地下鉄の総裁がアメリカを視察した際に入手したタバコ(ベンソン&ヘッジス)の箱の色だったり、銀座線のオレンジはドイツ・ベルリンの地下鉄が由来だったりと、意外なものから色を決めているケースも多々あります。

 首都圏のJR各線もラインカラーを採用しています。たとえば山手線の「うぐいす色」とも呼ばれる明るい緑色は、山手線の「山」や沿線の鶯谷(うぐいすだに)駅、上野の山などからイメージされるかもしれませんが、実はまったくの偶然。1963(昭和38)年から製造された山手線用の103系電車が、それまでの新型電車の色であるオレンジや黄色と区別するために「うぐいす色」で登場したのが始まりです。なおそれ以前は、黄色の電車も山手線を走っていたことがありました。


開発者の妻が着ていたセーターの色がヒントになったという車両のオレンジ(児山 計撮影)。

 中央線快速のオレンジ色も電車の塗色に由来します。ラインカラーのもととなったオレンジ色の101系電車は1957(昭和32)年に登場していますが、車両の塗色は、開発者の妻が着ていたセーターの色がヒントになったそうです。

 これらは色を「記号」として用いているケースで、イメージよりも実用性を重視しているといえましょう。

色も続ければ「伝統」となる

 鉄道車両の色は毎日見るものであるため、同じ色を長年使い続けていると、利用客はもとより沿線のイメージとして定着していきます。そこで、車両の色を会社や沿線のイメージアップに活用する鉄道会社もあります。京阪神に路線網を持つ阪急電鉄は、「マルーン」(あずき色。語源は栗のマロン)を開業以来の伝統として今に受け継いでいます。

 阪急電鉄でもたびたび塗装変更の案もありましたが、その都度社内はもとより沿線利用者からも反対される一幕もあり、マルーンはもはや揺るぐことのない阪急電鉄のイメージとして会社のみならず、地域に定着しています。

 関東では京王電鉄が1990(平成2)年に「リフレッシング京王」を旗印に、コーポレートカラーとして「京王レッド」「京王ブルー」を制定。電車の帯も、それまでの濃いえんじから京王レッドと京王ブルーの2本線に変わりました。駅の案内にもこの2色を活用してイメージチェンジを図りました。

 一方で、同じ京王電鉄でも、井の頭線は車両ごとに正面や帯の色を変えています。これは1962(昭和37)年から続く伝統を活かしたもので、同じ鉄道会社でリフレッシュと伝統が共存しているのです。


駅名標はコーポレートカラーの水色、電車は伝統の赤をまとう京急電鉄(児山 計撮影)。

 似た例で、京急電鉄の赤は阪急同様、開業時から伝統的に使われている色で、これは開業の際に参考にしたアメリカの電車の色にちなんだものといいます。『赤い電車』という歌のタイトルにもなっていますが、その一方で、京急電鉄のコーポレートカラーは水色。駅の看板や案内にはこの水色が多用されています。

 会社のイメージはリフレッシュしたいけど伝統は守りたい。そんな思惑が見え隠れするのも「色」のおもしろさです。

 最後に偶然が巻き起こした色の話をひとつ。東武鉄道が亀戸線で、昔の電車の色を復刻して走らせています。その中のひとつに「インターナショナルオレンジ」という色がありますが、この色は東京タワーと同じ色。これはもちろん、まったくの偶然です。東京スカイツリーのお膝元を走る東武亀戸線で、東京タワー色の電車が走っているんですね。

【写真】「阪急マルーン」をまとった電車


開業以来受け継がれている「阪急マルーン」。会社のみならず沿線のイメージにもなっている(児山 計撮影)。