「不本意入学」した学生の意識を変えるには、教員はどうすればよいのか(写真 : Graphs / PIXTA)

9月末、文部科学省は、東京23区内の大学・短大の定員を抑制する告示をした。2018年度には定員増を認めず、2019年度には原則として大学・短大の新設を認めないという内容だ。これに対して、小池百合子東京都知事が強硬に反対したと報じられていた。

東京をはじめとする大都市圏に学生が集中することへの対策を、文部科学省は昨年度から実行している。大学定員超過率を厳格化し、基準を超える入学者を出した大学には私立大学等経常費補助金を交付しないとしたのだ。その基準は、2018年には入学者数8000人以上の大規模大学では定員の1.1倍、4000〜8000人の中規模大学では1.2倍などと大学の規模により段階的に定められている。

規制のあおりで「教育困難大学」に入学した学生もいる

この規制に対する大学側の動き、特に大都市に所在する知名度の高い大学の動きは、今春の大学入試に大きな影響を与えた。一方、大学受験の趨勢にはほとんど無関係で、大学受験産業からも注目されることのない「教育困難大学」にとっても実は他人事ではない。今年度入学した学生の中に、定員厳格化のあおりで「教育困難大学」に入学してきた学生がいることを、筆者は授業を通して実感している。

「教育困難大学」に入学する学生は、前回の記事(「教育困難大学」に集まる主体性ゼロの学生達)に挙げたような高校教員主導の進路指導の流れに乗って入学する学生がほとんどだが、以前からそれ以外のタイプの学生もいた。

その地域で学力が中から上位の高校の卒業生も少数ながら入ってくるのだ。受験勉強はしたが、希望していた大学に受からず、親も本人も浪人することを是とせず、仕方なく「教育困難大学」に入ってくる、いわゆる「不本意入学」の学生たちである。浪人生活の経済的負担を避けたいためか、あるいはどこかの集団に所属して安心したい気持ちが保護者にも高校生にも強まったためか、このタイプの学生は近年増加する傾向にあった。そのうえに、先の文部科学省の定員厳格化の動きが重なった。今春は、以前だったら中堅大学に合格するレベルの学生が大都市近郊の「教育困難大学」にも進学している。

もともと、「教育困難大学」は入試の回数と種類が多いのだが、中でもその年度の大学入試の結果がほぼ出そろった3月中旬以降の入試には特別重きを置いている。このタイミングで、志望校に落ちて傷心状態にある受験生を集めると、その大学のトップ層候補となりうるからだ。「教育困難大学」の大学パンフレットに紹介される在校生や卒業生は、この流れで入学して、くじけずに大学生活を続けた者が多い。地域では進学校や中堅校として知られる高校の出身者が入学することは、大学のイメージアップにもつながる。今春の3月中旬以降の入試では定員厳格化で切られて行き場を失った受験生が、大都市近郊の「教育困難大学」に流れてきたようだ。

まだ少数ではあるが、入学した学生の国語の基礎学力試験を実施している大学もあるが、大学の授業が始まると教育困難校の出身者と進学校・中堅校出身者との違いが明らかになってくる。また、多くの大学では英語の授業を能力別クラスで行うために、入学前後に英語のテストを課す。これらの結果には出身高校の学力差が歴然と出る。

「不本意入学」をした学生の特徴

最初の頃の顔付きもまったく違う。何も考えていないような表情、あるいは新しい生活への不安を隠せないような大多数の学生とは異なり、他大学一般受験不成功組の学生たちの顔には「本来、こんな場所にいるはずではなかったのだ」という傷ついたプライドが表れている。今春、筆者の持つクラス、特に社会科学系学部のクラスでこのような面持ちの学生が多く見られた。

最初は、ほかの学生とあまり話をしようともしないのだが、しばらくすると同じ入試タイプで入学した学生同士が仲良くなっていくのが不思議である。互いに落ちた大学名を言い合い慰め合う光景が見られるようになる。

だが、大学受験に失敗したことにより落ち込んだ自己肯定感はなかなかぬぐえないもののようだ。その体験をバネにして、大学生活に積極的に取り組もうとする学生は少数派で、多くは、周囲の学生との学力差から学習面の苦労はまったくないがために、よく言えばゆったりとした、悪く言えば向上心を失った油断しているような大学生活を送っている。

その一方で、「自分はこんな大学に来る人間ではない」と思うプライドが抑えきれず、また、周囲の学生の低学力への失望と自分の将来についての焦りなどから、大学に籍を置きながら授業には出ず、来年度の受験勉強をしている「仮面学生」も、どこの「教育困難大学」にも必ずいる。

このほかに、極々少数ではあるが、受験勉強に耐えうる学力を持ちながらあえて「教育困難大学」に進学する学生もいる。病気や体力面の不安を抱え、通学が楽な大学を選んだ学生たちである。高校までの部活動で足腰を痛め、長時間電車に乗れなくなった学生に、筆者は毎年必ず数名は出会う。入院するほどではないが、難病治療中の学生もいる。

また、最近特に目立つようになったのは、起立性調節障害やアスペルガー症候群などに悩んでいる学生だ。「この大学はあまり頑張らなくても卒業できそうだ」と判断して進学してくるケースである。こういった学生たちは、表面上は納得しているように見えても、心の奥底では「不本意入学」の場合も少なくない。

大都市部に所在する大規模・中規模大学の定員抑制策が今後も続けられる場合、ごく少数のトップ大学を除いて、各地の大学で「不本意入学」の学生が増加する可能性が考えられる。浪人してでも志望する大学に入るというモチベーションを精神的にも経済的にも持ち続けられる人はさほど多くなく、不満はあってもあらゆる面で安全な大学進学を考える人がさらに多くなると思うからだ。

各大学にとって、特に「教育困難大学」にとって、これらの学生の「不本意」という思いをいかに変えられるか、いかに学生を引き留められるか、有効なサポート方法は何かを見極めることが大きな課題になっている。

優秀な学生が「不本意入学」した理由

以前、中部地方の公立進学校を出た学生を教えたことがある。大学入試の数カ月前に家庭にトラブルが発生して受験勉強ができなくなり、「不本意入学」せざるをえなかった学生であった。

筆者は新入生にアカデミック・スキルを教える課目を担当していたが、彼にはほとんど新たに教えることがないほどに優秀だった。将来、地歴・公民科の教員になることを志望していた彼は、社会全般に興味があったが、学内でそれについて話せる友人を見つけられていなかった。また、入学当初の初歩的な内容の講義に物足りなさも感じていた。SNSで地元の友人等とつながってはいても、リアルな大学生活への不満は募る一方だった。そのままでは、彼も周囲に埋没する「不本意入学者」のままでいたかもしれないが、彼は動いてくれた。筆者に日頃の不満を語ったのである。

彼の思いを知った筆者は非常勤講師という立場でできうる3つの策を行った。まず、筆者が担当しているクラスに散在する彼のようなタイプの学生同士が顔を合わせる機会を作った。大学の入学当初はクラス指定の必修科目も多く、同じ学部であっても学生間の接点は限られているので、学生同士を引き合わせる、いわば「仲人」をしたのだ。

次に、筆者が信頼している学内の教育学の教授を紹介した。もちろん、事前に彼のことを伝えておいたので、多忙な中、教授は快く彼を迎えてくれ、その後彼が研究室を時々訪れる関係は、卒業まで続いた。筆者はさらに、「積極的に外に向かって行動してほしい。そのために必要であれば、筆者の授業を欠席しても構わない」と伝えた。これには、彼も驚いたようであった。地方の公立進学校で真面目な高校生活を送っていた彼には、授業に出ないという考えはなかったのだ。その後、彼は他大学の評判のよい講義を聴講したり、教育や政治に関する講演会やイベント等に参加するようになった。

卒業時、ゼミの指導教員からは大学院進学を勧められたが、今の教育現場を見たいという意思で、彼は出身地の公立中学校教員になった。彼の「不本意」という思いがどうなったのかはわからないが、少なくとも大学生活の4年間は無駄にはなっていなかったと思う。筆者が行ったことは紹介するのも恥ずかしいほど取るに足らないことだ。だが、「不本意入学者」を中退させずに引き留めるためには、教職員が学生をよく観察したうえで、こうしたちょっとしたお節介をすることが必要なのかもしれない。