伝説の光線絵師・飯塚定雄と、当代一流の怪獣絵師・開田裕治。「ウルトラな二人展」が東京・中野ブロードウェイにあるアートギャラリー・リトルハイで開催中です。





迫力あるゴジラの放射熱線、誰もがまねをしたウルトラマンのスペシウム光線、宙を舞うウルトラセブンのアイスラッガー……。

独自のセンスで視覚化された光学合成の数々は、すべて光線絵師・飯塚定雄さんから生み出されたものです。ウルトラマンのオープニングに使われている、印象的な影絵シルエットも飯塚さんによるもの。円谷英二の特撮黄金時代を支え続けた、光学合成の第一人者です。




一方、特撮ヒーローや怪獣、ロボットなどのSFイラストを描きつづけている怪獣絵師・開田裕治さん。怪獣・ロボット・SFファンから親子連れまで、老若男女問わず幅広い層から高く評価されています。




今回の個展では、開田さんが描いたウルトラマン・ウルトラセブンのイラストに、飯塚さんが描いたスペシウム光線・アイスラッガーを合成して制作した、夢のコラボ作品が展示されていました。




その他、会場にはお二人が過去に手掛けたものから新作まで約20点を展示。開田さんの手による美しい原画(LPジャケット、ゲーム宣伝用ポスターなど)や、飯塚さんによる「光学合成用原画復刻版」、絵本「ウルトラマンをつくったひとたち」の原画など、バラエティーに富んだ内容となっています。

会場にいたお二人に過去の思い出やエピソード、「シン・ゴジラ」の感想などをお伺いしました。

お互いをリスペクトしあうレジェンドたち



――お二人が最初に出会ったのはいつ頃、どのような形でしょうか?

飯塚:昭和55年頃に雑誌「宇宙船」の企画で、僕の会社「デン・フィルム・エフェクト」へ開田さんがインタビューに来たのが最初です。後に「ぼくらを育てた合成のすごい人」という同人誌のインタビューも受けました。

開田:僕がデビューして間もない頃ですね。そのあとは、トークイベントで毎月のようにお目にかかるようになりました。




――お互いの仕事・実績に対して、どのように評価してらっしゃいますか?

飯塚:開田さんはプロフェッショナルです。どのようなものも的確に描くことができます。それに比べてこちらは独学で、頼まれたものをチョコチョコっと描くくらいのものなのですから、二人展とは言っても開田さんに便乗させてもらっているようなものです。

ただ、特撮というカテゴリーの中では僕の方が少し先輩で古い記憶や知識を持っていますから、それが上手く開田さんのクリエイティブな部分に生かされていれば良いなと思います。



開田:子どもの頃、あの光線を人が描いているとは思わなかったんですよね。のちに、飯塚さんがほとんど全部1人で描いてることを知って「なんてすごい人がいるんだ!」と。

僕の人格形成の一端を担っている存在です。そういう人と一緒に展覧会を開催できるというのは、本当に名誉なことだと思っています。




ゼロから生まれた光線技術



――いままでのお仕事で、一番思い出に残っていることは?

飯塚:「ゴジラ」(1954)から特美のスタッフとして参加していましたが、「地球防衛軍」(1958)の頃に円谷英二監督の誘いで線画合成に従事するようになりました。

しかし、その当時は線画の知識も経験もまったくなく、何をどう描いていいのかわからず、勉強のためにアメリカ映画の「十戒」を何回も観たりしました。後に、「地球防衛軍」が日本で初めて線画を多用した映画だと教えられて、そうだったのかと感慨深い思いをしました。

当時はあまりにも忙しくて40日近く家に帰れないということがあり、その仕事が終わったときに「ああ、これで家に帰って寝られる」と思ったことが本当に嬉しかったです。



開田:子どもの頃から怪獣映画が大好きで、そのままイラストの仕事を始めたんですよね。ちょうど1980年ぐらいに怪獣映画のブームがあって。

こういう絵が描きたいなあ、と思っていたときに「描いてください」っていう依頼がきた。頭の中にあったものを描いてお金がもらえるっていうのは、願ったりかなったりでした。本当に運が良かったな、と思います。




いまを生きる僕たちが楽しめるゴジラ



――昨年映画「シン・ゴジラ」が大ヒットしましたが、感想などありましたらお聞かせください

飯塚:デジタル時代になって、機械も人も変わって、自分たちの時にはできなかったことも今の技術を使えばできる。アナログ時代の技術者としてはチクショーと思いますが、今の技術者はよくやっているし、大変だったろうなと思う部分には感動しました。



開田:ハリウッドでもゴジラが作られて、「ゴジラ映画はもう終わりかな」「いまさら日本で、ハンパなもの作るわけにもいかないだろうし」と思っていたんですが。庵野さんが撮るっていうのは意表を突かれましたね。

庵野さんって、個人的にも知っていますが、そんなにゴジラ映画が好きな人じゃない。もちろん理解はあるけど、どちらかというと「魂はウルトラマンや仮面ライダーにある」っていう人だから。でもそれが良かったんじゃないかな。

客観的に、いま日本でゴジラ映画を作るとしたらどうしたらいいか、冷静に判断された。震災とか社会状況とかを踏まえつつ、いまここに生きている僕たちが見て楽しめるゴジラ映画の正解を、一発で見抜いたんですよね。単にゴジラがかっこよく暴れる、ゴジラマニアが喜ぶ映画じゃダメだと。本当に天才ですね。

できれば「シン・ゴジラ」を見た子どもたちが10〜20年後、また新しいゴジラ映画を作ってくれると嬉しいですね。




怪獣映画には時代背景がにじみ出る



――ウルトラマンや怪獣映画、特撮ヒーローが長く愛される理由はどこあると思いますか?

飯塚:作る側としては、常に良いものを作りたいという思いでいます。そういったスタッフの気持ちが観客に伝わった結果なのではないでしょうか。

「ゴジラ」も最初はゲテモノと言われていましたが、作品に対するスタッフの努力が画面に表れることで感動を与え、ファンを増やすことになったのではないかと思います。



開田:怪獣ブームが起きるたびに「いまなぜブームなのか?」ってよく聞かれるんですが、僕にとって怪獣映画は、いつ見ても面白いものなんですよね。

「シン・ゴジラ」を見ても分かるけど、怪獣を使えば社会的に重いテーマをエンターテイメントに昇華できる。真正面から政治の矛盾や自然災害を描くと生々しいけど、怪獣は最初からあり得ないことだから、いろんなテーマを盛り込むことができるんですよね。

いちばん最初の「ゴジラ」は、第二次世界大戦が終わって9年後。ですから、作った人は戦争の悲惨さを知っている。その人たちの気持ちがにじみ出てくるんです。

エンターテイメントとして残っていれば、ずっと長く、魂が受け継がれる。そういう効果が怪獣映画にはあると思いますね。






取材当日は平日昼間だったにもかかわらず、多くのお客さんが展示を眺めていました。また、ご本人が会場にいらっしゃったということで、購入したグッズにサインをリクエストする方も多数。来場者は男性が中心でしたが、中には女性の姿も。幅広い層に愛されていることを実感しました。

筆者はそれほど怪獣・特撮映画に詳しいわけではないのですが、開田さんの「エンターテイメントとして残っていれば、ずっと長く魂が受け継がれる」というお話は非常に“重み”がありました。今後も新たな世代がレジェンドたちの想いを受け継いでいってほしいですね。

「飯塚定雄×開田裕治 ウルトラな二人展」は、中野ブロードウェイ4Fのアートギャラリー・リトルハイにて開催しています。2月22日(水) 17:00まで。











(村中貴士/イベニア)