みなさんは、誰かとケンカしたことがありますか? 今回は仲直りや仲裁がテーマの話なんですが、仲直りって難しいですよね。どうやっても許せない、どうしても嫌い……人間だからそんな感情はあると思います。でも、ケンカはまわりの人も巻き込むし、周囲も不幸にする……。今回は、そんなお話です。


晩年の松尾芭蕉が、旅の途中に大阪に向かった理由とは?



「閑さ(しずかさや)や岩にしみ入る蝉の声」
……日本人なら何度も聞いたことがある、この俳句。
そう、「俳聖」とも呼ばれる俳人、松尾芭蕉の作品です。
芭蕉を知らない人はいないと思いますが、彼がとっても「弟子想い」だったことはあまり知られていないのではないでしょうか。

芭蕉の晩年のこと。
俳句作りのために全国を旅してまわっていた芭蕉が、旅の行先を伊勢から大阪に変更しました。
その理由は、「仲違いしている弟子同士を仲直りさせるため」。
すでに体調も優れなかったであろう芭蕉ですが、可愛い弟子がいがみ合っているのは忍びないと、何日もかけて大阪へと向かったのです。

しかし大阪に着いた翌日、無理がたたってか芭蕉は発熱してしまいます。
病状はどんどん悪くなり、悪寒と頭痛に苦しめられるのです。
そんな辛い状況の中、それでもなんとかせねばと、お互いの家に泊まってそれぞれ説得を試みます。
それでも仲裁はうまくいかず、ついに仲の悪い2人の弟子を招き、「合同句会」を行ったのでした。

もともとは同じ志を持ち、同じ師匠を持った2人。
句を詠みあうことによって、なんとか昔の気持ちを取り戻してもらいたい……そう思ったのかもしれません。
しかし、その思いは届かず、2人は仲直りをしないまま。
その後、芭蕉は容体が急変し、亡くなってしまうのです。

亡くなる直前に詠んだ句は、あの有名な作品。
「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る(めぐる)」
弟子の仲直りをさせられないまま絶望すらしていたはずなのに、それでもまだ留まらぬ旅と俳句への思い。
芭蕉の優れた人格が垣間見えるエピソードです。

この弟子2人、師匠が亡くなった後も仲直りはしなかったとか。
何があったかは知りませんが、強情な弟子たちですね。

文/岡本清香

TOKYO FM「シンクロのシティ」にて毎週月〜木曜にお送りしているコーナー「トウキョウハナコマチ」。江戸から現代まで、東京の土地の歴史にまつわる数々のエピソードをご紹介しています。今回の読み物は、2月8日放送「芭蕉が大阪へ行ったワケ」よりお届けしました。

<番組概要>
番組名:「シンクロのシティ」
放送日時 :毎週月〜木曜15:00〜16:50
パーソナリティ:堀内貴之、MIO
番組Webサイト:http://www.tfm.co.jp/city/


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