江戸の粋から古き良き昭和まで、東京の過去を旅する、TOKYO FM「シンクロのシティ」のコーナー「トウキョウハナコマチ」。今回の舞台は、東京タワーから見て“1時”の方向、千代田区岩本町の「お玉が池」をご紹介します。


東京岩本町「お玉が池」に由来する、悲しい恋のエピソード



東京・千代田区にある、岩本町。
この場所には江戸時代、大きな大きな池がありました。
どのくらい大きな池かというと、なんと不忍池がすっぽりと入ってしまうほどの大きさ。
この池は、当時「桜が池」と呼ばれていました。

春になると、周囲にそれは美しい桜を咲かせるので「桜が池」。
ところが、途中からその名前を「お玉が池」へと変えることになります。
なぜ、名前が変わったのか……。
それはひとつの悲しいエピソードによるものでした。

桜が美しく咲く場所には、お茶屋さんができるもの。
ご多分に漏れず、桜が池もたくさんのお茶屋さんで賑わっていました。
そのひとつのお店にいたのが「お玉」という看板娘。
大変に可愛らしく、気立てのいい娘だったといいます。

お玉には仲の良い男友達が2人いました。
ある文献によると、なんとこの2人の男性は、「人がらも品形(しなかたち)も同じ」……そう、何もかもがそっくりな双子のような男性だったというのです。
その2人が、彼女に同時にプロポーズ。
当然、お玉は悩みます。
2人のことが大好きだから、とてもどちらかは選べない……。
そうして悩んだ末、なんと思いつめて桜が池に身を投げてしまったのでした。

可哀想に思った岩本町の人々は、その場所に「お玉稲荷」という祠を建てました。
そして、いつしか桜が池も、「お玉が池」と名前を変えて呼ばれるようになったのです。

時が経ち、お玉が池はどんどんと縮小し、埋め立てられ、とうとうその形を失くしてしまいました。
ですが、池はなくなっても、町の人が彼女を思って作った「お玉稲荷」は残ったまま。
今でも地元の人たちが大切に扱い、お花などが絶えずお供えされています。

お玉の悲しい魂も、人々の優しい心で癒されたのでしょうか。
その後、この界隈は発展し、今でも活気のある街として栄え続けています。

文/岡本清香

TOKYO FM「シンクロのシティ」にて毎週月〜木曜にお送りしているコーナー「トウキョウハナコマチ」。江戸から現代まで、東京の土地の歴史にまつわる数々のエピソードをご紹介しています。今回の読み物は、2月7日放送「岩本町の、お玉が池」よりお届けしました。

<番組概要>
番組名:「シンクロのシティ」
放送日時 :毎週月〜木曜15:00〜16:50
パーソナリティ:堀内貴之、MIO
番組Webサイト:http://www.tfm.co.jp/city/


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